06 信号進行、閉じめ時刻合図よし、発車

 16:39、発車1分前となった。ホームでは駅員が立ち、懐中時計を見て発車の時を待っている。既に乗客は全員乗車したあとで、駅員やポーター以外誰も見当たらなかった。

『プルルル…』

 静寂を打ち破るかのように発車ベルが鳴り始めた。周囲に緊張が走る。運転室の4人も固唾を飲んでその時を待っていた。

『22番線から、“リサ・バード急行”、ルクスシエル行きが発車します』

 発車を告げる自動アナウンスがホームにこだまする。発車ベルといいこのアナウンスといい、旅への高揚感は否応にも高まっていった。

『…ルルル。…』

 そのベルは突如として鳴り止み、ホームは静寂に包まれた。

『ジリリリ…!』

 別のベルが聞こえたと共に、ドアと書かれたランプが光る。

「合図よし、閉扉」

 その合図を見て、ハルが閉扉スイッチをおした。ピンポンと言いながらドアが閉まり、側灯が全て消える。ホーム上の駅員がそれを確認する。ハルもモニタで確認していく。

『ブーー…』

 また別の音がした。今度はブザー音だ。前方で信号機のような形状をした白いランプが光るのが見えた。これが駅からの出発合図で、オペレーターはこれを確認して列車を発車させる。

「信号進行、閉じめよし、時刻よし、出発合図よし、発車」

 16:40、ハルはそう言い、大きく汽笛を鳴らした後、“発車”スイッチを押した。

『シュー、ガクン』

 VSS-7129列車“リサ・バード急行”は静かにタートル中央駅を後にしていった。ホームでは駅員がその後ろ姿を直立不動で見送っていた。


 発車してすぐ、左右の線路と合流する。19〜24番線まで、ウィンターフィンへ向かう線路が1本の下り本線になるのだ。そのあと、列車は左に急カーブを曲がり、ウィンターフィンへと進路を変える。同じくらいで下から2本の線路が上がってくる。1本は自分の線路と合流し、もう1本は右側で並走している。合流したのは貨物線、並走するのは上り線で、上り線は下の階で貨物線と分岐するのだ。この時間、下り線もだが、上り線の本数も多い。この先ウィンターフィントンネルまで、いくつもの列車とすれ違うことになる。

 しばらくはトンネルの中だったが、やがて前方に明かりが見えてきた。坂を駆け上がり、列車は地上に出た。ここまでずっと地下だったので、機関車タワー以来の地上だった。その時はまだ明るかったが、既に太陽は大きく傾き、辺りは夕焼けに包まれていた。ウィンターフィンは方角で言えば東側にあるため、太陽を見ることはないが、背中でその暖かみを感じることができた。

「さ、今日も無事に出発できたわね。私達は下がるわね」

「何かあったらすぐに呼べよ」

「じゃあねハル、またあとで」

「ナツ、あなたはちゃんと巡回にいくのよ」

「わかってるよー、もー」

「今すぐに行くのよ。私も一緒に行くわ」

「え、ちょっと休憩しようよ」

「何言ってるの、あなた今までに何かした?」

「いや、それは連結とか…」

「それだけじゃない。さ、行くわよ」

 3人が運転室を出ていき、ハルは1人取り残された。今までも特に賑やかに話していたわけではないが、急に静かになり、寂しいように感じた。すぐ後ろにいるといえばいるのだが、自分だけ残されるという感覚は、あまり好きではなかった。


 列車は、マザー・タートルの中央部、亀の甲羅部分を走行していた。この辺りは商業エリアで、ビルの谷間を高架線で一気に駆け抜けていく。今の時間はちょうど夕方のラッシュに入りかけていて、下の道路には多くの人が見える。横の小窓を開けると、都会の音が、空気が、熱気が入り込んできた。

 鉄道の仕事は平日や土休日、時間帯を問わない。他の多くの人が仕事をしている時に休めるし、こうやって旅にでることもある。他人と違うということに、多少なりとも優越感というか、特別感を抱いていた。


 列車は時速100キロで走行している。あっという間に街中を走り抜け、甲羅部分の端まできた。この先はヒレの部分、いよいよウィンターフィンへと突入する。

 マザー・タートルの4つのフィンは、島民にとって特別な存在だ。いつでも四季折々の風景が楽しめるその場所は、憩いの場にふさわしかった。

 タートル鉄道にとっても、4つのフィンは特別である。なぜならば、そこからトンネルが伸びていて、世界各地、様々な目的地に行けるからだ。乗員からすれば、母なるマザー・タートルから送り出される場所であって、逆に最初に出迎えてくれる場所だからだ。

 とはいえ、特にウィンターフィンは過酷な環境だった。ドーラがウィンターフィンに突入した瞬間、開けていた窓から強力な冷気が入り込んできたのだ。ハルは慌てて窓を閉めた。

「あー、さぶさぶ、今日は一段と冷え込んでいるな…」

 モニタに表示される外気温計を見ると、先ほどまで20℃近くあった気温は、いまや0℃近くまで落ちていて、いつマイナスになってもおかしくない。景色は一気に真っ白になり、線路上も雪で覆われていた。数分間隔で列車は走行しているのだが、それでも積もると言うことは、今日の雪は結構強めらしい。トンネルに入るまでにトラブルが起きるという話はあまり聞いたことがないが、これはひょっとするかもしれない。だが、そんなハルの心配をよそに、ドーラは前方の雪を蹴散らすかのように邁進を続けていた。この力強い走りは安心感を与えてくれた。

 時折、上り列車とすれ違う。その瞬間は対抗の列車が巻き上げた雪煙で、真っ白に包み込まれる。その雪にヘッドライトの明かりが反射して何とも幻想的な世界になる。とはいえ、前方の視界が奪われるため、喜ばしい景色ではない。最初のうちは物珍しかったが、いまでは早く晴れろと念じていた。

 いくつかの雪山、凍った湖を見つつ、真っ白の針葉樹林の中を走り続けることおよそ15分、タートル中央駅を発車してからは25分でウィンターフィンの先端にたどり着く。この先、陸地はない。あとはトンネルに入り、時空を超え、エリテン王国までひた走る。

 タートルトンネルの全容は、未だに解明されていない。迷子になると永遠に抜け出せない。唯一、タートルカードを載せた機関車だけが、安全に通過できるのだ。そう考えると、このトンネルはかなり怖い。だが、マザー・タートルに計り知れないほどの恵をもたらしてくれるのも事実だ。マザー・タートルに生き、タートル鉄道で働く以上、トンネルとうまく付き合っていくことが、なによりも重要だった。


 トンネルが近づいてくる。そこ知れない暗闇にまもなく包み込まれる。現実の世界なのか、どこか知らない世界なのか、全くわからない空間が目前に迫る。

『ホォォォ…!』

 一度大きな汽笛を鳴らす。ここで吹鳴させる義務は無いのだが、鳴らす乗務員は多い。ある意味、トンネルに入る一つの儀式として行っている。

『ゴォォォ…』

 トンネルに入る瞬間は呆気なかった。空気を押し込むボンっと言う音が微かに聞こえたかと思ったら、タタンタタンという走行音がひたすらに聞こえるだけだ。ただ、トンネルに入った直後は違う。ガタゴトガタと、いくつのも分岐を超えていく。タートル中央駅から一緒に走ってきた線路はこれから全く違う目的地を目指して別れていくのだ。また元気に会おうぜ、などと自分でもよくわからないが、去っていく線路に別れの挨拶をしていた。

 タートルトンネルの所要時間は、行き先によって大きく異なる。短ければ数分だが、長い時は1週間以上もの間、暗闇の中にいることになる。そんな長い間トンネルにいると、気が滅入ってくる。だから何度もメタ空間、それもオープン・メタに行って、外の世界との関わりを保とうとするのだ。

 長時間、トンネルを走行する列車では、客車も特殊仕様になっている。通常の客車では、機関車の永久ボイラーの力で荷物車などのクローズド・メタは使用できるが、オープン・メタは使用できない。だが、特殊仕様車では客車に永久ボイラーを搭載し、乗客もオープン・メタに行くことができる。通常の列車より逆に快適だと評判もあり、他の列車でも連結しようとしたが、永久ボイラーが高額で量産も難しいため、一部の列車に限られている。今日の急行リサ・バードは、1時間弱という比較的短い時間でトンネルを通過するためあまり問題にならないが、長時間かかる列車で通常仕様の場合、オープン・メタに行けるのは乗務員の特権の一つだった。

 1時間という短い時間とはいえ、景色の見えないトンネルは眠気を誘う。オペレーターは運転も前方を監視する義務も無く、居眠りさえしなければ読書でもゲームでも何をしていても良い。そうだとしても、暗闇が続くと眠くなる。

 そこで、機関車には居眠り防止対策として、EBスイッチというものがある。これは、5分に一度ブザーがなり、15秒以内にリセットスイッチを押すか、汽笛などの操作をしないと非常ブレーキがかかるというものである。

 また、停通スイッチというのもあり、これは駅の手前2キロ付近でチャイムが鳴る。そして次の駅を停車するか通過するか、運転台にあるスイッチを押して選択するのだ。これは30秒以内に押さないと非常ブレーキがかかる。

 停通スイッチはEBスイッチのリセット機能もあるので、駅間が5分以内の短い区間だと、EBスイッチは押さずに次の駅へ到着する。

 つまり、走行中のオペレーターの仕事は、5分以内に1度、何らかのスイッチを押して列車の運転を監視することである。

 となると、トンネル内に駅はないのだから、ずっとEBスイッチを押し続けるのかというと、そういうことでもない。先程から時々ある分岐点は駅にカウントされる。正確には信号場と言い、ホームなどの設備はないが立派な駅の一つだ。分岐点はトンネルに入った直後に多く、そこから徐々に減っていくが、それでもある程度走ればやってくる。その度にオペレーターは停通確認をするのだ。

 なお、トンネルの分岐点は大半が通過だが、一部の上り列車で合流する時間が輻輳すると、間隔調整で停止することがある。それらのデータも全てタートルカードに入っている。

 また、タートルトンネルにはホームのある普通の駅もわずかに存在する。それらの地下駅は、タートル鉄道の存在が知られていない場所に通じていて、下車をする場合には、乗務員であっても身分証などを提示し許可を得る必要がある。ハルたち4人はまだそういう駅に行ったことがないが、もし行くとしたら特別な乗務になるので、緊張するだろうなと感じた。


 タートルトンネルに入ってから30分が経過した。相変わらず暗闇の世界が続く。時々、明かりが見えたかと思っても、それは信号場で出口ではない。

「おつかれー」

 後ろから声がした。振り向くとナツが入ってきた。

「おつかれ」

「はぁ、疲れた」

 ナツはうんざりした感じで助士席に座った。

「巡回終わった?」

「うん、終わった。もうアキったら細かくて、全部の配電盤開けるとか言ってて、別にそこまでしなくていいのに…」

「アキはまめだからね」

「ハルは?何してるの?」

「何してるって、見てるだけだけど」

「だってトンネルでしょ!暇じゃん」

「うん、ずっと暗闇」

「ハルも変わってるよね。私トンネルとか全然見れないもん」

「そう?」

「そうよ!なんかこう暗闇に落ちていくっていうか、うねうねしててヘビのお腹に吸い込まれたような」

「なるほど」

「ハルはそんなことないの?」

「たまに気持ち悪いなって思うことはあるけどあんまりだね。むしろ次はどっち行くのか気になって、暗闇を走るジェットコースターみたいな」

「ふうん。そうね…」

 ナツは助士席の窓から前方を見た。ヘッドライトに照らされたトンネルと線路が見える。相変わらずの暗闇だ。

「だめ、全然わかんない」

「そっか…」

 ストレートな感想に、ハルは肩を落とした。

「ハルはもともと鉄道マニアだもんね」

「まあね」

「だから線路とか見てても飽きないんでしょ」

「それはある」

「私にはずっとわからないんだろうな」

「教えてあげるよ、楽しみ方」

「結構です!」

 間髪入れずにナツが答え、沈黙が訪れたが、その数秒後には2人とも「ハハハ」と大きく笑っていた。

「大丈夫だよ、私、線路なんか知らなくても仕事楽しいし」

「ならよかった」

 それからしばらく雑談したあと、ナツはメタ空間に戻っていった。ハルはまた暗闇を見つめ始めた。そろそろトンネルを抜ける。そこにはどんな世界が待っているのだろうかと考えていた。

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