第26話 蛇と、英雄と、化猫と──


 ミスズリは俺とクシナの作戦会議中、その場を動かなかった。

 その理由は、


「その赤い紙切れ・・・・・、触れると爆発するよ」


 俺と彼女の間に散る、赤の紙吹雪だ。

 ミスズリの注意を引くべく投げた腕輪を、投げる直前に起動しておいたのである。


 腕輪はあっさり避けられ彼女の背後へと飛んでいったが、その軌道上には紙吹雪が舞っていた。


 意味深なそれを警戒して、予想通り・・・・彼女は今までこちらに手出しをしなかったようだ。


 ここまで会話を交わしてきて、慎重なミスズリならそうすると思った。

 ただ、まあ、


「なんや、猫騙しかい」


 俺の大嘘はあっさり看破される。

 それでも手を出してこないのは、俺が"ただの紙切れ"に何かしら仕込んでいるかもしれない、と思わせたからだ。


 背後で始まった激しい戦闘音とは反対に、俺とミスズリの局面は膠着のまま動かない。


「なあ、あんたはんの恋人、『天稟ルクス無しでも』は流石にうちの妹のこと軽ぅ見過ぎやない?」


 クシナのことを『恋人』なんて揶揄して俺の動揺を誘おうとしているらしいが、そうはいかない。


「うちの幼馴染はできないことをできるとは言わない。クシナなら妹さん相手でも余裕ってことかな」

「ふぅん?」


 見極めか、それとも怒りか。

 すぅ、と目を細めるミスズリだが、彼女もクシナの言がただの強がりだとは思っていないようだ。


 先に均衡を破って口火を切ったのがその証左。

 後ろが決着すれば、不利なのは自分だと分かっているのだろう。


 ──となると、見た目以上に向こうは焦ってるのか?


 一見して余裕を全身から醸し出し、あまつさえ一升瓶まで煽っているミスズリ。

 とても焦っているようには見えないが、それこそが彼女の演出だとすれば、


「──こないなら、こっちから行くよ」


 紙吹雪が地に落ち切るより前に、俺はミスズリとの距離を詰める。


「ちぃ……っ」


 彼女は後退りながら手にした黒鞭をしならせた。

 それが吹雪の中を疾駆する俺に迫り──《分離》によって推力を失い、地に伏せる。


 分離対象は鞭と、紙片。

 空中でいきなり首を垂れたため、ミスズリには何が起きたのか理解できない。


「そやさかい、なんやその天稟ルクス……っ!」


 もう一度、今度は前から突くようにして鞭を走らせてくる。

 その先端テールが俺へと迫る最中──黒い大蛇と化して大口を開いた。


 そのまま俺は全身丸ごと呑み込まれ、


「────」


 俺の手がその首を握り潰す。

 瞬間、黒蛇は霧散し、俺の手の中には鞭のテールがしかと握られていた。


「…………っ!?」


 驚きに固まるミスズリの手から鞭を引く。


「……よくも」


 バランスを崩した彼女にあっという間に詰め寄り、俺は地を踏みしめる。


「うちの幼馴染を──」


 そして思いっきり腰に捻りを入れると、


「──怖がらせてくれたなぁ……っ!」


 《分離》と共に蹴りつける。


 物理法則を無視した速度で吹き飛ぶミスズリ。

 彼女は派手な音を立てて橋の欄干に激突した。


 ……別に俺は女性だから、今までの相手に手を出してこなかったわけじゃない。

 推しの敵になったので、彼女たちに攻撃できなかったのだ。


 しかし今、


「俺の敵は、推しじゃない」


 推しの実姉だろうが、クシナの借りは俺が返そう。




 ♢♢♢♢♢




 背後の戦況イブキたちがまだ膠着している頃。


 クシナの前でミラはよろけながら立ち上がった。

 掌底をもろに受けた鳩尾のあたりを片手で押さえている。


「櫛引、クシナ……ッ」


 彼女は忌々しげにクシナを睨みつける。


「なに、『下民』って呼ばないの? あたし、彼と暮らしてるんだけど」


 くい、と首を傾け、背後を指し示すクシナ。

 その紫紺の瞳はイタズラな光を宿している。


 ミラは表情を歪めた。


「……どこにいようが、その身に流れる血の色は変わりませんわ」

「あたしの血は真っ赤よ? 彼とお揃いでね」


 くすりと微笑み、ローブの長い袖を揺らして緋色の彼岸花を見せびらかす。

 我ながら随分とはしゃいでるな、と内心苦笑いしていると、ミラが吐き捨てるように言った。


「いちいち口が減らないお公女ひめ様ですこと。でも、いいのですか? 先ほど貴女が使った転移・・


 令嬢の口が弧を描く。


「それ、貴女がハキリさんに成り代われることの証明ではなくて?」

「…………」

「本物が今どこにいるのかは知りませんけれど、少なくともここにはいない。そうでしょう?」


 核心をついていると自覚した声音だった。


「なんとか言ったらどうですの?」

「……ふふ」


 クシナが返すは笑い声。


「ふふふ、その通りよ。だから──もう何も気にせず戦えるってこと」

「っ! どういう……」


 ミラの言葉を待たず、クシナは両腕を勢いよく薙ぐ。

 手の先まで隠れる両袖が広がり──身構えるミラの耳に、金属が擦れ合うような高音が届いた。


「────」


 そこから飛び出してきたのは、長く伸びる二条の銀閃。

 いくつもの鉄の輪が連なって線を成すそれは──。


「──っ!?」

「そ。これが、あたしの本来の得物」


 口にするなり、クシナは袖の中で鉄鎖てっさを掴むと縦横無尽に振り払う。


 それはまるで蛇のように。

 意志を持つかのように、ミラへと殺到する。


 咄嗟にミラが《加速》して難を逃れることができたのは、普段から似た動きを見ていたからだった。


「っ、まるで、姉様の……! でも、それなら」


 すれすれで鎖の追撃をかわしたミラが、クシナに肉薄する。


「近づいてしまえば──」

「対処できないって?」


 ミラはクシナの近距離で鉄扇を振り上げ──鈍く響く金属音。


「…………っ!?」


 自身に迫る鋭い刃のような扇を受け止めていたのは、真一文字に張った鎖だ。

 クシナは右の鎖を左手で掴み、引き絞っていた。


「鞭とは強度が違うのよ。だから防具としても優秀。そして──」


 ひゅん、と。

 空気を切る音がミラの耳朶を打つ。


 本能的に《加速》を駆使して跳び下がると、ミラが一瞬前までいた場所を真左から飛んできた鎖が横切った。


「武器としても優秀」


 その言葉に、どっと汗が噴き出す。


 クシナが操る鎖の先端には分銅ぶんどうが付けられていた。

 直撃していたら、どう見積もってもミラの骨は砕かれていたことだろう。


 だが、安堵する暇はない。

 クシナは既に次の行動に出ている。


 上下左右、さらには背後からもターンして迫り来る変幻自在の攻撃。

 ひたすらに避け、時に打ち払い、ミラは紙一重で交わし続けた。


「こ、の……っ!」


 たまらずミラは遠距離攻撃に打って出る。

 扇子を振って粉塵をクシナの方へと飛ばし、《発火》の天稟ルクスで炎へ。


「燃え尽きろ……ッ」


 広範囲に及ぶ非物理攻撃は波のようにクシナへと迫り──炎波は、その身に届く前に散り果てた。


「……は?」


 まるで新体操のリボンでも扱うように。

 クシナの前では、一条の鎖が渦を巻いていた。


「熱い空気を煽いで散らすのが、扇子の正しい使い方よ?」


 紫瞳は揶揄するようにミラの手にする扇子を見る。


「な、なんで……」

「粉塵を散らせば消えるか分かったか、って?」

「……っ!?」

「さっきイブキに向けて放ってたじゃない。貴女からある程度離れたら自然消滅したってことは、火の元の密度が小さければ発火点を保てないってことでしょ?」


 できの悪い教え子を導くように語る。


「小学校の理科で習うわよ?」

「〜〜〜〜っ!! この……っ!!」


 令嬢の顔が屈辱の色に染まり、


「ところで、高貴なお方?」


 悪の幹部は余裕たっぷりの笑顔を浮かべた。



「あたしまだ、一歩も動いてないのだけど?」



 動き回り、焦げ付いたミラの周囲とは違い、クシナの周囲は驚くほど綺麗な状態を保っていた。

 その中央で、クシナは戦闘開始時と変わらぬ位置に立ち続けている。


「────」


 ミラの膝から力が抜け落ちかけ、よろめく。

 呆然と見つめる先で、超然とした女の立ち姿は、まるで。


 ──支配者。


「これでもね、怒ってるの」


 彼女は言った。


「よくも、あたしの幼馴染を痛めつけてくれたわね」


 その紫の瞳は、水晶よりも冷たくミラを睥睨へいげいしていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る