バーあめにじ
雨虹みかん
2023.2.10 ストレートティー
そろそろ寝るか。
そう思って布団に入ってから何時間経ったのだろう。
時計の針は深夜の一時四十四分をさしていた。
眠気は襲ってきているのに寝たくない。今眠ってしまったら眩しすぎる朝になってしまう。
真っ暗な部屋で長方形が光る。それは、小さい頃に、母に見つからないように布団に潜ってゲームをした時の感覚に似ていた。
ブルーライトを浴びて眠気が覚めるどころか、どんどん眠くなってくる。これではまずい、寝落ちしてしまう。
僕は、外の空気を吸いたくなったので、コンビニでも行こう、とコートを羽織り、財布を持って外に出た。
夜の冷たい空気が指先を凍らせる。手袋を持ってくればよかった、と後悔しながらコンビニへ向かう。
おや?
コンビニへの道に、見覚えのない店があった。 小さな家のような外観で、看板には……メガネを忘れたので文字がぼやけてよく見えない。こんな深夜にやっているなんて、スナックかバーくらいだ。
気が付けば僕は店の入口に向かっていた。
ドアノブを回しドアを開けると同時に、
「いらっしゃいませぇ」
と高めの小さな声が飛んできた。そのもちもちとした声は誰かに似ているけれど、思い出せない。一人で働いているのだろうか。店内には彼女以外誰もいない。彼女の胸元には「店長」とだけ書かれた名札が付いていた。
「ラストオーダーまであと一分です。急いでください。さあ、早く」
店長は僕を急かすようにカウンターへ案内し、メニューを広げた。
まるで喫茶店のようなメニューだった。バー(なのかは分からないが)なのに酒類が一切ない。メロンソーダの上には「新メニュー」と手書きで書かれていた。メロンソーダの他には、ブラックコーヒー、ミルクティー、ラムネ、ミネラルウォーター、……さ、砂糖水?
僕は砂糖水が気になりつつ、初来店で砂糖水を頼む勇気はなく、
「ブラックコーヒーをお願いします」
と無難な注文をした。
豆を挽く音が心地よく耳に届く。
香ばしいその香りが店内に広がり、僕は思わず深呼吸をしてしまった。
店長がことん、とカップをカウンターに置いた。カップの中に注がれたコーヒーは、ミルクと砂糖がたっぷりと入っているような色をしていた。ブラックコーヒーの「ブラック」の色味は全くない。そして店長はそのカップを、どうぞ、と僕の近くに寄せた。
「ミルクティー。飲みたそうな顔をしていました」
ミルクティー!?
困惑してる僕を前に店長はにこにこと笑っている。
「あの、さっき豆を挽いていたのは……?」
「これは私が自分で飲む用です」
店長はそう言い、熱々のコーヒーを一口すすった。にがい、と眉間にシワがより、涙目になっている。
「店長、顔が歪んでますよ」
「そんなことないです」
昨日観たホラー映画を思い出しただけですよ、と店長は涙を拭った。
「さあ、冷めないうちにミルクティーをどうぞ」
「いただきます」
そのミルクティーは今まで飲んだミルクティーの中で一番美味しく感じた。アールグレイの香りとミルクの柔らかさが口いっぱいに広がった。
「美味しいです」
当たり前ですよ、私が淹れたんだから、と店長は満足そうに言うと、コーヒーをまた一口すすり、涙目になっていた。
「……店長、コーヒー苦手なんですか?」
「そんなことないですよ。コーヒー大好きです。コーヒーといえばブラック」
変わった店長だなぁ、と思いながら僕はミルクティーをまた一口飲んだ。
「この店はいつも一人でやっているんですか?」
「はい」
そう話す店長の目には寂しさが秘められているような気がした。笑っているけど心は泣いている、そんな空気を感じた。なぜそう感じたのかは分からない。しかし、その直感は当たっているような気がした。僕はミルクティーを一口飲んだあと、思わず店長にこんなことを話していた。
「あの、僕が最近読んだ小説にミルクティーが出てきたんです。主人公は寂しい時にミルクティーを飲む。ミルクティーを飲みたかったのは、店長の方だったんじゃないですか?」
店長はしばらく黙り込んだ。
秒針と空調の音だけが店内に響いた。
変なことを聞いてごめんなさい、と謝ろうとした時、
「私はクリームソーダの氷の部分だから」
とぽつりと呟いた。そして、いつの間にか溶けちゃってるんだよね、と小さく笑った。
僕には彼女が話していることの意味が分かった。でも、彼女の全てを分かった気になりたくなくて、僕は頷くだけで何も答えなかった。
「もうすぐ閉店の時間なんです」
店長が名残惜しそうに言った。
「また来てもいいですか……?」
「もちろん。今度はラストオーダーギリギリには来ないでくださいね」
店長は、にまにまと笑ったと思うと真剣な表情になり、話を続けた。
「私、元々この店の常連客だったんです。ある日の帰り道、この店を見つけました。そして、オーナーが辞めた後、私が店長を務めることになりました」
そして、僕の目を見て言った。
「だから、あなたも朝が怖くなくなる日まで、ここで一緒に働きませんか?」
僕は、喜んで、と頷いた。
「そういえば、僕、自分の名前言ってませんでしたね」
「知ってます」
「え?」
「あなたの名前」
「どういうことですか?」
「私はフクロウでもリスでもありません。帽子を深く被っていることもないし、テレビをゴミ捨て場に捨てるようなことはしません。あなたの恋の橋にはもちろんなれませんし、私はグミを独り占めしたいので人に分けることはしません」
初めから気付いていましたよ、あなたの声を聞いた時から、と店長が笑う。
そして店長は僕に自分のSNSのアカウントのフォロワー欄を見せた。そこには確かに僕がいた。店長のアカウントの名前を見て、僕は店長の声に聞き覚えがあった理由が分かった。
「やっと会えましたね」
店長はもちもちとした声でそう言った。
ここは、とある街角にある飲食店。
「副店長」と書かれた名札を付けた僕が言う。
「店長、今日もやっぱりミルクティーですか」
店長が、ううん、と首を振り、棚からティーカップを取り出しカウンターにことん、と置く。
「今日はストレートで。」
眠いのに寝たくない。朝の光は眩しすぎる。
ここは、そんなあなたの居場所。
今日も店内に二人の声が響く。
「いらっしゃいませー」
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