10 メズ山脈
20:30、ハルはナツから運転を引き継いだ。ナツは「お腹空いたー」と言いながら、あっという間に姿を消してしまった。先ほどまであった遅れはすでに無くなり、“リサ・バード急行”は定刻通り、ルクスシエルに向かってノース本線を疾走している。
20:43、定刻通りペーウ炭鉱駅に着いた。ここには石炭の炭鉱があり、大きく発展した街だったが、次第に生産量が落ち、かつての勢いは無くなってしまった。駅構内も大量の貨車を捌くために広大な面積を有しているが、今では数両の貨車しか見ることはできなくなっている。
乗り降りする乗客も数えるほどで、“リサ・バード急行”はもうじきこの駅を通過するようになると言われている。
駅や街の栄枯盛衰を考えると、何とも哀愁がわいてしまうのは、人の性であろうか。
20:45、列車は定刻にペーウ炭鉱駅を発車した。この先はエリテン王国で一番険しいと言われているメズ山脈を通過していく。
メズ山脈はブレイカランド州最大の山脈で、その周辺を含み“メズ国立公園”に指定されている。切り立った峰々や湖が点在し、エリテン王国を代表するスポットの一つだ。
最も、既に暗闇に包まれている今の時間では、車窓からその雄大な景色を見ることはできない。あれほど降っていた雨は小雨となり、漆黒の闇が世界を支配していた。
暗闇の車窓を眺めていると眠気を誘う。ハルは窓を開け換気をしようと思った。開けるとすぐに冷たい風が頬をなでる。車内の暖房で火照った頭には丁度いい冷たさだ。外気温計を見ると6℃だった。
「…スー、ハー…」
ハルは深呼吸をした。冷たくツーンと鼻の奥に突き刺さる冷気に、森林の甘い香りを感じる。脳が一気に冴え渡る感じがする。眠気も少しは覚めてきた。
タタン、タタンという走行音も聞こえてきた。機関車ドーラの防音防振性能は優秀で、窓を閉めていればここが車内だとわからないくらい静かになる。ハルは窓を開け現地の空気を吸うことが好きなので、そのメリットをあまり享受していないが、静かで揺れないというのは、疲れにくさに貢献しているのだろうと感じている。事実、山岳地帯を走行するので線路は上下左右に蛇行し、普通の列車であれば身体も振られるが、あまりそれを感じることは無かった。
“リサ・バード急行”は時速60〜70キロで単線の山道を走行している。エリテン王国で最重要の幹線であるノース本線も、メズ山脈では単線になっていて、ボトルネックになっている。何度か複線化構想も出たが、現状の線路の横に複線化できるほどの用地はない。ならばいっそのことトンネルを通そうとしたが、この辺は火山性地帯で、あえなく断念となった。
そのため、所々で行き違いが発生する。21:19、レドヤメ信号場に到着した。ここでは9分ほど停まり、下り特急列車の通過を待つ。ハルは運転室から外に出てみた。乗り降りを前提としない信号場なのでホームは無い。ステップをつたい線路脇の砂利に降り立った。
「…ふぅ…」
ここでも深呼吸をしてみる。先程と同じ空気を今度は全身で受け止めた。暖房で火照った身体に、冷たい山の空気は気持ちがいい。こういう長時間停車が無駄で嫌いと言う人もいるが、ハルは気分転換ができるため好きだった。
『カンカンカン…』
静寂な闇の中に警報音が鳴り響く。列車が接近する音だ。前方に目を凝らすと光が見える。光が大きくなるにつれ、轟音も聞こえてきた。
『…ゴォォォォン、タタン、タタン、タタン…』
先頭の機関車の地面をひっくり返すような音のあと、何両も連なる客車がハルの目の前を通過していく。客車から漏れる明かりで、ハルと機関車ドーラが照らされる。
『…タタン、タタン…』
最後尾車両が通り過ぎると、キュインキュインとレールの金属が悲鳴を上げる。既に遠くで光の筋になっている特急列車を見送り、ハルは運転室に戻った。暖かい車内にホッと一安心する。自分でも気がつかなかったが、意外に身体が冷えたようだった。
21:28、信号を確認し発車させる。定発。あと30分で仮眠だ。もうひと頑張りだぞと、自分に言い聞かせた。
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