殺人事件の真相は巻き戻る時間が解決する

 玄関ホールは広い左右対称の造りで、二階までの吹き抜けになっていた。正面の階段は、踊り場で両側に振り分けられている。

「まぁ、なんて豪華なのかしら」

 優美な曲線を描く真鍮の手すりに、シャーロットがため息をつく。

「私ひとりなのでね。掃除も行き届かないし、ほとんど使っていない部屋ばかりですよ」

 ハルは笑って階段を登り、客間のドアを開けた。

 客間の天井も二階分ほどある高さで、大きな窓には金の房のついた真っ赤なカーテンがかかり、一層豪華に見える。調度品も、ロココ調の花柄のソファーや大理石をあしらった暖炉など、どこをとっても華やかなりし時代を思い起こさせる。絶対王政期のフランスとは対象的に、イングランドでは控えめで実用的な様式が好まれたため、この館のような内装は珍しく、少女趣味のシャーロットが夢中になったのも無理はない。

 ハルが紅茶のポットを持って現れた。

 中国の白い磁器に注がれた茶は、美しい紅色で独特の花の香気がした。

「キームンですね」

「おや、お分かりになる?趣味が合いそうだ」

 ジョシュアが茶葉の種類を言い当てると、ハルも少し嬉しそうに言う。

「失礼ですが、この館はご自身で買われたのですか?この広いお屋敷にお一人で、ご不便はない?使用人は通いで?夜などは、お若い方にはちょっと寂しいような気もしますが」

 失礼な質問を次々と繰り出したのは、失礼を職業にしていると言わんばかりの新聞記者だ。ジョシュアが遠慮なく睨みつける。しかし質問を受けた当のハルは穏やかに答えた。

「寂しいなんてことはないな。一人なら一人なりにやれるものだ。それに、ミスター・ヘイゼル。私はたぶん、あなたが思っているよりだいぶ年齢が上だよ」

 確かにジョシュアには最初、ハルが十代の少年に見えたのだが、話しているうちに(もしかして自分より歳上なのではないか)と思えてきていた。小柄で肩幅も狭く、幼い顔立ちをしているために、見た目は若い。だが口調や物腰が老成しているのだ。

「ヘイゼル、お仕事熱心は結構ですけど少しお黙りなさいな。あなたのお話はお兄さまの御用が済んでからにするのが礼儀でしょう」

 シャーロットがぴしゃりと言った。この思いがけない啖呵に、ヘイゼルは少なからず驚いた。前述の通り、この時代の未婚の女性は、大人の男性と対等に話すことなどない。現に昨日はシャーロットはヘイゼルに何を聞かれても挨拶するにとどめていたのだ。しかし今日、突然ヘイゼルに面と向かって話し掛け、しかもその内容が説教だったのだから。兄のジョシュアとしては、妹の跳ねっ返りに嘆息たんそくするよりほかない。

 場が静かになったところで、こほん、と咳払いしたのは館の主のハルだった。

「さて、そろそろ本題に入ろうか」

「……すみませんね、騒がしくて。実は昨日、僕の家の前で惨殺死体が発見されましてね」

 ジョシュアは昨日の出来事を説明する。

「ふうん。ただの殺人事件にしちゃ度が過ぎてるな」

 ひと通り話を聞いてから、ハルは言った。

「まず君の家の前に死体があった理由だ。何か心当たりはないのか?仕事で揉めたとか、家族のこととか、……恋人とか」

「これまでの人生で揉め事が一度もなかったと言えば嘘になるが、あいにく行方不明の知人もいなければ、脅迫状の類いを受け取ってもいない。僕にはどうにも……」

 ジョシュアは一瞬言葉を切ると、一段と低い声で続けた。

「どうにも、何かおかしなことが起こっている気がしてならないんだ。そして僕は昨夜、テムズのほとりで鋭い牙のある化け物を見た」

「まあ、化け物ですって?」

 シャーロットが声を上げたので、ジョシュアは頷いた。

「シャーロット、君は言っただろう。時の扉が開いた、地獄の使いがやってくる、と」

「カラスのこと?」

「そう、それが予兆だったのかも。『地獄の使い』とは誰だ?そいつが人ひとり餌食にして、そしてどこかへ消え失せたのか」

「ミスター、まさか、その化け物が犯人だと!?」

 ヘイゼルがペンと手帳を構えて身を乗り出す。

「それはわからない。だが偶然にしては、昨日という日は不可解なことが重なりすぎた。そして化け物はロンドンの闇に消え、殺人の犯人は分かっていない……果たして事件はこれで終わりなのか?なにか、もっと恐ろしいことが起きるんじゃないのか。惨たらしい殺人も異形の化け物も、その前触れか……警告に過ぎないとしたら」

「ほほう」

 ハルは椅子の前に伸ばした脚を交差させると、両腕を肘置きに乗せ、細い指を顎の下で組んだ。ハルの表情からはいつの間にか微笑が消えている。

「それで今日は何故ここに?私がその化け物を飼っているとでも?」

「いいや、そもそもまどろっこしい推理なんてする必要はないでしょう?なんといってもここは、時間が『巻き戻る』館だ」

 いつの間にか部屋には西日が差していた。

「僕はかつて、時間が五分だけ『進む』店に行ったことがある。そこの店主が言っていた……未来には行けるが、過去には行けぬ、と」

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