03 朝の時間
旅に出る日の朝は新鮮だ。
いつまでも布団から出なくて良い休日もいいが、新しい発見ができる旅は期待が大きい。それが例え仕事であっても、これから遠くに行けるぞという高揚感は、他の何であっても変え難いものなのだ。
ハルは目を覚ました。ガサゴソとベッドから手を伸ばしスマホを探す。待ち受け画面の時計を見る。6時02分、確か目覚ましは8時にセットしたはずだから、まだまだ寝てていい時間だ。
もう一度寝よう。頭から布団をかぶり寝やすい体制、彼にとっては横向きにくるまった。
しかし、それは無駄だった。もう寝られないのだ。長い乗務の前はいつもこうだ。遠足前の子どものような感じに、今日の列車、行き先、そこでの食べ物などなどを考えてしまい、まるで寝ることができないのだ。
これで、今日乗る列車が昼行ならまだいい。到着まで耐えられる。だが今日は夜行列車、いくら仮眠時間があるとはいえ、眠気に耐えられるだろうか。
と、いろんな不安もあるが、大方にしてこの不安は杞憂に終わる。なんだかんだ言って、無事に済むことが多いのだ。だが、今日もそうだとは限らない。だからついつい考えすぎてしまうのだった。
思考が暴走した時の対処法は人それぞれある。ハルにとってのそれは散歩だった。歩行禅という言葉があるように、ゆっくりと深呼吸しながら歩き、ただ自然に身を任せることでリラックス効果が得られる。少なくとも彼はその効果を充分に感じていた。ベッドからむくりと起き上がったハルは、散歩に行くため着替え始めた。
さて、どこに行くか、これが重要な問題だ。まずは外の世界に行くか、あるいはメタ空間で済ませるか。
もしこれが旅先ならば間違いなく外の世界に行っただろう。メタ空間は、視覚や聴覚だけでなく、味覚、嗅覚、触覚にいたるまで、世界を完璧に再現している。しかし、やはりビットとコードでできた世界なので満足感に欠ける。人間の五感では表せないような、第六感とは違うが、そういうものが足りなかった。
こう感じるのは何もハルだけではない。むしろ、ほとんどの人も感じているようで、だからこそ、観光目的のタートル鉄道の利用が全く減らないのだ。もし、メタ空間がそういう人間の感覚全てを満足させるほどのものであれば、旅行は全てメタ空間内で済ませばよくなる。人の旅に出たいという欲求は、永遠に失われそうにないのだ。
とはいえ、やはりメタ空間にもよさがあり、手軽さという意味では決して敵わない。メタ空間にアクセスできる環境にいれば、すぐに出かけることができる。ハルもあれこれ考えたが、結局機関車タワーの周りは既に散策し尽くしたし、遠くまで行くのは面倒なので、メタ空間に行くことにした。
次の問題はメタ空間でどこに行くか。早朝の時間帯なのでどこも気持ちがいい。例えばメタ・モールとかも、人が少なく新鮮な気持ちで歩ける。だが、頭をすっきりさせたいのだからやはり自然の方がいい。
そういえば、昨日は星見風呂が良いというナツのリクエストで、高原の露天風呂にしたのだ。あの高原も飾りじゃないのだから、そこに行って、帰りに朝風呂に入れば完璧じゃないかと考えた。早速、ハルは浴場に向かった。
さて、浴場に着いたがここで問題がある。今いるのが脱衣室、そこから大浴場を通って露天風呂にたどり着く。果たして、服をどうするか?別に着たまま通り抜けてもいい。誰も来ないのだし。
逆に、誰も来ないのだから、裸で行けばそのまま風呂に入って帰ってこれる。少し考えたあと、ハルは服を全て脱ぎ捨てた。タオルを巻こうかとも思ったが、それも面倒なので、そのままの姿で行くことにした。
足早に大浴場を通り抜け、露天風呂に出る。現実の露天風呂ならば、目隠しのための壁や植え込みなどもあるが、ここにはない。簡単に外に出れるが、一方で心理的な抵抗があった。メタ空間、自分以外誰もいないからといって、果たして裸で外に出る行為はいかがなものかと考えてしまうのだ。
そっと一歩を踏み出す。柔らかい緑の草がハルの足を優しく迎える。2歩目、3歩目と続いていく。
ひゅうっと、軽い風が身体を触る。今の気温は24℃の設定だから寒くはないが、ぞくぞくっと身震いした。
後ろを振り向くと、既に露天風呂から100mほど離れていた。だだっ広い高原にぽつんと温泉の小屋は立っていた。それ以外に人の気配は感じられない。だが、もしここがオープン・メタだったら誰かいることになる。そしたら、なんて言い訳をしよう。ついつい歩きたくなったから?
「ふふっ」
そんなことを考えていたら、思わず笑ってしまった。我ながら、変な返し方だなと思った。
次にハルはその場にゆっくりと腰を下ろした。地平線の先から太陽が上がってくるのが見える。日の出は好きだ。これから始まる1日を前に、高揚感というか期待感を持たせてくれるからだ。
やがて完全に日が昇った。両手で足をかかえる体育座りをしていたハルだが、手を伸ばし後ろに寝転がった。
日の光を浴びて暖かくなった草が、ハルの身体を包み込む。ハル自身も日の光に包み込まれる。それはなんとも不思議な感覚だった。頭からつま先まで何も身につけていないのに、大地に、空に、太陽に優しく包まれているようだった。まさに全身でその温もりを感じていた。
「ああ、これは癖になるな…」
しみじみと呟いた。
「癖になっちゃいなよ」
耳元で声がした。
「!!!」
ハルは飛び起きた。辺りを見回すと、後ろに彼と同じく一糸纏わぬ姿のアキがいた。
「アキじゃん、びっくりしちゃった」
「驚かせちゃった?2〜3分前からいたけど、ハルが気持ちよさそうだったから、声をかけるタイミングに悩んでいたのよね」
そう言うと、アキはハルの隣に並んで腰を下ろした。
「えー、全然気づかなかった」
ハルはアキを見ながらも、自分がゆったりと気の抜けた姿を見られて恥ずかしい気持ちになった。
最も、裸を見られて恥ずかしいという感情はなかった。普段から一緒に入浴しているからだ。それは、あるベテラン乗務員チームのアドバイスによるものだった。
機関車ドーラは、引退するベテラン乗務員チームから譲渡されたものだ。その時に、機関車だけでなくいくつかのアドバイスも受けた。そのうちの一つが混浴の推奨だった。
チームで仕事をする以上、チームワークは何よりも大切だ。しかも、通常の組織と異なり、長い時間を一緒に過ごすことになる。場合によっては、何十年も寝食を共にするのだ。その時に、ある程度の気遣いは必要だが、気を使い過ぎるとお互いに辛くなり、不仲の原因となる。
それを少しでも解消するために、混浴を推奨されたのだ。お互いの裸に慣れてしまえば、普段の生活で、多少身体が触れた位では気にならなくなる。また、事故対応などで服が汚れ、すぐに着替える必要もあるが、その場所も容易に選べるようになる。
何より、隠し事ができない風呂という場では、言いたいことを何でも言い合えるようになるという最大のメリットがある。トラブルは小さな芽が積み重なっておきる。早めに解消しておけば大した問題にならなくても、いつまでも放置すると取り返しのつかないことになるケースも多い。だから、なるべく一緒に入浴するようにして、我慢せず言いたいことを言い合うことを、チームの是としている。
実際、これは効果があるようで、内部不和で解散するチーム例もあるが、彼らにそんな兆候はなかった。最初の数回は恥ずかしい感情もあったが、徐々に慣れ、大きなメリットを得られているのだ。
「アキは何しにきたの?」
「私は朝風呂よ。そしたら脱衣室にあなたの服があったから、いるかなって思ったらいなくて、それで見渡したらここに寝転がっているから来たの」
「はー、なんかますます恥ずかしいな」
「なんで?何も恥ずかしくなんか無いわよ。私はよく朝風呂に入るんだけど、たまにこうやって外に出ているし」
「ほんとに?」
「ええ、最初は興味本位だったんだけど、やってみると意外とこの日光浴が気持ちよくて、仲間ができて嬉しいわ」
「いや、僕は別にこれをするつもりじゃあ…」
「知ってるわよ、散歩でしょ」
「知ってたの?」
「ええ、私一応はマネージャーだから、皆んなの趣味とか知ってるわよ。ただ、ハルの散歩はナツもフユも知ってるけど」
「え、そうなの。いつも静かに出ていったのに」
「別にうるさかったとかじゃないわよ、ただ、私は朝風呂で、ナツとかフユは夜ふかしで起きていて、何度か朝早くにハルが出かけるのを見ていたから」
「へぇ、全然気づかなかった。みんな知ってて黙ってたなんて…」
「でもナツは、アキとかハルとか、早起きできる人が羨ましい。私も健康な生活したいとかって言ってたから、嫌な意味では無いはずよ」
「そうなんだ。2人とも朝は苦手だからね。一回でも朝活できればハマるのに」
「ね、だから今度誘ってみましょうよ。私やりたいことあるの?」
「なに?」
「ヨガよ。もちろん全裸でね。終わったらそのまま温泉入って、身も心もスッキリしたいの」
ハルは、アキのことをもっと真面目な人かと思っていた。だから、こんな突拍子もないことを言われて少し困惑していた。だが、内容そのものには賛成だった。
「いいね、2人も来るかな」
「来なかったら、私たちだけでもやりましょう、裸の会」
「裸の会、改めて言うとエロいね」
「今更でしょう」
「今更ね」
「さ、そろそろお寝坊さんたちも起きる時間よ。さっとお風呂入って上がりましょう」
「もうそんな時間か、そうしよう」
ハルはアキについて歩いた。何度も見ているアキの身体だが、改めて2人っきりで見ると、どことなく緊張してしまう。今朝の出来事は、19歳の少年にとって刺激的で忘れられない1日となった。
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