②食堂

 四時限目終了のチャイムが鳴り、思い思いがまばらになって化学室を出て行く。

 黒板には、無数の文字が書き連なっていた。

「ひとまず今日の授業はここでおしまいです。何か質問があれば、どうぞ」

 教師が言うと、努力タイプの泉と限られた真面目な生徒たちは教卓の前に集まった。

 一瀬は天才肌タイプであり、その必要はないので、一足先に去ることにする。

「教室で待ってる」

「うん、先に行ってて」

 自慢するほどでもないが、一瀬は勉強をしなくとも、コンスタントに九十点台が取れる頭を持っていた。それを誰かに話す度に相手はその能力を羨ましがるが、一瀬には何が凄いのかよくわからない。普通に授業を受けていれば、テスト範囲の事柄くらい頭に入る。一瀬は決まってそう切り捨てるのだ。

 いつものように自分のクラスで彼女の帰りを待とうと戸を開けると、先客が一瀬の席を我が物顔で独占していた。

「よう、一瀬、久しぶり」

「誰だよ。他人の席に勝手に座らないでくれるか」

 追い払うと、今度は前の席に座り、体をこちらに向ける。

 前の生徒は所謂不良タイプなのだが、帰ってきたらまずいことにならないか心配だ。

「他人じゃなくて親友だろ。まさか、俺を忘れたわけじゃないよな~?」

 一瞬目を見開いた後、一瀬は悟った。

 ブレザーの下にパーカーを着る独自のスタイルや、初対面なのに図々しい態度、そして少年のようなあどけなさを感じる顔つき。田舎時代の友人、上里だった。

「転校生って、お前のことだったのかよ」

 まさかそんな奇跡みたいなことが起こるとは。

 驚きもあったが、それよりも旧友と再会できたことが嬉しかった。

「そこはさ、おう上里! 久しぶりィ! って元気良く返すモンじゃねーか?」

 一瀬の机に顎を乗せて上目づかいになる。家に遊びに来たときのようだ。

 教材を鞄にしまいながら、歓喜が悟られまいと冷静に返答する。

「昼飯前にそんな余裕はない」

「そういうもんか。まあいいさ。だったらとりあえず飯にすっか。俺、来たばっかで校内のことよくわからんし、食堂まで案内してくれねーか。積もる話もあるしな~」

 相変わらず飄々とした男である。気後れのきの字も見せないのだ。

 そこで一瀬は、対抗するように語気を強める。

「三人でもいいなら」

「三人? 誰? 畑でもいんの?」

「いるわけないだろ。お前、小学生で頭止まってんのかよ」

 やや上里のテンションに引っ張られそうになるが、強い意志で何とか保持する。

 そこへさらなる登場人物が入った。

「お待たせー、慎太郎。今日はどこにする?」

「こいつも一緒」

「あーなるほど。俺はいいよ別に」

 変に楽しそうな上里と、変に落ち着いている一瀬に、泉は「え」と声を漏らした。



 食堂は本館とは離れた位置に存在するため、一瀬は廊下を歩きながら、尾鳥高校の簡単な構造を説明していく。

 まず、尾鳥高校の本館は西棟と東棟に分かれている。

 西棟の一階には教科専用の教室と空き教室が並び、二階には一年生が、三階には二年生の教室が並ぶ。

 東棟の一階には同じように教科専用の教室と空き教室が並び、二階には職員室と放送室を主として他にも教材室が、三階には三年生の教室が並ぶ。

 その二つの棟を二つの渡り廊下で結べば、簡単な尾鳥高校の俯瞰図が完成するのだ。

 ちなみに本館のコブのように武道館も並列しているのだが、そこは今は割愛しておく。

「いいね~。自然溢れる中庭で昼食タイムか。まさに青春って感じだな」

 上里がぽつりと呟いていると、ようやく食堂に辿り着いた。ここに至るまでに他の教室もいくつか案内したこともあり、目的地にはすでに大勢の生徒が犇めき合っていた。安売りのパンコーナーでオークションの如く叫ぶ生徒や、券売機の前で奮発して高い定食を購入する生徒など様々である。

 一瀬と泉が持参した弁当、そして上里はカレーライスという形で、トークに耽る集団に交じって、同化するように食事を摂った。

「うん、うまい。これで三百はコスパがいいね!」

「……で、話ってなんだ」

「二人は付き合ってんの?」

「そうだよ。俺が女友達と二人きりで食事する奴に見えるか?」

「モテはするんじゃないか? さっきからちょろちょろこっちを見てる奴もいるし」

 右手でライスをかき込みながら、反対の手で近くにいる生徒を指差す。行儀が悪い。

「お前が気になってんだろ。転校生の初日なんてそんなもんだ」

「オマエらのファンってことはないか? こっちはそこまで自分が見られてるって感じないしな」

 食堂内を見渡すと、たしかに赤を身に着けた一年生が自分の様子を伺っている。

「大方、学校説明会に居たから気になってんだろ。現役生徒代表って頼まれたけど、こうなるなら断っておけば良かったよ」

「さすが慎太郎」

「なるほど。だから案内も手慣れてるわけか」

 一瀬は若干苛立っていた。そもそも積もる話があると言ってここに来たというのに、開口一番話を逸らしてきたのだ。泉も似たような感情のようで、じーっと上里を見つめている。いや、睨んでいるのだろうか。上里はそれすらも逸らそうとする。

「一瀬のこと、好き?」

「うん」

「そう。どういうとこが好きになったの?」

「ねぇ、上里君って慎太郎とどういう関係なの?」

 泉がきっぱりと腰を折ると、上里はわざとらしく驚いてみせた。

「親友だよ。小学校が一緒だったんだ。こいつ、今はこんなにクールぶってるけど、ガキの頃は俺と一緒に色々馬鹿やってたんだぜ」

「へぇ、それはそれでアリかな」

「脱線するな。話があったんじゃないのか」

 一瀬が泉側に回り、無駄話はそろそろ切り上げる。

「オマエ、平気なんだな。あんなことがあって、後遺症が残ってもおかしくなかったのに」

「不幸中の幸いって奴だろ。結果として三人無事なら、それに越したことはない」

「俺のこと恨んでたりするのか?」

「別に。そりゃまあ、自分勝手なお前には度々むかつくこともあったし、神様の声とか未だに意味わからないって思ってるけど……まあやっぱり、友達だしな」

 上里は口一杯に溜め込んだカレーライスを嚥下して、

「親友だろ」

「どっちでもいい」

 二人はどこか楽しげだった。

 過去を思い返す昔からの友人。そういう空気が二人を包み込む。

 しかしながら、後遺症やら不幸中の幸いやら、良くない単語が引っ掛かっている様子の人が一人いる。見たことないほどに嫌悪を示す泉。

 言葉に詰まった一瀬は、上里に逃げる。

「そう言えば、畑は元気にしてるのか?」

「畑……ああ、畑ね。畑なら去年に死んだよ」

「亡くなった? それ、本当か?」

「マジだよ。トラクターに轢かれてグチャグチャになってさ……。原型がないくらいミンチになってんの。夕飯のハンバーグが食いづらくてしょうがなかったよ」

「……」

 表現のきつすぎることを並べ立てる上里に呆れてしまう。

「冗談でもそういうこと言うなよ」

「ありゃ~ばれちったか~。そう、オマエの言う通り、畑は元気だよ。五体満足で、いつも家の仕事を手伝ってるくらいにさ。一応、場を和ませようと思ったんだけどな」

「友人を出汁に使う奴がいるかよ。それと、するなら明るい冗談にしろ」

「え、ブラックジョークって知らないのか」

 若干引いている泉を受けて、今度は上里が言葉に詰まる。

 もしや本当に、面白いと思って披露したのだろうか。

「お前の中の神様は、この状況をなんて言ってるんだ」

「ん~。中々面白い奴と付き合ってんだな、オマエ」

「上里以上の奴はこの学校にはいないと思うが」

「どうだかな~。案外燻ってる奴が居るかもしれないぜ。一か月そこらじゃ、後輩のことはまだわからないだろ」

 なるべく友人の空気を楽しもうとしつつ、ちらりと横を伺う。

 泉は頑として表情を変える気はないようだ。

「……警戒されてるな」

「当然だ。俺だって常に気を張ってるんだ」

「……うん、うん、うん……あぁ、なるほど……」

 上里は少年のときのように、虚構を見つめて呟き始める。

「よし。ここは親睦会としゃれこもうぜ。放課後、俺に付き合ってくれよ」

「どこか行くのか?」

「高校生と言えば青春だろ。童心に帰って楽しいことしようぜ。泉も来るだろ?」

「慎太郎が行くなら。もちろん」

 即答する態度がツボに入る上里。

「ハハッ、決まりだな!」

「……もうちょっとゆっくり食えよ」

 別にカレーライスを早く食したところで、すぐに放課後になるわけではない。

 そう諭す一瀬のとなりでは、泉が白けたような表情をしていた。

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