⑤夜の公園
さて、暮林は悪党を退治して名を挙げようという算段で、警察署前に姿を見せていた。出入り口付近に立っている警官にはばれないように、物陰に身を隠す。ここからなら警察署から出てきたばかりの悪党どもを懲らしめられるというわけだ。
警官がちらりと視線を向けると、暮林は出していた顔をすぐに引っ込めた。
また来たよと言わんばかりの顔をしていたが、きっと気のせいだろう。
「ふぅ。危うく職質されるところだったな。大義の前にさすがに格好つかない……」
大義のためと暮林は形容するが、ここで見張っていたところで、極悪人に巡り合えるわけではない。そもそも警察署に用がある人間のほとんどは、警察を頼ってのもののはずだし、悪党が居たとしても、それは警察がもろもろの処遇を下した後だ。
すなわち暮林が狙っているのは、人生に汚点が付いた後の人間で、ハイエナのような行動となるとマサキの言う通り、ダサいと表現せざるを得ないのである。
通行人に怪しむ目を向けられながらも、どれくらいが経っただろう。大体数十分が経過したとき、見覚えのある二人組が、下を向きながら署内から出てきた。
「散々な目に遭ったな。小僧、次遭ったらぶっ殺してやる」
「ねぇ兄貴、罰金と懲役って選べるんすかね。だったらオレ、罰金の方がいいんですけど……。コエー男どもと一緒なんて嫌っすよ」
「馬鹿、そういうのはオレたちが決められるモンじゃねぇんだ。とにかく反省してますって面してりゃいいんだよ」
「こんな感じっすか?」
「……おう、やるじゃねぇか……じゃ、オレも……」
けらけらけら。
件の誘拐犯の二人組である。およそ日中に罪を犯したとは思えない態度だ。
「あいつらっ……!」
暮林は勢い余って姿を晒していた。
「楽しそうだな、あんたら。ちょっとは反省してると思ったら――。そんな様子は一ミリもないと見える」
「反省してるって。ほら、見て」
弟分の悪党が、表情に影を落とす。その顔つきは本当に反省しているように見えるほどだ。生まれてきてごめんなさい――下向きの線が見えるほどの熱演に、暮林は納得してしまいそうになる。
馴れ合いも程ほどに、兄貴分が青筋を立てる。
「よくもまあオレたちの前に姿を現そうと思ったな。女は逃がすし、警察には捕まっちまう。おまけにオレの愛車をぶっ壊しやがって。オトシマエ、ちゃんと付けてくれるんだろうな」
「ヤクザ被れな言い草だな。それで次はなんだ? 喧嘩でもしようって言うのか?」
暮林は内心、興奮し切っていた。死ぬかもしれないなんて毛頭考えてはおらず、数分後には、地面に倒れ伏す悪党を前に、仁王立ちしている姿を想像しているくらいだった。
喧嘩は得意だ。中学時代にもマサキと組んで、幾度となく不良生徒をボコボコにしたことがある。相手が大人だったとしても、ただのチンピラに負ける気配なんてしなかった。
「兄貴とやる気か? いい度胸だなぁ小僧」
「だったら、もっと相応しいところでやろうぜ。ほら、こっち来いよ」
「あっ! 待ちやがれコノヤロー!」
悪党側は目の敵を追いかけているつもりだろうが、暮林にはただの鬼ごっこに過ぎなかった。最悪周りに助けを求めればいいわけだし、こういうのは大好物だった。
体が火照っているのがわかる。血の巡りが早くなっている。
暮林は気持ち良さそうに裏路地を駆けていた。後方では悪党が息を切らしている。
このまま振り切ってしまうことも可能なくらいに余裕だったのだが、曲がり角で悪党を待つことにした。
「ほら、こっち来いよ」
「んのヤロー! ナメやがって!」
「待ってくだせぇ、兄貴! さっきの事故が結構効いてましてっ!」
「るせー! いいから付いてこい!」
その後も一方的な鬼ごっこは続いた。
近所にある公園に逃げてきた暮林は、最初に人がいないかを確認した。夕暮れ時だったということもあり、幸い、小学生が遊んでいるとか、そういう心配はしなくても良さそうだった。遊具のエリアにはちらほらと人影が見えるが、少なくともこちらの広場エリアにはいない。今から始まるヒーローの戦いに一般人を巻き込むのはナンセンスであり、凱旋にさえ出席してくれれば十分なのである。
「よし。ここならいいだろう」
暮林が振り返ると、悪党が肩で呼吸している。
「根性あるじゃねぇか小僧。自分から人気のないところを選ぶなんてな」
「見込みはあるな。出会いさえ違ければ、可愛がってやったのによ」
「可愛いがる……?」
予想外の発言に、暮林は思わず吹き出してしまった。
「いや、それはないね。俺は俺という存在をデッケーものにしたいんだ! それなのに、あんたの子分みたいにペコペコして生きていくなんてありえないよ!」
「このっ! オレはペコペコなんてしてねーぞ!」
兄貴分が興奮した弟分を宥める。
「それに、なるとしたらそっちが子分になれよ! 俺に付いてくれば、もっと高みまで連れて行ってやるぜ!」
悪党は気圧されてしまったようだった。当然だ。高校生にもなって、こんな子供染みたことを言う奴がいるとは思わなかったのだろう。
それと同時に、こんな奴に企みを邪魔されたという怒りも湧き上がってきたようだ。
悪党に言い返す気力が戻ってくる前に、暮林は問いかける。
「なんで誘拐なんてしたんだ?」
「はぁ?」
「ニュースとかネット記事を見ていつも思うんだ。なんで悪党っていうのは、悪いことをしようと思うのかなって。だってそうだろう? 悪いことして嫌われるより、良いことをして好かれる方が気持ち良くないか?」
「馬鹿だな、お前。そんなのメリットがあるからに決まってるだろ」
「道徳や倫理をかなぐり捨てれば、楽に欲しいものが手に入るんだぜ? 一つ、レイプができる。二つ、身代金が要求できる。三つ、最悪バラバラにして臓器を売り飛ばす。少しは考えれば簡単なことだろうがよ?」
「……」
そんな下らない理由を掲げて、世の中の悪党は生きているというのか。
兄貴分が意気揚々と熱弁するさまに、暮林は一気に沸騰した。
「なるほどなぁ……。そうやってあんたらは、ズルをして目立とうとするわけか。一発ぶん殴りたくなってきたぜ」
「別に、目立とうなんて思っちゃいねぇさ。体がそれを必要としてるんだよ」
「真っ当に働けばいい話だろ」
「働く? おいおい、オレたちに説教がしたいのか小僧? そんな下らねぇこと、やる方が馬鹿だろって話だ。逆に教えてるよ。人生はな、いかにズルできるかなんだよ!」
「さすが兄貴! いいこと言うねっ!」
「……」
二三小言をほざくだけなら、まだ可愛いものだと思っていた。
「うちの生徒を危険に晒した上、今度は世の中の仕事人を侮辱するってか……」
だが、こればかりは、見逃すわけにはいかなくなった。
「一発じゃ足りないみたいだな……。あんたらには百発くらいお見舞いしてやらないと」
「やってみろよ、小僧……」
暮林は想起していた。日常的に垣間見るたくさんの悪事を、悪党に重ねて見ていた。
ネット上に悪口を書き込む奴。
コンビニで他人の傘を盗む奴。
電車で席を譲らない奴。
子供に暴力を振るう奴。
女性の存在を軽視する奴
気に入らないからって殺す奴。
大義のために戦争を起こす奴。
意味不明な思想でテロを起こす奴。
みんながみんな、ズルをしていること、暮林はそれが許せなかった。
だからこれは、一種の憂さ晴らしでもあった。
「その性根! 俺が叩き潰してやるぜ!」
「息巻いたって無駄だ。行くぞ、足引っ張んなよ」
「任せてくだせぇ、兄貴ィ!」
『鞠那の風神雷神』と呼ばれたその内の一人。
今日一日、なんだかイライラすることの多かった暮林は、右手拳にすべてを乗せて、全身の力を一点に込めて、思いっきり振りかぶった。
「砕けろクソ悪党ォオ!!!!」
――数分後。
「ようやく、大人しくなりやしたね」
「全くだ。ガキのくせにてこずらせやがって……」
暮林は倒れ伏せ、天を仰いでいた。健闘もむなしく、負けてしまったのだ。
「行くぞ。借りは返した。これ以上こいつと張り合っても馬鹿が移るだけだ」
「そっすね」
悪党が遠のいていく。まだ八十発は殴らないと気が済まないのに、体が言うことを聞いてくれない。全身アザだらけで血が流れている肉体は、もういいだろ、と脳に語りかけてくるようだ。
夕焼け空は暗闇に染まっていた。
「鈍ったかなぁ……。二人ごときに負けるなんて……」
クォーターとやらの友人たちと遊んでいるのが良くないと言うのか。中学時代は無敗だったというのに。いや、純粋に自分の問題だろう。
そう思案しながら、ヒリヒリと痛む指を折っていく。
「うん、二十発殴っただけ、良しとするか。五分の一の活躍ってことで……」
自分の努力を噛みしめ、いつか武勇伝を友人に語ってやろう――暮林がそう思って疲労困憊に身を委ねようとすると、聞き覚えのある声が近づいてきた。
「ホントにこんなところにいんのかよ」
「バヤシからメッセージがあったんだから間違いないだろー。ったく、あいつどこほっつき歩いてんだ」
「ね、マサキ、あれ、バヤシじゃない……?」
混濁する意識を掻き分けると、ヒラッペ、マサキ、クロスが連れ立って歩いてくるのが見える。
「援軍、おせーよ。馬鹿やろー……」
暮林はそこで、砂漠に染み込む水滴のように瞳を閉じた。
――――
全身ボロボロになっている暮林を見て、マサキは静かな怒りを漏らした。
「待てよ、オッサン」
「ああ? 誰がオッサンだぁ?」
「俺の友達、ヤったのあんたらでしょ?」
「なんだよ、小僧のツレかテメーら。兄貴に対する態度には気を付けろよ?」
マサキは合点が行ったように、中年二人組に敵意を向ける。
さっきまでのゲーム大全からは想像もつかない気迫を帯びていた。
「ってことは、間違いないみたいだな。ヒラッペ、クロス、やれるよな?」
「お、おう、バヤシの敵討ちか! やってやるぜ!」
「別に死んではないでしょ……。あ、痛いのはできるだけナシでお願いね……」
「十分だ。行くぜ!」
『鞠那の風神雷神』と呼ばれたその内のもう一人。
マサキは中学時代の全盛期ばりに、久しぶりに大きく腕を鳴らした。
頬っぺたを叩かれた。意識が取り戻す衝撃はたしかにそれだった。
殴られるでもなく、暮林が頬っぺたを叩かれるなんて、小学生の頃に寝坊して親にされたのが最後である。
「おい、起きろって。……ヒラッペもやってみるか」
「……いでっ!」
一際力強く叩かれて脳が震える。
ぼんやりとした視界に、個性的な三人の顔が浮かんだ。
「バヤシ、お前何やってんだよ。パトロールしてたんじゃないのか」
「思うに、悪い奴を見つけて、喧嘩を吹っ掛けたって感じ……?」
「フフッ、それで返り討ちにされたんか? 笑うわ、さすがに」
好き勝手言ってくれる友人たちが、何故だか心地良く感じる。
どういう状況か理解してきて、暮林は立ち上がった。
「つつつ……いてーな……」
「おー、さすが馬鹿力のヒラッペじゃん」
「マジ? そんなに効いたの?」
一発ギャグをしたわけでもないのに、無駄に大笑いをしている。
「違うって。普通に殴られたから痛いんだよ」
「何があったの……?」
「まあ色々と……」
言葉を濁すしかなくなる。誘拐の下りまで遡るのは面倒だ。
ただ、やはり気になることはある。
「お前たちがやったのか?」
離れたところで倒れている悪党を認める。気を失っているようだが、どことなく気持ちよさそうに眠っているようにも見える。殺伐とした空気も今はなくなっている。
雨降って地固まるとも言うが、全力で殴り合えば形容し難い感情になるということは、今までに何度も経験していた。
マサキもそれを理解したように穏やかに言う。
「まあ。ちょっとシメてやっただけだ」
「これって、通報したら感謝状貰えるかな?」
「どうだろうなー。四対二だし過剰防衛になるんじゃないか?」
はは、と笑うマサキ。焦っている様子はなかった。
「なら、そのままにしておく他ないか……。もったいねぇ……」
「こんなん今までも何回かやってきたろ?」
「子供の喧嘩とは別物だろ。ヤンキーを倒したなんて一生使えるエピソードだぜ」
「まっ、そうかもなー。そんときは俺の名前も出してくれよー?」
マサキが背中を叩いてくる。一気に眩暈が覚めていくようだ。
「とりあえず、戻ってゲームの続きでもしようや」
「そうだね……コーチングしてくれるって話でしょ」
愉快な空気が四人を包み込む。
図らずとも、チーム『クォーター』の初陣はここに決まった瞬間だった。
三人が公園を去ろうとする中、暮林は赤ん坊のように眠っている悪党を見下ろしていた。
「どうしたーバヤシ? 行こうぜー?」
「何回殴った?」
なんとなしに問うてみる。
せっかく盛大に暴れたのだ。念のため確認しておきたいことがあった。
「んー、俺は十回くらい?」
「ヒラッペは?」
「俺もそのくらい」
「お、俺も一回ずつ殴ってやったよ……」
食い入るようにクロスが報告するから、マサキとヒラッペは爆笑する。
「やるじゃん、クロス」
「お前が悪い方向に成長しそうで怖いわ」
「へへ……スカッとした」
つまりあれだけ格好つけて宣言したというのに、半分も満たしていないということか。
暮林の怒りは、仲間の会話を聞いているうちに、寒い夜のように冷めていった。
「そうか……。けどま、死体蹴りは趣味じゃないかな……」
とりあえず今回は、愉快そうな仲間に免じて大目に見てもいいのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます