2023.2.11 ココア
バーの副店長として働き始めてから約一ヶ月半が経った。
「店長、眠そうですね。客も来ないし今日は終わりにします? 寝た方いいんじゃないですか?」
時計の針が午前二時を指している。
「眠いけど寝たくないんですー」
カウンター席に座った店長があくびをしながら、うーん、と背伸びをした。
「朝の光が眩しすぎる?」
僕がそう聞くと、店長は一瞬黙り込んだ後、そんなことないです、とまたあくびをした。
「ふくてんちょー、私に催眠術かけました? 寝たくないって何度も言っているのに眠らせようとするなんて意地悪ですね」
「実はね、かけちゃったかも」
「やっぱり」
店長がにやりと僕を見つめた。
「店長、何まにまにしてるんですかー?」
店長のその表情がなんだかおかしくて僕はからかうつもりでそう言った。すると、店長はさらに口角を上げた。
「にまにまでしょ。まにまにって何」
「べ、別に間違っただけですよ!」
ふーん、と店長が「にまにま」笑った。僕はもう間違えないからな!
「世界がずっと夜だったらいいのにな、って思うんです」
店長が頬杖をつきながら言った。
「それ、僕が前に言った台詞ですよ」
「そうでした」
店長が、ふふ、と笑う。
「店長が寝たくないなら、朝までお話しませんか?」
店長と僕は、カウンター席に並んで座り、朝まで新メニューを考えることにした。
「ふくてんちょー、この前飲んだメロンソーダ、メロンの味がしたんです。ありえなくないですか?」
「メロンソーダなんだからメロンの味がしていいのでは……?」
「もぉー、副店長は分かってない。なーんにも分かってないですね」
店長が頬を膨らました。
「『もぉー』って、牛じゃないんだから」
僕がそう言うと店長が頬の空気をしゅううと抜いた。そして、有名なキャラクターのシールが貼られた青のシャープペンを手に取り、新メニューを考え始めてからまだ何も書かれていないノートに何かを書き始めた。
「店長っていつもこのシャープペン使ってますよね。消しゴムカバー取れてますけど」
「特別書きやすいってわけじゃないけどこれじゃないとだめなんです。コンビニで百円で売ってますよ」
「へぇ、今度見つけたら僕も買ってみますね」
店長がシャープペンを置いたので、ノートを見ると、そこには傘の絵が描かれていた。僕は店長からシャープペンを借り、店長の文字の隣に「しりとりですか?」と書いた。すると、「はい」と返事が返ってきた。
僕が傘の絵の隣に虹の絵を描くと、店長はその隣にみかんの絵を描いた。僕が「しりとり終わっちゃいましたね」と書くと、「しりとりになってなかったですけどね」と店長が返事を書いた。僕が「新メニューどうします?」と書くと、「もうすぐバレンタインなので、バレンタインメニューはどうですか?」と返ってきた。「いいですね!」と僕が書く。周りから見れば、隣にいるんだから声で話せばいいじゃん、って思われるかもしれないが、僕はこのやりとりが好きだった。
甘い香りで目を覚ます。
どうやら僕は寝ていたようだ。
「私のあくびが効いたようですね」
隣に座っていた店長はいつの間にかカウンターの中にいた。ミルクパンの方からチョコレートのような甘い香りが漂ってくる。
店長が棚からカップを取り出し、ミルクパンの注ぎ口からチョコレート色をカップの中に注いだ。そして、それを僕の前に置いた。
「新メニューですか?」
「いいえ、これは私からのバレンタインチョコです」
チョコじゃないけど、と店長がもちもちとした声で言った。
気が付けば、時計の針は朝の五時を指していた。僕と店長が怖がっていた朝は、店長が作ってくれたココアのように暖かった。窓から差し込む光は優しかった。
「朝ですね」
僕が呟くと、
「朝だねぇ」
と店長がもちもちボイスで呟いた。
もう朝は怖くない。
店長もきっとそうだ。
良かったですね、と言おうとした時、
「もう朝が来るのが怖くなくなったので、明日からここに来る、つまりもう副店長と会う口実がなくなってしまいました」
と店長が寂しそうに言った。
僕は首を振り、朝の光を浴びながら言う。
「僕たちの間に口実なんて必要ありませんよ」
ここは、とある街角にある飲食店。
眠くない時も寝たい時も、夜の暗さが怖い時も、いつでもどうぞ。
今日も店内に二人の声が響く。
「いらっしゃいませー」
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