第23話 都合の悪い話


 その声の意味を理解するのには、数秒を有した。


「ミラぁ! そのいけずな男、止めておきぃ! うちは、正面に行くわぁ!」

「────え?」


 思わず足が止まる。


 しばらく気を失っていたから正確にはわからないが、クシナとの待ち合わせの時間はギリギリか、あるいは過ぎてしまっている可能性があった。


 その場合、クシナは絶対に俺を迎えに来ようとするだろう。

 彼女のことだから、正面玄関から堂々とやってくるに違いない。


 だからこそ、俺は正面玄関とは逆の裏口の方へ逃げたのだ。

 だというのに、どうしてミスズリは正面玄関へと回ろうとしているんだ。


 俺が、最終的にそちらに行くと見越して?

 それとも──まさかとは思うが、俺の誘導に気づいたとでもいうのだろうか?


 どちらにせよ、このままではまずい。


 慌てて振り向くと、ミラ様はここまで走ってきた通路に仁王立ちしていた。


 彼女は冷ややかに笑う。


「あらあら、逃げなくて良いのですか? それとも何か都合の悪いことでもあるのかしら?」


 ミラ様は姉の言葉を一切疑うことなく、苛烈な追跡をやめていた。

『俺の確保』から『俺の足止め』へと切り替わった目的を遂行することのみに徹している。

 そこには一片の隙もない。

 

「…………っ」


 容易には逃してくれないだろう。

 まして、ここは大して広くもない通路である。

 そして、


「一度は言ってみたかったの」


 ──彼女の背後に、またしても炎の壁が立ち上った。


 彼女の横をすり抜けてミスズリを追うことは、たった今できなくなった。


「ここを通りたくば、わたくしを倒していくことですわ──雑魚ざぁこ

「────」


 俺が、ミラ様を倒す……?


 ヒナタちゃんの時は逃亡に徹し、あるいは協力して〈剛鬼ゴウキ〉を破った。

 ルイの時は向こうの攻撃を捌くことに終始し、あるいは彼女を檻から解放するために向かい合った。


 だというのに、同じ推しであるはずのミラ様を攻撃するのか?


 可能、不可能以前に──俺にそんなことできるのか?


 黒猫令嬢が背にする炎壁は揺らめき、じりじりと空間を焦がしていく。




 ♢♢♢♢♢




 橋上きょうじょう


 研究所の正面玄関でイブキを待つクシナには二つの選択肢があった。


 一つは、いつも通り〈刹那セツナ〉のローブ姿でいること。

 もう一つは、ローブを着ずにいること。


 橋の、研究所正面玄関とは反対側で立っている分なら、仮に天翼の守護者エクスシアがやってきてもクシナの関与を疑われることはないだろう。


 それでも、あえてクシナがローブ姿で研究所の入り口に立っていたのは、イブキの帰りが遅かったからだった。


 イブキとクシナが同時に襲撃を開始してから、およそ30分。


 御料列車を降りてから、トラックの荷台に忍び込んで都市部まで戻ってきていたクシナは、待ち合わせ場所にイブキがいないことから研究所のすぐ前までやってきていた。 


 ここまで全て、イブキが予想した通りだった。


(警備は……気を失ってる。電気系統も止まっているみたいね。なら、襲撃は成功したはず)


 周囲を観察するクシナは疑問に思う。


 状況から察するに、イブキの襲撃は成功している。

 であれば何故イブキは未だ出てこないのだろうか。


 襲撃が成功しているならば警備や職員の無力化は終わっているはずだし、出てくるのにさほどの時間を有するとはクシナには思えなかった。


 だとすれば、考えられるのは。


(……誰かの邪魔が入った?)


 少なくとも不測の事態が発生しているのは間違いないとみていい。

 ならば、ここまで躊躇いなく足を運んだクシナの行動は自ずと決まってくる。


(あたしも入ってみるしかないわね)


 と、一つ頷いた瞬間。

 開け放された門の先、研究所の出入り口から人影が現れた。


(イブキ──じゃ、ないわね)


 影から察せられる身長はイブキより低い。


 即座に敵と判断して身構えるクシナの視線の先で、彼女・・が影から現れた。


 深緑の着物、ふくらはぎまで届いている長い黒髪。

 左手には、半分ほど空になった一升瓶を携えている。


「────」


 クシナは、めずらしく息を呑んだ。

 対峙する相手を忘れることはないだろう。


 あのイブキと初めて出会った日。

 もう一つの腐れ縁の始まりでもあったあの日に、その場にいた女の姿形だ。


「あなた……」


 クシナの小声を聞き取ってか、女はゆっくりと開眼する。

 左右別色の、紅と蒼の瞳。


「──おひさしゅう・・・・・・、〈刹那セツナ〉はん」


 女、ミスズリは舌なめずりをして言った。




 ♢♢♢♢♢




 クシナが迷ったのは一瞬だった。


「久しぶり? 変ねー。わたしにはあなたと会った覚えなんてないんだけど」

「おりょ、忘れられてもうたかぁ。かなしゅうて、かなんなぁ」


 わざとらしく泣き真似をするミスズリ。

 けれど、クシナは騙されない。


 彼女はハキリとは顔を合わせたことはない。

『久しぶり』とはカマをかけただけだろう。


 しかし、


(カマをかけたってことは、〈刹那セツナ〉の秘密に気づいてるってことかしら……?)


 普段なら揺さぶりだとしか思わないが、今回はイブキに問題が発生して、その場所から出てきた女の言葉だ。

 イブキは絶対に、口が裂けてもこぼしたりはしないだろう。

 しかし、ミスズリが何か掴んでいる可能性は十分にあった。


 そして、それは正しい推測だった。


(ハキリはんが来ぃはると脅しかけてきたにも関わらず、隠したいものが〈刹那セツナ〉かいな。──どう考えても不自然やろなぁ)


 ミスズリは、イブキの拘束時の態度と彼が隠したかったものを並べて考え、その矛盾に気づいていた。


(本当はハキリはんじゃない、とかなぁ)


 ハキリの威を借りたものの、ここにはハキリはいない。

 それなら彼の言動の不一致に説明がつく。


 けれど、ここでもう一つの矛盾が生じた。


 威錫の統制者キュリオテスである彼女だからこそ知り得た情報。


 ──この町に、〈刹那セツナ〉が来ている。


 〈刹那セツナ〉のローブを被っただけの別人ならば、そう簡単に御料車が襲撃なんぞされるわけがない。


 〈刹那セツナ〉、つまり櫛引ハキリだと言って誰も疑うことがないほどの実力を持った誰かが、〈刹那セツナ〉のローブの下にいる。


 それが、ここにいるはずなのに姿を見せないクシナだとすれば。


(クシナはんはハキリはんに成りすませるっちゅうことにならはるけど)


 これは一つの仮定でしかない。

 ただその仮定を然るべき場所・・・・・・に伝えれば、〈刹那セツナ〉のフードを取るべく動き出す組織はごまんとあるだろう。


 ──ミスズリをその推測にたどり着かせたのは、クシナの躊躇だった。


(イブキと約束した今日使っていい寿命は一時間まで。それはもう殆ど使い切って・・・・・・・しまった)


 御料車の襲撃でクシナが使用した寿命は、3592秒。

 イブキとの約束のラインまでは、8秒を残すのみ。


 あくまで口約束に過ぎないが、なるべくならそれを破りたくない。

 だって、自分とイブキはその口約束・・・を何年も守ってきたのだから。


 その思いが、クシナに次の立ち回りを選ばせた。


(《停止》は封印して、真正面から彼女を倒す)


 ゆえに、機先を制したのはミスズリだった。

 〈刹那セツナ〉の姿を見失うより前に、天稟ルクスの発動。


 まだ対峙しただけである以上、大した恐怖心もないであろう対象に劇的な効果は望めない。

 けれど、自分が”得物”を取り出す猶予くらいは生まれるだろう。


 ──その予想は、裏切られる。


「…………は?」


 声を漏らしたのは術者であるミスズリ。

 彼女の前で【救世の契りネガ・メサイア】最強戦力にして過去の英雄たる〈刹那セツナ〉は、


「ぁ……」


 呆気なく崩れ落ち、地に倒れ伏したのだった。




──────────────

夜明けまでには次の話を投稿いたします

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