消去法の落とし穴
佐熊カズサ
第1話 来客AM0200
真夜中、ふと背後に何かの気配を感じて、私はベッドの中で薄目を開けた。
暗がりの中、目の前の壁をにらみながら、その気配の正体を刺激しないようじっと体を硬くする。
いったい何がそこにいるのだろう。人かアンドロイド、あるいは分類不可能な未知のものだろうか。それとも、気配など全くの気のせいで、そこに質量のあるものは何もないのだろうか。
考えれば考えるほど、その気配の正体の仮説はオカルトの色を濃くしていく。想像力を主に悪い方へ豊かに働かせていると、突然、背中にゾクリと悪寒が走り、ぎゅっと目を閉じた。体内で大きく響く鼓動を聞きながら、持ちうる限りの平静をかき集めた。考えて、ようやく1つだけ今の自分にもできそうなことを思いついた。
もう一度眠ろう。気配の正体が何であれ、現在の私が取るべき最善の方法は、すべて忘れて眠ってしまうことだ。そいつが何もしてこないというのなら放っておけばいいし、何かしてきたら……その時になったら考えよう。
とにかく今は眠ろう。まぶたの力を緩めて考えを放棄する。睡魔の居場所を作るべく、どうにか意識を手放そうと神経をすり減らしていると、まぶたの向こうがパッと明るくなった。
「おはよう、ジュリ」
随分と聞きなれた声だった。気配の正体がわかり安堵すると同時に、彼女の非常識さにいらだちを覚えた。
「……おはようじゃないよ、セナ」
寝返りを打ち、眩しさに目をしばたたかせながら気配の正体である柊セナを見上げた。彼女は、普段はポニーテールにしている少し癖のあるダークブラウンの髪をそのまま肩から流していた。小さじ1杯分くらい申し訳なさそうにしてもバチは当たらないのに、と心の中で悪態を吐きながら、ほんのりオレンジがかったライトで逆光になっているセナのすまし顔にため息を吐いた。
「今は何時?」私は上体を起こし、毛布を引っ張り上げて肩のあたりまで覆った。
「大体2時あたりだ」
「ん-……だったらわざわざ部屋まで来て寝ている人を起こすだなんて、余程の理由がないと非常識だ、というのはわかるよね? ていうかどうやって部屋に入ったの、鍵はかけたはずだけど?」
「合鍵を借りた」
セナはワインレッドのパーカーのカンガルーポケットから、銀の小さな鍵を取り出して自らの手のひらに置いた。その鍵は、この建物の管理人代理のアンドロイドに自室で厳重に保管されているはずのものだった。
「なるほどね」
下宿人であるセナと私は、そのアンドロイドに対して少々効力の強い命令を強いることができる、サブマスターの権利を持っている。合鍵を渡す程度の命令なら、その権利を行使すれば造作もない事だったのだろう。
「それで、朝を待たずに合鍵を借りる手間を取るほどの用事って?」
「ああ、それは……」
そっとまぶたを伏せて目をそらし、セナは小さく呻いた。珍しく言いよどむ様子に私の方が緊張してしまう。しばしの張りつめた沈黙の後、「ジュリ」と微かに不安のにじんだような声が空気を振動させた。
「明日……いや、今日の朝からその日が終わるまで、私と一緒に過ごしてほしい」
言い終わると、セナはまだどこかに落ち着かない要素が残っているのか、口をぐっと引き結んだ。しかし、私はセナの不安にうまく共鳴することができなかった。
「いいけど、それっていつもと変わらないよ、きっと」
「いいや、違う」セナは合鍵をポケットに戻し、空いた両手を胸の前で無秩序にさまよわせた。「君が想像するよりも私たちは一緒には過ごしていない。私は、朝に目覚めて朝食をとり、それから夕食をとってベッドに入るまで同じように行動する、と言っているんだ。もちろん、ジュリと私の生活リズムが合わないことは知っている。私は食事も睡眠も必要に応じてしかとらないし、アカデミーにもほとんど出席しない。それに対して君は、毎日朝食をとってアカデミーへ通い、平均して6時間程度の睡眠をとっている。しかしジュリは何も心配しなくていい。私が君の生活リズムに合わせる」
「それは……健康的でいいんじゃないかな」
口に出してから、これが返事として適切だったのか、セナがわざわざ睡眠を中断させてまで伝えたかったのは本当にこんなことなのか、と心配になった。それと同時に、夢でも見ているのではないかと不安になった。まだ寝起きで頭がぼんやりしているせいかもしれない。
湧き上がってくるいくつもの疑問の中から、お互いのためになる返答が期待できるものを厳選した。
「一応確認だけど、私は特別に何かをする必要はないんだよね?」
「そうだ。ただ今日だけ、普段通りに過ごしているジュリの隣に私がいる、というだけだ。じゃあ、用は済んだからもう――」
「ああ、待って待って」
さっさと出て行こうとするセナを呼び止めた。さすがにまだ帰すわけにはいかない。明らかに説明不足だ。セナは呼びとめられるとは考えなかったのか少し目を見開いて、前に出そうとした足を戻した。
「理由を教えてくれないかな? セナのことだから、何の理由もなく私の隣にいたいわけじゃないでしょう?」
「当然だ」セナは言った。「しかし、理由は教えられない。教えれば余計な先入観を与えてしまうかもしれないし、そのせいで行動が普段と変わってしまってはこの実験の意味がなくなってしまう」
「私は深夜に部屋に侵入して起こした君を許して、目的もよくわからないこの実験を受け入れたんだよ。これだけ分が悪くても教えられない?」
セナは眉尻を下げ、いかにも残念だとでも言いたげな表情でゆるゆる首を横に振った。
わたしは諦めて、小さく息を吐いた。こうなったセナは頑なだ。少々アグレッシブな手段をとれば口を割らせることは不可能ではないが、寝起きの私にそこまでの活力は無いし、そうまでして知りたいわけでもなかった。
「わかったよ、無理に聞きたいわけじゃないからね。でも、気が向いたときに教えてよ」
「ああ、全てが終わったら教えるつもりだ」セナが部屋の電気を切った。「おやすみ、ジュリ。起こして悪かった」
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