②放課後

 尾鳥高校でのアップデートもとい授業が終わり放課後になると、各々のグループは談笑を伴って散り散りに教室を出て行く。

 部活に所属していない暮林は、それに倣って下校の支度をした。鞠那を愛する暮林にとって、部活動に現を抜かしているようでは駄目なのである。

 今日も暇の空いている友人を誘って町のパトロールをしよう。そんなことを考えていると、件の友人マサキの声が後ろから聞こえてきた。振り返ると、作ったような表情で申し訳なさそうにしている。

「……なんだよ」

「お前に頼みがあるんだ。あのノートの山、化学室まで運んどいてくれないかな。ほら、化学室って一階の隅っこにあるだろ? 量も多いし……。部活に急ぎの用があるんだ。だから、な? 引き受けてくれよ」

「俺だって暇じゃないんだ」

「どうせその辺を散歩するだけだろ。これも人助けの一環ということで。友達の代わりに届けに来たって言えば、評価爆上がりだぜ?」

「……まあ、いいけどさ」

「サンキュ! 助かる! 今度何か奢るからよろしくな!」

 断りたいと思う頼まれごとも何度かあったが、この程度なら許容範囲というもの。荷物運びなんて息をするように慣れていた暮林は、バッグが邪魔にならないように担いだ。

「しゃーねぇ、ちゃっちゃと運ぶか」

 ちょっとの拒否反応を示したのは、友人の表情が下手過ぎて気に入らなかったのだ。



 クラスメイトのノートを両手に抱え、人通りの少ない廊下を歩いていくと、段々と周囲の影が多くなる。どういうわけか化学室というものは、向かうのが億劫になるほどに、校舎の隅の隅、ジメジメしたところにあることが多いのである。

 慎重にノートを運んでいると、階段を下りてきた生徒とぶつかってしまう。

「――ああっ、ヤベっ!」

 バランスを取り直そうにも反動が大きく、あえなくノートは散らばった。

 心の中でため息と舌打ちを乱舞させるが、言動には一切として出さない。これしきのことで暮林は動じないのだ。

 気を抜いていた自分に非があるのはわかるのだが、せっかくなら拾い集めるのを手伝ってくれてもいいだろう。そう思って暮林は、ちらりとぶつかった生徒を見上げた。

「…………」

 名前も知らない生徒は、暮林に無機質な視線を向けていた。無様な姿を嘲笑するわけでもなく、ぶつかったことに怒っているわけでもなく、かといって申し訳なく思っているようにも見えない。その吸い込まれそうな瞳に、暮林は恐怖を覚えたくらいだった。

 制服にはピンク色のネクタイピンを留めている。

 生徒は暮林を一瞥すると、何も言わずに玄関の方へ去っていく。

「なんだ、あいつ……」

 喧騒へと向かう無音の生徒。

 得体の知れない雰囲気に軽くぼやいた後、せっせとノートを集めて化学室を急いだ。

 次の瞬間には、生徒の人相はすっかりと忘れていた。



 目的地の近くまでやって来ると、不自然なほどに窓の向こうを見つめている男子生徒が居た。何を見ているのか気になったが、ひとまずノートに専念する。

 化学室の教卓で全校生徒のノートをチェックしている先生に声を掛け、僅かな褒美として感謝と笑顔を受け取ると、手に持っていたノートを置いて教室を出た。

 男は、さっきと同じところに同じ格好で、同じように窓の向こうを見つめていた。

「なぁ、さっきから何やってんだ? ずーっと外見てるけどさ」

「別に。まあ色々あってな」

 任務を遂行した反動でつい話しかけてしまう暮林だが、相手の方は素っ気なかった。

 若干ムキになって男の視線の先を追ってみる。

「なんだよ、キスしてるカップルでもいるのかよ……」

 冗談交じりにそんなことを呟いていると、校門付近に存在感を放つ生徒の姿があった。

「お、もしかしてあの女子が気になってんのか?」

「気になってると言えば気になってる」

「へぇ」

 淡い妄想が脳内で花を開く。

 長い髪と皺ひとつない制服。顔のパーツは選別したように整っている。出ているところはしっかりとその存在を主張しているが、メイクも薄めに仕上げていることから清楚な雰囲気を醸し出している。

 それとは打って変わって、目の前の男はぶっきら棒な印象があった。

 そんな男が、彼女を遠くから見つめている理由なんて一つしかないと思っていると、

「だが、断じて恋してるとかじゃないぞ。あいつから逃げてるんだよ」

「逃げてる、ね……。風紀委員ってわけでもなさそうだけど。たしかに誰かを待ち伏せてるって感じだ。ありゃ諦めそうにないぞ」

 言われて、改めて校門を見つめる男。

 女はスマホを弄っているが、どことなく刑事ドラマの張り込みを想起させるようだ。

「そうだな。だから正直のところ困ってたんだ」

 不躾に話しかけたことに落ち度がないとも言えない。

 どうにも何か事情がありそうだと踏んだ暮林は、詮索する必要もないし、一つの提案をしてみた。

「なら、裏口があるんだけど教えてやろうか?」

「裏口? そんなものがあるのか?」

「校門以外にも出入り口があるんだよ。遅刻しそうになったときに使ってる奴がさ。ちょうど俺も帰るところだったし、付いて来るか?」

 男は逡巡するように目を泳がせたが、すぐに思い切りを見せた。

「そうだな、そうさせてもらうよ」

「よし。俺、暮林。お前、名前は?」

 先導する暮林は意気揚々としている。

 男は観念したように、

「……一瀬だ」

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