③尾行

 放課後になって早速、上里は『暮林』という男の尾行を始めた。周囲の生徒や教師たちは上里に奇異の目を向けるが、当人は全く気にしない。尾行は、対象にさえ気づかれなければ良いからだ。フードを深く被った上里は、自分の世界に浸るのである。

 校門を出て大通りまで道なりに進んでいくと、尾鳥高校の下校生徒に混ざるように、他の通行人も数を増やしていく。

 上里はその中に見覚えのある子供を見つけた。あ、あの子は……と息を潜める。昨日、一瀬たちと公園を遊んだ小学生の内の一人だ。今は買い物の最中なのか、その母親と思しき人物と、鼻歌をしながら道を歩いている。

 親子が暮林の横を通り過ぎようとしたとき、暮林の顔に気付いた子供が小さく手を振った。そして暮林も、子供の笑顔に答えるように同じ仕草をする。

「おー、元気にやってんな」

 距離が開いても暮林の方を向くことをやめない子供に対し、暮林はそれが飽きるまで付き合っていた。姿が見えなくなるまでバイバイをし続けるのではないか、そんなことを考えたのだろう母親は、子供に前を向くように諭し、暮林には聞こえないように囁いた。

「誰、あの人? 変な人と遊んじゃ駄目よ」

 その様子を見て上里は「悪い奴じゃなさそうだけどな」と呟いた。

 次に展開があったのは、それからしばらく道を進んだところだ。

 交差点で信号待ちをしている女子高生二人組が、人相の悪い男二人組に絡まれている。良くない空気はもちろん勘付いていたが、上里が行動に出ることもなく暮林が動いた。

 澄ました顔で、男女の間に割って入る。

「あんたら、懲りずにまた下らないことをやってるのか?」

 開口一番発した台詞に、四人は同時に目を丸くした。

 最初に言い返したのは、チンピラ二人のうちの格下のように見える方だ。

「ちげーよ。んだぁ小僧? また邪魔する気か」

「これでもオレたち、改心したんだぜ。今回は正々堂々、紳士にやろうと思ってだな」

「つまり、ナンパをしてたってことか? しかも帰り道の女子高生相手に……」

 そう言われて、格上のように見える方まで委縮してしまう。

「コイツがロリコンなんだよ」

「なっ、兄貴、それはないでしょう! 兄貴だってノリノリだったじゃないすか!」

「オレはテメーのお守をしてるだけよ」

 急に仲間割れをし出すチンピラたち。

 そんな男ども三人を尻目に、女子高生は信号を渡ってしまった。

「――」

 今度はそれと入れ替わるようにして、どこからか野良猫が寄って来る。どことなく薄汚い――いや経験豊富そうな猫は、彼らを小馬鹿にしたような鳴き方をしていた。

「おう相棒、お前も尾行に加わるか?」

 調子良く小声で話しかける上里。今は探偵の気分だったのだ。

 勝手に猫を『ジョン』と名付け、二人で事の成り行きを見守る。

 猫はそれすらも似たように一笑した。

「――どの道、これ以上変な気は起こすなよ。俺が見張ってるからな」

 ようやく折り合いがつき、格好良く決めたつもりなのか、暮林は信号を渡ろうとしていた。しかしながら青のタイミングを逃してしまい、居心地が悪いのか、チンピラと距離を取って信号を待つことにする。

「一遍負けた奴が何言ってやがんだ」

「言わせとけ。典型的な正義感の強い奴だ。そのうち痛い目を見るだろうさ」

 またもや、そんな会話があったわけだが、当然暮林には届いていなかった。

 ようやく信号を渡った暮林は、未だに上里の尾行に気付くこともなく、今度は商店街の中を進んでいた。後ろを行く上里には相変わらず、奇異の目が向けられている。二人は、それぞれが胸に抱いているものに夢中だった。

 暮林が商店街を進むのに合わせて、両辺の商店から声が飛んでくる。

 多くの呼び込みが飛び交う中、暮林はそのうちの一軒で足を止めた。

「蓮君。揚げたてのメンチカツがあるんだけど、どうだい?」

「ありがと、おっちゃん。――うん、美味い! やっぱここのメンチが一番美味いね!」

 どうやら精肉店のようだ。そこの店主らしき中年男性は、「そうだろう!」と満面の笑みになったが、すぐさま対向にある八百屋を睨みつけた。

「それはそうと蓮君。昨日はあいつに人参と大根を貰ってたよな? どうだった?」

「どうって、普通に美味かったよ。適当に炒めて食べた割には」

 八百屋の店主は、暮林を見つけて笑顔で返すが、精肉店の店主に気付くなり睨みに変えた。類を以て集まるとはこれを指すのだろう。

「無理しなくていいんだよ。あんなまずい野菜より、うちの肉の方が一番に決まってる! ほら、あっちの魚も。蓮君にはサービスするよ! 今度は友達も連れて来るといいさ!」

 鮮魚店も巻き込んで悪口を言う。どうやら、暮林の機嫌を取り合っているようだ。

「俺は適材適所だと思うけどな。それぞれ美味しくて、俺は全部好きだよ。――ごちそうさま。今はお金なくてごめんだけど、今度たくさん買いに来るからね」

「おう、頼むわ」

 精肉店も八百屋も、素直な暮林を見て、「良い子だ」とでも言いたげに頷いていた。

 ほんわかとした空気が流れる商店街。それは突如として切迫したものに変わった。

「おばさん! 危ないよ! 警報鳴ってる!」

 暮林の焦った声が響く。暮林が本当に悪魔なのか分析していた上里は、周りの人たちとは遅れて、みなが注目する方に目を向けた。

 甲高い音を鳴らし、バーで侵入を阻む踏切の中、牛歩で進む老人の姿がある。

 恐怖で立ち竦む周囲の大勢は、それをただ傍観するだけだ。

 暮林は鞄を投げ捨て、人混みを掻き分ける。

「おばさん、聞いてんの? 早く外に出ないと!」

 老人は耳が遠いらしく、何の反応も示さなかった。

 電車が見えるところまで近づいていると気付き、暮林は老人を抱きかかえる。

「ごめん! 力づくで行くね!」

 そして外まで避難させたところで、風を切る速さで電車が通り過ぎた。

 車内で慌てふためいた車掌の姿がちらつく。

 警報機が鳴り止み、バーが上がるのと同時に、拍手と歓声が暮林に浴びせられた。

 礼を言う老人と、それをかき消すほどの喝采が暮林を包む。

「どうも、どうも」

 誇らしげに頭を下げる暮林に、上里は「面白れぇ奴だな」と感想を呟いた。

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