23 ムスクの夜
22:00、ハルはナツと交代した。これから3時間の運転だ。
ナツは「おやすみ〜」とあくびをしながら去っていった。さっきまでのハルみたいに、考え込んでいる様子はない。会談の様子が気にならないのかって思ったけど、むしろ、考えすぎる方がおかしかったのだ。さっきクロイドに言われたとおり、この列車を終点まで無事に走らせることが、自分の仕事なのだから。
列車は海底の峡谷に敷かれたシーチューブの中を走行している。既に夜も遅いため、シーチューブ自体に明かりはなく、ヘッドライトの細い光だけが前方を照らしていた。日の光も届かない暗い海の底で、ひとりぼっちになっているような気分だった。
暗い夜の運転は不思議な気分になる。風も吹かない海底では、寂寥感が漂っている。耳をすませば聞こえてくる機関車の鼓動が孤独を際立たせる。ハルは静寂の中で自分の思考に没頭していた。
ほのかな緊張感が胸を揺さぶる。夜道の先に何が待ち受けているのか、心の奥底で不安が漂う。しかし、勇気を持ってこの暗闇の中に身を投じている。対向列車のライトがまばゆく車内を照らし、一瞬、視界を奪うが、轟音と共にすぐに消え去っていく。
22:30、ふと前方を見ると視界が開けてきた。ダムチャ鉱山を含む山岳地帯を抜けて、再び海底の平原を走り始める。あと1時間もしないでムスクのシードームに到着する。
峡谷を走行している時は、周りを黒い壁のようなもので覆われているようで圧迫感もあったが、平原に出ることで解消された。解放感のある深夜の海底をひたすらに走り続けている。
さて、周りに何もなくなると、変わりに来るのが眠気だった。ハルは普段早く寝たいタイプの人だから、夜遅いこととこの殺風景な景色によって、彼の眠気は徐々に増していった。
自分でも、対策をしないと眠くなってしまうことは理解していたので、何かをしようと周りを見渡した。まずは目薬をさした。これで少しはもつだろう。そして飲み物だ。昼間ならこれからコーヒーだが、この時間帯に飲むと、もうすぐやってくる仮眠時間に眠く無くなってしまう。だからカフェインの入っていない、冷たい炭酸水を飲むことにして、軽い刺激で目を覚そうとした。そして最後に、手元にあったタブレットで漫画を読むことにした。こうしておけば、なんとか交代まで眠らずに済むと思う。暗い海底の陰鬱さを吹き飛ばすように、彼はギャグ漫画を読み、静かな時間を過ごした。
23:25、前方が明るくなった。ムスクのシードームの明かりだ。他のシードームもそうだが、暗闇にポツンと明るく輝くシードームは、まるで大洋をいく豪華客船のようだった。列車はゆっくりとスピードを落として、その輝きに近づいていく。
23:42、シードームに入り最初の駅、ペトリョフに停車した。ここは貨物ターミナルの面影が強く、乗客の乗り降りは少なかったが、前方の貨物車では大量のコンテナが積み下ろされていく様子が見えた。
15分の停車時間が過ぎ、23:57、ペトリョフを発車した。そして日付が変わった10分後、0:07にこのシードームのメインターミナル、ムスク駅に到着した。
ムスク。その名は、巨大な都市を思わせる。この街は、歴史と現代が交錯する、鮮やかな色彩と息をのむほどのスケールで彩られている。
その街は、朝の光がまだ薄明かりを放つ中で目覚める。古い建物のレンガがやわらかなオレンジ色に染まり、街全体が目覚める様子が感じられる。人々は急いで仕事や学校へと向かい、街はにぎやかな活気に包まれる。
ムスクの中心部には、壮大なる建造物がそびえ立っている。何度か起きた革命や政治闘争の中心地となった王宮の赤い壁がその存在感を主張し、その中には歴史と権力の象徴が眠っている。その前にはムスク川がゆったりと流れ、その風景はまるで絵画のように美しい。
街は広大であり、交通量も多い。道路には車が行き交い、人々は歩道を歩きながら自分のペースで進んでいく。商店街には高級ブランドの店舗が軒を連ね、美味しい料理が楽しめるレストランが点在する。人々は買い物や食事を楽しむために集まり、笑顔と笑い声が響き渡る。
夜になると、ムスクはまるで夢の中に迷い込んだかのように美しく輝く。建物やモニュメントがライトアップされ、夜空には色とりどりの光が舞い踊る。夜の街は活気に満ち、人々は夜の喧騒に身を任せる。
しかし、ムスクには静寂な場所も存在する。公園や庭園では、人々が散歩やピクニックを楽しんでいる。そこでは季節の花々が咲き誇り、風がそよぐ音が耳に心地よく響く。
ムスクは、複雑な都市でありながら、人々が心地よさと喜びを見つける場所でもある。この街は、歴史と現代、伝統と革新が融合している。
ムスク駅は、そんなムスクの心臓部にたたずむ、歴史と優雅さが息づく駅である。その存在感は圧倒的であり、一歩足を踏み入れるだけで、まるで別世界へと誘われるような魔法に取り憑かれるような感覚にとらわれる。
重厚な駅舎は、壮麗な建築様式と装飾で飾られている。石畳の広場からそびえ立つ駅舎は、まるで宮殿のように見える。その壁面には、美しい彫刻が施され、華やかなモザイクが輝きを放つ。どっしりとした重厚な構えの建物だが、薄いエメラルドグリーンの外壁によって優しげな印象も醸し出している。アーチ状の入り口からは、青い鉄道橋が広がり、その向こうには広大な駅構内が姿を現す。
駅の内部に足を踏み入れると、石造りの柱や壁が高くそびえ立ち、壮大なスケールに圧倒される。天井から吊り下げられたシャンデリアが、柔らかな光を放ちながら駅内を照らし出す。その美しさには言葉も及ばず、ただただ見とれてしまう。まるで昔の王宮に迷い込んだかのような錯覚を覚える。
駅構内には、様々な店舗やレストランが立ち並び、旅人たちに便利さとくつろぎを提供している。香ばしいコーヒーの香りや新鮮なパンの焼きたての香りが漂い、駅内は活気に満ちている。人々が列車の出発を待ちながら、一息つくための場所として機能している。また、駅の中にはリーズナブルな価格で泊まれるホテルの設備も整っていて、24時間人が絶えない賑やかな駅でもある。
駅周辺には広大な広場が広がり、美しい庭園や噴水が彩りを添える。夜になると、広場は幻想的な雰囲気に包まれ、ライトアップされた建物や彫刻が輝きを放つ。人々はそこで出会い、別れ、そして様々な思い出を紡ぐのだ。
深夜のムスク駅には、静寂が漂っていた。夜空には星々が輝き、駅舎のライトが柔らかな光を放っている。
“マシラウ2号”が駅に到着すると、その扉が開かれ、一瞬の間に多くの乗客が姿を現した。彼らは疲れた表情を浮かべながらも、目的地に向かう期待に満ちていた。彼らのスーツケースやバックパックは、旅の証であり、その中には宝物や思い出が詰まっているのかもしれない。
一人の男性が列車から降り立ち、駅のホームに足を踏み入れると、彼の視線が駅舎の方に向けられた。彼は深いため息をつきながら、駅の壮大な姿に感嘆の表情を浮かべた。彼は目的地にたどり着く前の一時の安息を求めていた。駅の中には、まだ多くの人々が待っていることを知っていた。
一方、列車に乗り込む人々もいた。若いカップルが手をつなぎながら列車に乗り込んでいく。彼らの目は輝き、互いに微笑みを交わす。彼らにとって、新たな冒険の始まりだ。
一方で、駅に到着した人々もいくつかいた。疲れた表情を浮かべながら駅舎へと向かう乗客たちは、まるで長い旅路の果てにたどり着いたように見える。彼らは駅の中へと姿を消し、各々が目的地へと進んでいった。
このムスクは、隣接するゴルと友好関係にあり、ウミリウムを共同採掘するなど、アトムスを中心とした資本主義陣営とは一線を画す存在だ。
しかしながら、かつて地上に住んでいた頃は、広大な領土を持つ大国であったため、寛容さも備えている。
タートル鉄道の乗り入れに関して、好意的ではないにしろ、ゴルほどの嫌悪感を抱くこともなく、他の通常の列車と同等の取扱いをしてくれる。
そういう意味も含めて、美しい街並みと合わせて、ゆっくり見てみたいと惹かれる街だった。
0:50、運転室にフユが現れた。
「よおハル、交代の時間だ」
「おつかれ」
フユは「ハァー」とため息をつきながら助士席に座った。
「どうしたの?」
「どうしたのって、そりゃあやっと謎の会議が終わって一安心と、向こうで立ちっぱなしだったからその疲れだよ」
「あ、終わったんだ、ようやく」
「ああ、2人とも疲れた顔で出てきたぜ。だけど、それぞれの部屋に帰る時はまるで何もなかったかのようにピンピンしてたがな」
「さすが、人の上に立つ人は違うね」
「だな。まあ、アキもマネージャーとして優秀な存在だと思うが」
「たしかに」
「ま、とにかく、とりあえず心配事は無くなったからな、ゆっくり寝てくれ」
フユにそう促され、ハルは仮眠を取ることにした。ムスク駅の発車は2:16、まだ1時間以上もある。昼間なら少し散策もしたが、この時間だからそれはやめ、おとなしく寝室に下がることにした。
海底での最後の夜は、静かに過ぎていった。
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