③ボンネット上

 校門とは反対側にやって来た二人は、校庭のフェンスに紛れている扉を開いていた。

 おそらく業者か何かが使う出入り口で、まず生徒が使ってはならないであろう扉だ。

 校庭で部活動に励んでいる生徒が訝しげな目を向けるが、気付いていないふりをする。

「へぇ、尾鳥にこんな裏口があるなんて知らなかったな。一年も通ってんのに、まだ知らないこともあるんだな」

「一年……ああなるほど、一瀬って先輩だったんだ。青って二年生の色だもんな」

 先を行く一瀬に続いて、暮林も学校の敷地から外に出る。

 二人の首元には、それぞれ赤と青のネクタイが揺れていた。

「やっぱり気づいてなかったのか。まあそんな気はしていたが」

 暮林は思い出す。

 尾鳥高校は学年ごとにネクタイ及びリボンの色が違うのだ。ちなみに現三年生は緑であり、来年に新一年生が入学した場合は、スライドして一年が緑になる。

「えと……これって、敬語じゃないと駄目な感じ?」

「いや、いいよ。お前は溜口の方がキャラに合ってるよ。今さら変えられても違和感になるしな」

「そっか。一瀬がそう言うならいいんだけど」

 閑静な住宅街で言葉を交わしていく。

 褒められているのか貶されているのかわからないが、暮林は一瀬の発言を素直に受け止めた。

「じゃ、ここでお別れだな。助けてくれて感謝するよ。もし校内で会うことがあったらそんときにな」


 ――と、いい感じで帰路に着こうと思ったときだった。


「なぁ一瀬、さっきの女子って一瀬とどういう関係なんだ?」

「なんだよ急に。お前とそこまで親密になったつもりはないんだが」

「酷いこと言ってくれんなぁ。まあいいからさ、あれ、見ろよ」

 暮林が指で示す先を追うと、件の女子生徒が、無骨な格好をした成人男性二人に囲まれている。しかも力づくといった感じで、近くに駐車されたワゴンに乗せられそうになっていた。

「あれって家族だったりするわけ? にしても本人は嫌がっている気がするけど」

 まさかナンパでもされているのだろうか。容姿からしてあり得ない話ではない。

 考えを巡らせる暮林だったが、それは違うと行動で突き付けられる。手で口を押さえ声が上げられないようにした上で、二人がかりで小さな体を抱き上げたのだ。

「もしかしてあれってさ……」

 フィクション作品くらいでしか見たことがない光景に、一瞬だけIQの下がった暮林は適切な表現を探していた。

 そうこうしているうちにワゴンは発進し、すぐ横を通り過ぎようとする。

 その際、窓越しに女の叫声が聞こえた。

 助けて!

 彼女はそう叫んでいた。

「誘拐だ!」

「あーそれそれ。って、え、誘拐って現実で起こるもんなのっ!?」

 石火の如く追いかける一瀬にワンテンポ遅れつつも、暮林もその後に続いた。




 日中で行われた大胆な女子高生の誘拐。それは日常とはあまりにもかけ離れた出来事だ。

 事件が起きたのが人通りの少ない裏路地だったせいもある。一瀬を待つ女子生徒が業を煮やして帰ろうとしたところを捕まったのだろう。こうなるとわかっていれば、一瀬に裏口を教えるべきではなかったのかもしれない。

「一瀬! このままじゃ追いつけるわけがない! 先回りするんだ!」

 ワゴンの背中が確実に遠のいていく。機械のスピードに人間が勝とうなんて無謀すぎる。

 幸い曲がり角で減速しているがそれも雀の涙、追いつく前にすぐに加速されるだろう。

「そこを曲がれ!」

 暮林は声高に叫んだが、相当焦っているのか、一瀬の耳に届くことはなかった。

「……っ、仕方ないな!」

 直進する一瀬は捨て置くことにして、左にあった脇道に入る。

 この辺の地理の詳しさで言えば、暮林の右に出る者はいない。

 一心不乱に疾走する暮林だったが、このタイミングでギアを一段上げた。

 是非を分かつのは、ここで全力を捧げられるかどうかだ。

「走るのだったら得意中の得意だからな!」

 自分の荒い息遣いが鮮明なものになってくる。

 暮林の足の回転は見る見るうちに速くなっていった。

 住宅街を通り抜け、大通りが見えてくると、それと同時にワゴンが視界に収まる。

 暮林はなおも足を前に運び続け、そのまま進行方向に割って入った。

「――っ!」

 時速五十キロは出ているワゴンのフロントガラスに飛びつく。

 腹部に重い衝撃が入るが、角度が良かったのか痛みは大したものではなかった。

『な、なんだよこいつっ!』

『いいから振り落とせ!』

「……フフッ、いいね。生きてるって感じだ」

 本来なら死んでもおかしくはない――いや死んでいると言ってもいい状況なのに、暮林は笑っていた。何故ならこういう洋画みたいな展開に、赤ネクタイを着けた悪人顔の高校一年生は憧れていたからだ。さすがに死ぬのは勘弁だが。

『クソッ! 邪魔だ!』

 運転手が乱雑にハンドルを切ることで、ワゴン全体が揺さぶられる。それでも暮林はフロントにしがみついて離さなかった。むしろ揺れる際に車内が見え、女子生徒の安全が確認できたことで、暮林の情熱が滾っていく。

 横断歩道を爆走した際の誰かの悲鳴も――。

 倍速しているように奥へと流れていく周囲の景色も――。

 そして冷や汗を浮かべている悪党の阿呆面も、すべてが演出にしか感じられない。

『おい、気を付けろ! ――ああっ、前っ前っ!』

 またもや悪党二人組の焦り方を心地良く感じてしまった暮林だったが、直後、恍惚ではどうすることもできないほどの衝撃で意識が飛んでしまった。



 ガードレールにぶつかった際に穴が開いたのか、ガソリンと砂煙が混ざった異様な臭いが鼻を撫でる。それは勝利と成功を勝ち取った証でもあった。重くなった身を起こしてみると、雑ながらも受け身をとったのが功を奏したのか、特に痛みを感じることはない。

「大丈夫か?」

 青ネクタイを着けた見た目優男中身ぶっきら棒な奴が、暮林のことを見下ろしていた。

「つつつ……。派手なアトラクションだったな……」

「そうだな。まったく……予想外の無茶をしやがって。咲良がケガしたらどうすんだよ」

「咲良……?」

 格好良く決めたつもりの暮林を尻目に、一瀬が後部座席のドアを開く。

 制御を失ったワゴンはカードレールに突っ込んだらしく、小さな煙を巻き上げてすべてを静止していた。その証拠に、ボンネットは巨人がデコピンしたように凹んでおり、同じくガードレールも命を果たしたようにアーチ状に曲がっている。

 悪党の二人は座席で伸びていた。

 周囲を見渡すと当然のように野次馬が集まっており、中にはスマホを構えて撮影している者も居た。SNSに投稿された後の劇的な展開を期待して、つい顔の筋肉が緩んでしまう暮林だったが、さすがに事が大きいことを再認識し、若干身震いしてしまう。

 致命傷は負っていないが、制服に所どころ穴が空いており血も出ている。

「……大丈夫?」

「あ、ああ……」

 女に声を掛けられると同時に、目の前に手を出される。

 ともかく救出対象が無事で何よりだった。

「ちょっとは礼くらい言ったらどうだ?」

 相変わらずぶっきら棒な一瀬に、暮林は調子良く言った。

 このまま感謝の一言もないのでは、体を張ったというのに浮かばれない。

「助かったよ……。俺一人じゃ、最悪の事態になってただろうな……」

「ありがとう! うちの慎太郎がごめんね!」

 となりでぴったりくっついた清楚な女が、求めていた言葉を代わりにくれる。一瀬の呼び方から察するに、彼女の名前は咲良というのだろう。

「いいっていいって! 俺頑丈だからさ! ちなみに名前は暮林蓮ね!」

 暮林は、ひとまずはそれ以上を求めなかった。

「チッ、面倒だな。部外者だからって楽しそうに見物しやがって……」

 一瀬の独り言で意識が移る。

 レンズの光は、なおも三人を集中していた。

「どうする、慎太郎? これって良くない状況、だよね……」

「行こう。警察を呼ばれる前に逃げるぞ」

「待てよ! 俺のヒーローインタビューは?」

「ヒーローインタビューの前に道路の弁償代を請求されるかもしれないぞ」

「あー俺、バイトはしない主義なんでそれは勘弁!」

 慌ただしくも解決した誘拐事件だったが、暮林にとってはそこで幕引きとなり、あとのことは警察やら救急に押し付けることにして、せっせと逃げおおせるのであった。

 可能であれば、鞠那の英雄として、誰かが語り継いでくれればいい。

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