05 入換進行
15:50、全ての準備が整った。アキが準備完了の旨を管理センターに報告した。ハルが運転席、ナツが助士席に座って出発の時を待っていた。
『ブーー』
ブザーの音が鳴り始めると同時に、602番ブースのシャッターが開き始めた。完全に開くと、左側にある信号機が、赤から青に変わった。
「入換進行」
ハルがそう喚呼して、マスターキーを手動に回し、レバーサーを“前”位置にした。
『ボッ』
軽く汽笛を鳴らして、スロットルを軽く手前に引く。
『シュー、ガクン』
ブレーキの空気が抜ける音がした後、軽いショックとともに、機関車ドーラはその重たい巨体を動かし始めた。シュッ、シュッとドラフト音を響かせながら、徐々に前進していった。
だが、ドーラは全力どころか、殆ど力を出さないまま停止した。そこは車両ごと回転させるターンテーブルの上だった。ハルは手早くブレーキを非常位置にし完全に止めた。モニタを操作し“ターンテーブル”のメニューを開き“エレベーター2”にセットする。すると、ウィィンという機械音と共に回転を始めた。
『ガコンッ』
止まると同時にロックされる音がした。少し経つと、正面のシャッターが開き始めた。そして先程と同様に完全に開くと左側のランプが青に変わった。
「入換進行」
ハルが同じ喚呼をし、再び少しづつ動いた。ナツもその様子を見つめていた。もう何度もした出区のやり方だが、これから旅が始まる高揚感というのはナツも感じていたのかもしれない。
ドーラはまた停止した。今度はブース内だ。もう察しがつくかと思うが、これは車両用のエレベーターだ。モニタは自動的にエレベーター画面に切り替わるので、ハルは地下1階を選択し、決定を押した。すると背後からシャッターの閉まる音がして、すぐに降下が始まったことを体感できた。
ものの数十秒で最下層の地下1階に着いた。今度は正面、つまり乗り口と反対側のシャッターが開いた。前にはレールが伸びている。その先のポイントが変わっていくのが見える。その後で信号が変わった。
「入換進行」
3回目の同じ喚呼でいよいよタワーの外に出ることができた。
『チンッ』
動き出してすぐに、ベルが鳴った。そして正面左側モニタの速度計の横に車内信号が表示された。ここまでは外にある信号機、この先は車内信号に従って運転していくことになるのだ。タートルカード内のデータを読み込んで、適切な進路に誘導してくれるのだ。
タワーを出るといくつかのポイントを渡り、一つの線路に合流した。これはセンター環状線で、客貨車センターの回りをぐるりと結ぶ環状線路だ。複線線路でどちらも進行方向は時計回りに固定されている。全ての機関車タワーと繋がっていて、外側は主に入区、つまりこれから車庫に入る機関車が使用し、内側が出庫する機関車が使用する。
ドーラは1号タワーから出区したため、これから2〜9号タワーの横を通り、ようやく駅に向かえるのだ。とはいえ距離はたかが知れているし、逆に入区はすぐにできたため、どちらが良いという話はあまり聞かない。ただ粛々と仕事をするまでだった。
「はあ、長旅が始まるなぁ」
ナツがふいに口を開いた。タワーを出るまでは細かい作業が連続するため黙っているのが基本だが、ここまで来ればある程度の余裕はできる。ましてや今回はしばらく走るのでそれなりに話す時間があった。
「あれ、そんなに嫌だったっけ?」
「別にー、この仕事は嫌いじゃないよ。でも、やっぱ休みの方がいいじゃん。何しててもいいし」
「ああ、たしかにここに拘束されるのはね」
「でしょ?明るい時間は多少は景色が見えるからいいけど、夜中とかつまんないもん」
「こらっ、仕事をつまんないって言わない!ってまた言われちゃうよ」
「ふはっ、いまのアキに似てた」
「ナツが言いたいことはわかるけどね。ヒマといえばヒマだよね」
「ねー、フユとか夜中専門で乗ってんじゃん。どうやってヒマに耐えているのか教えて欲しい」
「確かに、それは興味がある。あとで聞いてみっか」
取り止めもない会話をしているうちに、ドーラは最後の分岐まで着いた。直進すればタートル中央駅、右に曲がると再び先程の1号タワー前に戻る線路だ。
もちろん、ここでは直進する。外側の線路も同じように分岐している。そして、環状線路と別れたあと、その外側線路と双方に行き来できるシーサスクロッシングを超えると、内側線路はそのまま進み、外側線路は下り坂になっている。
タートル中央駅は地上10階地下5階建ての構造になっている。
地上は1階が出発ロビー、2階から4階がショップやレストランなどの商業エリアと、一部がタートル鉄道のオフィスで、5階以上はホテルになっている。
地下はB1階が出発ホーム、B2階が到着ロビー、B3階が到着ホーム、B4階が貨物ホーム、B5階が貨物コンコースになっている。
B3階までは所々が吹き抜けの構造になっていて、暗さはあまり感じられない。貨物フロアも天井が高く、圧迫感は皆無に等しくなっている。ちなみにB2階以下から地上に上がる方法は、左右に進んでから上がる構造で、非常階段を除いてホームやコンコースを直接上がることはない。
左右には4つのフィンごとにホームが分かれていて、客貨車センター側から見て右からサマー、スプリング、オータム、ウィンターの順番に並んでいる。
今日、ドーラが担当する“リサ・バード急行”はウィンターフィンから発車する。だからほぼ直線的に進むことになる。これがサマーフィンへの列車だと、右に急カーブし、いくつもの分岐を超えながら行くから大仕事である。ただ、帰ってきたあとは逆で、ウィンターフィンから到着後は左に急カーブして、いくつもの合流を超えて行く必要があるので、どっちもどっちだった。
前方右側にホームが見えてきた。長さは500メートル、最大で25両の列車が停車できる。リサ・バード急行は機関車込みで12両と、ホームの半分以下しか使用しない。だからホーム中程に止まることになる。ここでは停止位置目標が線路横をスライドする仕組みで、すでにホーム先端から100mほど手前に建ち点灯していた。
タートル中央駅は1から24番線までホームがあって、1〜6はサマー、7〜12はスプリング、13〜18はオータム、19〜24はウィンターへ出発する列車が使用する。今日のホームは22番線で、島式ホームを挟んだ向かい側21番線には、別の列車が停車していた。
ハルは慎重にドーラを操り進んでいく。右手のホーム上には反対側に停車している列車の乗客がいた。自分達の乗客は停車後に来るはずなので、関係ない人たちといえばそうだが、それでもタートル鉄道のお客様に変わりなく、動向を気にしながら運転していく。
停止位置が近づいた。普段は自動運転だが、ここは手動で止めなければならない。大勢が見ている中でズレたら恥ずかしい。かと言って慎重になりすぎてダラダラ進んでも恥ずかしい。綺麗にスッと止まるのが理想だ。右手に意識を集中させ停止させる。
キィィと、ブレーキを少し軋ませ停止した。停止位置目標と連結器が横から見て水平にあれば成功だ。前方カメラで確認する。うん、10センチくらい手前だろうか、だが、十分に許容範囲だった。
手早くブレーキを非常位置にし、レバーサーを“切”、マスターキーを抜く。これで最初の任務は完了だ。あとは客車の到着を待つだけだ。
停止後、ナツはホームに降りてテンダーの後ろに進む。ホームの先を見ると、いま来た線路の横にトンネルの出口が見える。あれは客貨車センターのメタ空間の出口で、あそこから今日の客車がやってくる。メタ空間内とこのタートル中央駅構内の線路には、特殊なプレートが埋め込まれていて、客車や貨車はそれを使用して自走ができる。
トンネルの出口に白い点が見えた。客車の先頭で操作しているクロイドが持つランプの明かりだ。その点は徐々に明るくなり、同時にボヤッとしていた影もはっきり車両だとわかるようになった。そして、とうとうそれは目の前まで来て、ドーラの1m手前で停止した。
「おつかれさまです。VSS-7129列車の担当オペレーターですか?」
連結部に立っていたクロイドに声をかけられ、ナツはうなずく。
「私はチーフクロイドです。本日はよろしくお願いします。早速ですが連結作業に入らせていただきます。移動禁止手配は完了していますか?」
「完了しています」
移動禁止手配とは、連結などの作業中に勝手に動くと危険なため、関係者に動かないよう手配することだ。“移動”禁止だが、移動以外にも全ての作業を禁止するという意味が含まれている。ここでハルが勝手に動かすことは無いが、念のための手配として必要で、逆にハル側の立場としても、移動禁止が解除されれば動いていいという事になるため、安心できる。
「承知しました。ではロックを解除してください」
ナツは了解と言いながら、連結器に繋がったレバーを上げた。ガチャンと鉄の音が響く。これは解放テコと言い、連結器のロックを解除するレバーだった。
チーフクロイドはその様子を見届けたあと、作業を再開した。スマホのような端末から客車に指示を送っている。すると、客車はわずかに動き始めた。
ガチャコン、と数秒後にはドーラと客車は繋がった。だが、これで終わりではない。チーフクロイドはスルリと線路に降りると、客車から出ていた2本のケーブルをドーラに繋げた。片方は永久ボイラーのエネルギーを送り、同時に制御通信を行うもの、もう片方はブレーキなどに使用する圧力空気を送るものだった。これらのケーブルが接続され、初めて連結作業が終わるのだ。
「終了しました。では、確認をお願いします」
「了解。では、えーと、テコ・ピンピン・テコ…、ケーブルも…よし」
「では、移動禁止解除です」
ナツは連結器を指差喚呼で確認した。そして運転室からその様子を見ていてハルに「移動禁止解除」と連絡する。その連絡を受けてハルは正面右側モニタを確認する。正常に連結が行われると、ここに客車のデータが表示されるのだ。今回も問題なく表示されている。
あとは、ブレーキ用のケーブルが繋がっているかの確認だ。モニタからブレーキ試験の項目を選びタッチする。するとプシューという空気の音がして、圧力計の針が動作しているのが見える。モニタ上には客車の圧力計も表示されていて、ドーラと同じ動きをしている。そしてすぐに「OK」の表示がされた。それを確認すると、ハルは再びドアまで行き、待機していたナツとクロイドに完了を報告する。
この一連の動作で、機関車ドーラと11両の客車が一つの列車として完成する。約19時間の長旅の準備がこれで整うのだ。
16:20、発車20分前になった。ハルはドア開扉のボタンを押した。正面右側モニタは客車の側面を映すモードに切り替わった。側灯と言うドアが開いていることを示す赤いランプが点灯した。そして、クロイド達が各車両の入り口の前に立つ。いよいよ乗客と貨物を迎えるのだ。
ちょうどその時、汽笛が鳴った。隣の21番線から、16:20発の別の列車が発車して行った。ハルは、自分達もこれから遠くへ旅立つ訳だが、別の列車を見送ると、その列車が自分を置いて遥か遠くに旅立ってしまうようで、もう二度と会えないような、寂しさみたいな不思議な感情が湧き起こる。他人に話しても理解はしてくれなさそうだから、自分の心の奥にそっとしまっておいた。
側面を映すモニタを見ると、乗客たちが出発ロビーから降りてきて、客車に乗り込んでいく様子が映っていた。老若男女、多くの人がいる。これから19時間もの間、この人たちの命を預かるんだと考えると、ことの重大さに身震いがするとともに、その責任感から背筋がピンと伸びる。
前の2両は貨物車だ。荷物車も扉は開いているが、肝心の貨物はどこにも見当たらない。すると、1人のクロイドが貨物車からケーブルを引っ張り出してきた。そして、ホーム上の柱にある蓋を開けて接続していた。
実は、これが貨物の積載で、タートル中央駅のメタ空間から貨物車のメタ空間に転送している。メタ空間相互の移動は、ネットワークを介して行うのが一般的だが、これには永久ボイラー搭載の機関車など、大掛かりな装備が必要だ。タートル中央駅にあるメタ空間はそれが可能だが、貨物車は機関車の永久ボイラーからエネルギーを貰い、限定的なメタ空間を使用できるが、それはネットワークに接続できない。ただ、ケーブルを介して接続はできるので、それでタートル中央駅のメタ空間と荷物の積み下ろしを行うのだ。ものの数十秒で転送は終わり、クロイドはケーブルを抜いた。それを戻すと、もう1両の荷物車で同じ動作をしていた。
貨物車が2両ある場合、片方は乗客の荷物や貴重品など小型品目を扱っていて、もう片方はコンテナに代表される大型品目を扱っている。
どちらも、一部の例外を除き、マザー・タートル以外ではメタ空間転送を使用できないため、直接荷物の積み下ろしを行なっている。だから、ここでは一瞬にして終わるが、他ではそれなりに時間が掛かるので、遅れている時も待たなければならないのだ。メタ空間技術を外に出せばいいのだが、それはマザー・タートルの安全保障にも関わる重要技術のため、今後もあり得ないだろう。
16:30、発車10分前となった。
「あと10分か、今日もお客さんいっぱいいるね。乗車率はどのくらいだっけ」
「確か8割くらいだったはず」
「8割、まあまあだね」
「そうだね」
「お客さん多くても少なくても、私たちの報酬は変わらないからどっちでもいいけど」
「少なすぎて赤字になって、報酬減ったらやだな」
「え、タートル鉄道はどんなにお客さんが少なくても赤字にならないって聞いたよ」
「そうなの?」
「うん、私もよくわからないんだけど、そもそも永久ボイラーで動力費はかからない、トンネルとか敷くお金もかからないから借金は少ない、あとは私たちとかの人件費と、管理している範囲のメンテナンス費とかだけど、直通先から払われる運行委託費で賄えるから、直通している限り黒字なんだって」
「そうなんだ、ナツ詳しいね」
「私もふと思ってアキに聞いたの。そしたら細かく教えてくれたよ。そしたらオペレーターならこれくらい知ってて当たり前、勉強不足だって、小言多いんだから」
「誰の小言が多いですって」
「きゃっ!」
振り返ると、アキとフユが立っていた。
「もー、いつも地獄耳なんだから」
「地獄耳なんかじゃないわよ!そろそろ出発の時間だから、ここに来るのはいつもの事じゃない」
ナツはそうだっけと、とぼけた顔をした。
アキは運転室の扉から身を乗り出し、乗り降りの様子を見ていた。発車まであと10分を切った。まだ焦っているような乗客はいないけれど、発車間際の駆け込み乗車には気をつけなければならない。
「ハル、貨物は順調?」
アキに言われ、ハルはモニタを見た。既にさっきのクロイドもケーブルも見当たらず、ドア確認画面でも閉まっていることが確認できた。荷物車のドアに関しては、常に個別で開閉ができるのだ。
「うん、もう終わったみたいだね」
「OK、じゃああとはお客様が無事に乗ったら発車ね」
ハルはアキの後ろ姿を見ながら、今朝のことを思い出していた。今まで意識して見ることは無かったが、改めて見つめ直すとスタイルの良さや、綺麗な顔立ちが気になった。そんな、ハルの視点にアキが気づいた。
「なに、どうかした?」
「あ、いや、なんでも…」
タジタジしているハルを、ナツとフユも覗き込んだ。
「もしかして、アキに見惚れていたのー?」
「ハルもついに男になる日が来たのか」
「違うって、別にそんなんじゃない…」
「あらー、じゃあ何なの?お望みなら、もっと見てていいのよ」
アキはニヤニヤしながら近づき、ハルに向かって屈み込んだ。ハルの顔は真っ赤になっていた。
「ふふ、まだまだ可愛いわね」
「ハルが男になれるのはまだ先ねー」
「なんでぇ、面白くねぇの」
3人に好き勝手言われたが、ハルは何も言い返せず、下を向いたままだった。ふと時計を見ると16:37で発車まであと3分だった。
「は、発車3分前ー」
ハルは弱々しくいった。
「はい、発車3分前」
アキが元の体制に戻った。
「えー、いま面白いところだったのに」
「面白くても、もう発車よ、仕事に戻らなきゃ」
アキは元の位置に戻って、ハルは運転席に座り直した。
『チンッ』
発車時間が近づき、今まで停止信号だったものが、進行信号に変わった。
「信号、進行。発車2分前」
ハルはそう言うと、今度は自動運転用のマスターキーを差し込み、自動側へ回した。これで出発準備が整った。
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