19 不安要素

 17:55、“マシラウ2号”はゴル駅に近づいた。1つの複線だけだった線路は、多方面からの線路と合流し、大きな構内になっていた。

 ゴルはアトムスから遠く離れていて、面積約100平方キロ、人口も約200万人とアトムスと同程度の規模に匹敵する。

 この付近のシードームはアトムスから遠く離れていることもあり、ゴルを中心都市として発展してきた。この巨大な経済圏には多数の人口や産業のほか、なにより豊富なウミリウムという資源に恵まれているため、アトムスを中心とした体制にとって、大きな脅威であるということは言うまでもなかった。


 17:59、ゴル駅に到着した。暮れゆく夕闇に包まれたゴル駅。鉄輪の轟音が響き渡り、喧噪とした賑わいが雲を割いて広がる。駅舎の大理石の柱は、歴史の深みを刻み込んだかのように堂々とそびえ立ち、その上には重厚な屋根が一つの物語を語りかけるように重なっている。

 紅い旗が高く掲げられた駅は、大都市の喧騒と古都の歴史が交錯する場所だ。その壮大なる駅舎は、まるで巨大な宮殿のように聳え立ち、鉄の輝きと大理石の華麗な装飾が、通り過ぎる人々に重厚な印象を与える。


 しかし、単なる重厚な駅とは雰囲気が違った。ここにも「偉大なる指導者の元に団結せよ!」というスローガンが至る所に掲げられていたのだ。そして、何よりも違うのは、駅構内の至る所に、武装した警官が立ち並んでいることだった。

 警官たちの存在は、平穏な駅舎に緊張感をもたらしていた。彼らは周囲の旅行者たちに対し、厳重なセキュリティチェックを行い、厳密な監視を徹底する。その堅固な態度は、国家の安全を守る使命に心から従っていることを物語っている。

 彼らは闘志に燃え、赤い星のエンブレムを誇らしげに胸に掲げている。制服の隅々まで整然と整えられた装備は、戦士の威厳を示している。銃器を手に、鋭い目つきでホームに立ち並び、一歩も譲ることなく列車の到着を待ち構えていて、その存在感は鋼鉄の壁のようだった。


 “マシラウ2号”がホームに停車すると、静寂が漂い、鋭い視線が列車の扉に注がれる。警官たちは固い表情を浮かべ、一斉に列車に近づいていく。乗客たちは彼らの厳重な目を見つめ身元確認や荷物の検査を受ける。

 その一方で、武装した警官たちの目には、常に疑いと警戒心が宿っていた。旅行者たちの動きや表情を見極め、潜在的な脅威を察知するため、彼らは熟練の目を駆使している。その厳重な警戒態勢は、国の安全を確保するために、全力を尽くす決意を示している。

 往路の時もそうであったが、復路の列車でも同じような対応だった。しかも、往路の場合は確かに外国であるマザー・タートルからの乗客であるから、警備が厳しくなるのはわかるが、今回は一応は同じ国のアトムスからの列車なのに、ここまで警備が厳しいということは、海底連邦の複雑な事情を示していた。


「時間だから交代するよ」

 時刻は18時、運転室では交代の時間になった。

「いいの?ここも1時間以上停まるから散歩してきていいよ」

 ナツがからかい半分で言った。

「冗談は勘弁してよ〜、こんなところで降りて捕まって『何してる?』って言われて『散歩です』なんて答えれるわけないじゃん」

「きゃははっ!そうだね」

 ナツは楽しそうに笑った。ハルがそんな場面に遭遇しているところを想像して、面白がったのだ。

「じゃあ特に異常なし、まあこの駅は異常ありみたいだけど。じゃあね」

 ナツがいなくなり、改めてホーム上の様子を見ると、今までのどの駅とも違う雰囲気だった。降車した乗客全てに対して荷物検査と身体検査を行っている。また、前方の貨物車ではクロイドたちが武装した警官に囲まれながら慎重に作業を行っていた。

 この駅では乗車と降車のタイミングが完全に分けられていて、降車した乗客が全員ホームの外に出ないと誰も乗車できないようになっていた。乗車する方は、すでに改札で検査は済ませているので、すぐ隣の待合室で待っている様子が見えた。

 貨物に関しては別で、搬出が済んだらすぐに搭載が始まった。そしてそれが済むと、速やかにドアを閉めた。クロイドたちにとっても、ここは働きにくい場所らしい。

 ちなみに、ゴルのシードームではこの他に2つの駅に停車するが、いずれも停車だけで乗降や積み下ろしは行わず、時間になったら発車している。かつてはちゃんと乗降も可能だったが、ある日片方の駅から、警備の薄い事を理由に亡命者を出してしまい、それ以来、時間調整のための停車だけになってしまった。


 ようやく降車が終わり、全ての乗客がホームの外に出た。すると出口側には頑丈な扉が閉められ、反対に入口側の扉が開いた。そして、警官たちに誘導されながら、徐々に乗車が始まった。乗車する方は既に検査を済ませているから、こちらはスムーズに終わった。これで時刻は18:40、発車19:20だから、あと40分、空白の時間が生まれることになる。

 普通の駅だったら、この時間は見送りの人が大勢いて、旅立つ家族や友人と別れを惜しむところだが、ここではホーム上は武装した警官、他には少数の駅員と恐らく政府関係者以外誰も見えず、ひっそりと不気味なくらいに静まりかえっていた。

 こんな時、早めに出発できたらいいのにとも思うが、余程の緊急時を除いて早発はタートル鉄道の規則で厳禁とされていて認められていない。あとは、ただ平穏無事にここを出発できることを願っていた。


 19:10、発車まで残り10分となった時、にわかにホーム上が騒がしくなった。モニターで確認すると、3人の人物が警官に囲まれながら列車に近づいてきた。1人は真紅のドレスに身を包んだ老婦人で、あとの2人は、婦人のすぐ横を歩く若い女性と、ブラックスーツを着込みトランクを持っているがたいのいい男だから、有力者とその秘書という感じだった。3人はそのまま17号車の一等寝台車へと乗り込む。周りを囲んでいた警官たちは、彼らが乗車するのを見届けると、ホームの外へと戻っていった。

 ハルはあれと思った。おそらくあの警備体制から乗車したのはVIP、通常、VIPが乗車するときは事前に連絡がくるのだが、今回はアトムスのルブタン枢機卿の一行以外に、リストには載っていなかった。じゃあ、あの人たちは別にVIP扱いでは無いのかとハルは思ったが、そこにアキが血相を変えて飛び込んできた。

「いま、誰か乗らなかった?」

「17号車に3人乗ったよ。めっちゃ警備されながら」

「そう…、困ったわね…」

「え?」

「いま乗ったのは、ジン・ルーイ、ゴル政府中央議会の議長よ」

「そんな偉い人なんだ」

「ええ、しかも乗った理由が、どこからかこの列車にルブタン枢機卿が乗ってるっていう情報を掴んだかららしいの。その情報がいまタートル鉄道情報部から連絡が来て、政治的トラブルに繋がる可能性があるから警戒されたしだって。警戒されたしってどう警戒すればいいのよって感じだけど」

「乗車拒否すればいいのに」

「できないわよ!私たちは公共機関なんだし、それが犯罪者とかなら拒否できるけど、政治家、それも有力者を拒否したら大変なことになるじゃない」

「冗談だよ。それで、ルブタン枢機卿には連絡したの?」

「一応さっきマドレーヌさんにメールして、本人に確認するって言ってたけど、大丈夫かしら」

「うん、無事に済めばいいけど」

「なんかあったら、タートル鉄道のやり方で対応しますとは言っといたんだけどね」

「タートル鉄道のやり方か…」

 タートル鉄道は多数の国に直通する性質上、そこでトラブルが発生した時の対処法が問題になる。一般的な犯罪もそうだが、例えば政治犯が乗車し、敵対している国家に入った時にどうすべきかなどという問題だ。

 例えば、ある国では一般人だが、隣国に入った瞬間に犯罪者として指名手配されているなどのケースがある。その場合、一般的には列車が国境を通過したら現地の治安当局が乗り込み、逮捕するということもあるが、それだと列車運行が阻害される上、他の乗客に危害が加わる恐れもある。

 タートル鉄道としては、多数の国に直通することから、どこにも利益、不利益を与えることなく、なるべく平等で対等なルールを結ぶ方が望ましい。

 そこで、タートルトンネルが開通し列車が直通するときは、いわゆる旗国主義で相手国に対して列車内の高度な自治権を要求している。つまり、列車内は永世中立で治外法権が適用され、あくまでタートル鉄道、またはマザー・タートル政府の法律を適用すると定められているのだ。

 もしも今回、ジン議長とルブタン枢機卿の間でトラブルが発生したとしても、それは海底連邦の法律ではなく、マザー・タートルの法律で対処されるため、どちらも政治的、立場的な特権は使えない。

 そこまでのリスクを犯してまで、わざわざジン議長が乗り込んできたということは、それなりの理由があるのだろうが、大きなトラブルなく、済めば良い事を願っていた。

「そのジン議長はどこまで乗るの?」

「終点よ」

「何事もないといいね」

「ええ、そう願っていて」

 19:20、多少の不安要素を抱えながら“マシラウ2号”はゴル駅を発車した。

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