第25話 都合の良い話


 幼馴染クシナに魔の手が迫っている。


 かなり厄介な相手でないとクシナが苦戦するとか微塵も想像できないし、苦戦したとしても敗北なんて天地がひっくり返ってもあり得ないだろうが、それでも度し難い事実である。


 ただでさえ一秒だって寿命を減らさせたくないっていうのに、今日はすでに御料車まで襲撃しているんだ。

 これ以上、あの子に負担をかけたくはない。


 その一心で俺は推しミラ様のことを傷付ける覚悟を決め、電光石火の如く倒した。

 そして、入口を飛び出したところで視覚情報を得ると、幼馴染を痛めつけようとする黒蛇を《分離》したのである。


 …………なぁんて、格好の良い話だったらよかったんだけど。


「───っ」


 背後から迫る熱に、足元を《分離》して横へ飛ぶ。

 三日月を模った炎が俺のすぐ隣を通り抜けて、少し行ったところで霧散した。


「あっぶね……」


 速度を緩めず、クシナ達のいる門へと向かう。

 肩越しに背後を見やれば、俺を追って黒衣の令嬢が飛び出してくる所だった。


 そう、実のところ、めちゃくちゃ頑張って彼女の足止めを抜けただけである。

 別に倒したわけじゃない。というか倒せるわけがない。


 まず、炎の壁を背に立ち塞がるミラ様を背後へと吹っ飛ばす。

 自分が燃えるわけにはいかない彼女は能力を解除せざるを得ない。

 その隙に横をすり抜けて、あとはひたすら走るだけ。

 以上。


 一度目の戦闘で、こちらの天稟ルクスの詳細が割れてなかったからできた一度きりの奇襲である。


 なので、ミラ様は全然無傷だし、いまも《加速》で距離を詰めてきている。

 このままだとクシナ達の所に辿り着くより先に、彼女に追いつかれてジ・エンドだろう。


 でも、俺はいまミラ様を視ている・・・・

 彼女のブーツが地面に触れる、その瞬間。


「この使い方はまだ見せてなかったからね」


 靴と地を《分離》。

 慣性は失われるのに身体は全力で前に進もうとする乖離が起こる。

 結果、


「きゃ……っ」


 ミラ様が盛大に地面を転がる音を背に、俺は前だけを見据えた。


 《金縛り》の天稟ルクスにやられたらしく青褪めた表情のクシナ。

 ──フードは、取れている。


「…………っ」


 ふがいなさに奥歯を噛み締める。

 でも、一旦それはわきに放り投げた。


 いまは自責の念に浸ってる場合じゃない。


 クシナを怖がらせやがった張本人のミスズリは、まさか俺がこんなにも早く追いつくと思っていなかったのか、驚きを隠せずに俺を見ていた。


 ──それでいい。


 俺がここに追いついたことにこそ意味がある。

 なぜなら、恐怖を煽る対象は目視の必要があるからだ。


 俺に注意を向けた瞬間、クシナから視線が切れる。

 それを逃さず、クシナは駆け出した・・・・・


 つまり《停止》を使うほどの猶予が残ってないということだ。


 状況の悪さに思わず、眉根を寄せてしまう。

 と、こちらを見つめる紫紺の瞳と目が合った。


「────」


 彼女は、この状況で微笑んでいた。

 ゆるく弧を描く唇が、声を発さずに動きだけで言葉を伝えてくる。


『つごうのいいはなしをしましょう』


 ──都合の良い話。


 その言葉の意味を考えたのは一瞬。

 次の瞬きを終える頃には、俺の眼はクシナを離れミスズリだけを捉えていた。


 同時に肉薄する俺とクシナのどちらに対処するか、ミスズリは刹那の逡巡に思考を割く。

 結果、俺を捨てクシナに相対することを選んだ。


 理由は俺よりクシナの方が危険であり、かつ天稟ルクスが通りやすいであろうこと。

 そして、


「──死ね、下民……ッ!」


 俺の後ろに、自身の妹が詰めていたこと。

 それはクシナの視線で分かっていた。


 だから、俺は収納の腕輪を引き抜き──ミスズリめがけて・・・・・・・・思い切り投げつけた。


「「なっ!?」」


 御子柴姉妹の驚嘆が重なる。

 俺から外れかけていた姉の視線が、再び俺に戻った。


 ゆえにクシナに《金縛り》をかけることができなくなる。


「────ッ」


 代わりに、俺の背後で風切り音が鳴った。

 きっと今振り向けば、姉しか眼中にない敵に激昂した妹の斬撃が俺の目前に迫っていることだろう。


 けれど、


「──させないわ」


 俺に届いたのは痛みではなく、聞き慣れた幼馴染の声音。

 こちらを見るミスズリの隣からは、クシナの姿が忽然と消えていた。


「うぐ、かは……っ!?」


 ほぼ同時に、くぐもった打撃音と少女の呻き声が耳に入る。

 俺が足を止めると、ちょうど鏡合わせのように背後に誰かが立つ気配がする。


「──ありがと、クシナ」

「──こっちこそ、イブキ」


 ふわりと漂う、安心する香り。

 だから、振り向かず前だけを向ける。


「正直あの蛇女の天稟ルクス、かなり苦手だわ」

「クシナって意外とホラー系には弱いもんね」

「うるさい、ばか。そっちこそ年下に弱い癖に」

「違いますけど!?」

「ふんっ」

推し・・に弱いだけです!」

押し・・が強いのは貴方でしょ……」


 とんでもない誤解を受けて俺が慌てていると、背後からくすりと笑い声が聞こえた。


「ま、だから”都合の良い話”をしましょうってことなんだけど」

「助かる。蛇の方は俺がやるから──」

「──あたしは、あの猫被りの相手をする」


 さすが幼馴染、完璧な意思疎通である。


「あ、ちなみに今ので4秒削っちゃったから、約束の一時間まであと4秒ね」

「え゛っっ!? まじ!?」

「うん。でも平気」


 クシナより向こうで、ミラ様がじり、と立ち上がる音がした。


「あの程度の子猫ちゃん、天稟ルクスなんて使うまでもないわ」

「……はは、ほんと頼りになるね」


 多少は強がりもあるだろうが、クシナがそう言いきったのだ。

 うちの幼馴染は口にしたことは絶対に破らないから、大丈夫。


「それじゃあ」


 だから、


「「よろしく……!」」


 俺たちは一度も振り返ることなく、自分の相手を見据えた。



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