②コール教室

 食堂で一人寂しく昼食を摂った上里は、五時限目は外階段で昼寝をして過ごし、六時限目は静寂の廊下をうろついていた。

 時折近くの教室から、授業中の教師の声が聞こえてくる。数学の奥深さを熱弁する男教師。妙にネイティブな英語を発音する女教師。果てには無音の教室も(自習中だろう)。

 あたかも世界旅行をしている気分だった。

「ほうほう、音楽室は誰もいないっと……。準備室は……さすがに鍵が閉まってるか」

 勝手に忍び込んだ音楽室で、探偵ごっこのように己の時間を満喫する。

 今頃上里のクラスでは、姿を眩ました上里にチェックを付けているだろうが、そんなことは彼には関係なく、思うままに我が道を進んでいるのだ。

「準備室って意外と面白いものがあったりすんだよな~。化学室も技術室も駄目だったし、この様子じゃ美術室も無理そうだな」

 その証拠に、上里は目の前の閉ざされた扉に対してのみ、嫌悪を感じているのだった。

「う~ん。この際部活棟に潜入してみるか。けどその前にこっちを精査しておきたい気持ちもあるし……。あ、そうだ、一番大事な奴を忘れてたわ。まずはそこに行ってみるか」

 ぴこんと頭上に電球が灯る。

 衝動に任せて小走りで階段を上がると、ドアノブに手をかけた。

「お、屋上の鍵は大丈夫なんだな。入れる学校は少ないって話だが、ここは行けるのか。今度一瀬を誘ってみるかな」

 ドア窓の向こうには未開の地が広がっており、上里の意欲を刺激する。

 上里はショートケーキのイチゴは最後に取っておくタイプだった。

「よし、この調子で三階もぐるっと回ってみるか」

 成功体験で勢いがつき、今度は階段を駆け下りると、

「……あ」

「……え」

 曲がり角で、会いたくない人種に遭遇してしまう。

「君、転校生の上里君よね? こんなところで何をしているの?」

 二十代前半くらいの女教師。初対面で一切の素性も知らない人間。

 上里はまだ、この学校の教師について詳しくはない。だが、何故か目の前の教師には、何か黒いものを感じた。

 上里は敢えて子供っぽく、

「校内探検だよ。転校生つったら、まずはやらないと駄目でしょ?」

 上里は根っからの『そういう人間』だ。

 別に可愛い返事をして、見逃してもらおうというわけではなかった。

 とそのとき、廊下の角から一人の女子生徒が現れる。

「新堂先生どうしたの?」

 同じように顔も名前も知らない人間だ。首元に青いリボンを結んでいるということは、同級生のようだが、人相とか漂う雰囲気みたいなものは、泉の方が面白そうだった。

 教師の方とは打って変わって、こちらからは明るい色を感じる。

 いや、『まだ』と言った方が適切かもしれない。

「ごめんなさいね。ちょっと待ってもらえるかしら」

 教師は生徒を視界の外に追いやる。

 そして直前の柔和な雰囲気が嘘のように、愛想のない表情を向けた。

「君、先生に対しては敬語を使いなさい。それと今は授業中でしょう? すぐに教室に戻りなさい」

「授業って言われてもねぇ。そんなんばっかじゃつまんないし、俺は俺の好きなようにさせてよ。先生こそ授業中なのに、なんで廊下をうろついてるの?」

 その瞬間、上里には教師の全身が強張ったように感じられた。まるで今までが、それらしい言動を演じていたかのようだ。

 痛いところを突かれたようで、取り繕うような態度になる。

「私は……六時限目は授業がないからよ。いいから教室に戻りなさい。それとまた溜口。このままだと指導の対象になるわよ」

 いよいよ教師の目に角が立った。

「おっと、鬼ごっこなら負けないよ」

「ちょっと、待ちなさい!」

 本能的に危険を感じた上里は、階段をジャンプで大きく飛ばして姿を消した。



 颯爽と一階まで下りてきて、近くにあった教室に滑り込む。運良く鍵は開いていた。

「ふぅ、あぶねーあぶねー……。元気な先生が居たもんだな。新堂ねぇ……。それにしてもすげー美人だったな」

 深呼吸することで、肩の動きを正常に戻す。

 さて、教室内を見渡してみると、田舎じゃ選ばれた人間しか持っていなかった文明の利器が、所狭しと並べられていた。話には聞いたことがある――これがコール教室か。

 一つくらい持ち去ってもばれないのではないか、そんな期待を抱いて機械の箱を眺めていると、一人の男子生徒が何やら作業をしていた。

 染み一つない緑のネクタイを提げて、艶のあるメガネを蓄えている。真面目を絵に描いたような出で立ちだ。コール教室だというのに、ノートパソコンを持ち込んでいる。

「何やってんだ?」

「わぁああ! 誰だ君は? 勝手に入って来るんじゃない!」

 興味津々になって画面を覗き込むと、男子生徒は当然のように仰け反った。

 自分の反応を恥ずかしく感じたようだが、上里は特に気にしない。

「もしかしてオマエも、俺と同じように授業をサボってんのか。だよな~、かったるい授業なんて出たくないもんな。パソコンを弄ってる方が絶対楽しいわ」

 ずけずけと心に入り込むかのように、となりの回転椅子にポジショニングをとる。

「僕を君みたいな不調法者と一緒にするな。僕は明瞭な理由があってここに居るんだよ」

 鼻を鳴らして、すぐに作業を再開する。

「けどサボってんのは一緒だろ」

「三年生は午後の授業が選択科目になっているんだよ。単位が足りていて選択する必要のない生徒は、午前の授業が終われば、あとは自由だ」

「じゃあ帰らないで何やってんだよ」

「だから言っただろう? 僕はやることがあるんだよ」

 無線のマウスを忙しなく動かしながら、時折キーボードで何か入力する。

 黒を基調に、カラフルな色が付箋のように点在し、英文字と数字だけの羅列が並んでいる画面は、端から見れば非常に退屈なものだった。

「う~ん。画面を見ただけじゃ、何をやってるのかさっぱりわからんな」

「だろうね。君みたいに失礼な後輩の知能指数なんて想像がつく」

 人を煽るのが得意な人種なのか、男子生徒は構わずに手を動かしていく。

 一方の上里は、その手の釣り針には引っ掛からない人種だった。

「俺、これでも賢い方だと思うけどな。俺が言いたいのは、曲作ってるのはわかるんだけど、何のためにこんなデタラメな曲作ってるのか、わからないってことだ」

 男子生徒は横目で上里を見ると、小さく舌打ちした。

「出て行ってくれ。作業の邪魔だ。このままじゃ、良いものが仕上がる気がしない」

「良いもの? こんなメチャクチャな旋律で、良いものなんてできるわけないと思うが」

 とうとう火を点けてしまったのか、タブを最小化してしまう。

「放っておいてくれ。好きでやってるんだ」

「なら俺も好きにさせてもらうよ」

 これ以上ヒートアップするのは面倒だと思った上里は、一旦距離を取った。

 教師用とシールが張られた机。その奥に存在するドアを確認してみる。

「チッ、ここの準備室も入れないのかよ……。全生徒のデータとか見れそうなのに」

 皮肉にも、上里にストレスを与えるのは、施錠されたドアだけだ。

 仕方がないので、何か面白いことができないか模索してみる。都合の良いことに、ここには無数の科学の結晶があるのだ。それこそ自分も作曲をして、格の違いを見せつけてやってもいいのかもしれない。

 上里は試しに、近くにあったパソコンを起ち上げてみたが、すぐに打ち止めを食うことになった。

「……むぅ。なぁ先輩、IDとパスワードを教えてくれないか。そういうのって、学校によって決まってるものなんだろ」

 男子生徒は沈黙を返事とする。これ以上慣れ合うつもりはないようだ。

 ため息を吐いて椅子にもたれる。その場でクルクルと回って気を紛らわしてみる。

 室外機の音が、静寂の教室に響くようになった。

 天井をしばらく見つめていた上里は、観念したように大声を出した。

「駄目だ! つまらん! 全くもって楽しくない! あれも駄目でこれも駄目! 高校って自由度マックスの学校じゃないのかよ!」

「喚くなら外でやってくれ」

「あ、そうだ。オマエ先輩だろ。この学校に潜む悪魔について何か知らないか?」

「悪魔? なんだその非科学的な言葉は? そんなもの居るわけないだろ」

 相変わらずの塩対応だが、上里は構わずに得意気になる。

「それが居るんだよな。俺の神様がそう言ってるし、間違いない。先輩、それについて心当たりがあったりしないか?」

 今度はパソコン越しに顔を覗き込まれ、男子生徒は鬱陶しい感情を前面に押し出した。

「情報を提供すれば、一人にしてくれるのか?」

 光を反射したメガネが煌めく。

「一人になりたいの? 良い曲を作りたいんだったら手伝うけど?」

「うるさい……。――そうだな……」

 自分の作業には触れるなといった感じで、重々しく席を離れる。

 そして窓際に近づくと、校庭で体育の授業をする生徒たちを指で示した。

「……あいつだ」

 だが、サッカー中の激しい動きのせいで、個人の特定まではできない。

「え、誰だ? 誰のこと言ってるんだ?」

「……今ゴールを決めてはしゃいでいる奴。君が探している悪魔はあいつだよ」

 言われて、その生徒が身に着けているジャージに目を凝らす。

「暮林……か」

「そうだ! 暮林だ! 直に授業が終わるし、彼の尾行でもしてみたらどうだい? 尻尾を出すかもしれないよ」

「たしかに、そういうのもアリかもな……。サンキュ先輩、試しに追っかけてみるわ」

 勇んでコール教室を飛び出す上里の耳に、男子生徒の声は届いていなかった。

「詰めが甘いな。所詮後輩は子供か」

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