第22話 蛇
──ここからは、一瞬の勝負だ。
小部屋を飛び出すと、一気に外の光景が目に入ってくる。
眼下にはドーム型の体育館のような場所が広がり、俺が立っているのは二階のキャットウォークのような場所だった。
覚えがある。
ここは能力の実験場だ。
芽生えた
第十支部にあったような巨大なものではなく、あくまで中学高校程度の広さしかない。
今思えば、男性に発現する
飛び出した瞬間にそれだけ把握すると、集中を切らさず周囲を観察。
対面には窓ガラスが張られており、宍道湖が一望できるようになっている。
が、それは二階部分のみで、体育館を飛び越えてあそこまで行けるほど近くはない。
それに耐衝撃も備えているだろうから、無手で窓の近くまで行っても意味はない。
不正な手段での脱出は不可能と判断。
正攻法ならば出口は、
視界を左右に散らすと、同じキャットウォークの少し離れた所に深緑の着物姿が目に入った。
彼女、ミスズリの目が見開かれ、ゆっくりと驚愕の表情を
──ミスズリが我に返るより前に……っ!
と、そこで背後から
ゆったりと流れる意識の中で”小走り”ということは、それは相当な高速であるということ。
俺はミスズリのいる右側とは反対方向に向かって地を蹴る──フリをして、勢いを殺さずキャットウォークから一階へと飛び降りた。
「──は?」
宙に身を踊らせた瞬間、背後のミラ様から間の抜けたような声が聞こえた。
──だと思った。
彼女たちは俺の
ミラ様との直接戦闘でも、俺は向こうの攻撃を防ぐことに終始していたからな。
だからこそ、俺にとっては逃亡にうってつけの場所を監禁部屋にしたのだろう。
なにせ
普通の人質ならば、仮に拘束を解いたとしても逃げおおせる場所ではない。
あくまで人質が”普通ならば”の話で、高所が得意な俺には当てはまらないのだが。
要するに、ものの見事に向こうの狙いは裏目に出たわけである。
が、敵も
「────」
着地の直前、身体の芯から震えるほどの悪寒がした。
──このまま着地に失敗したらどうしよう。
足は確実に折れる。
足だけで済むか?
そんなわけはない。
地面に叩きつけられ、肋骨は砕け、内臓は傷つき、頭蓋は割れ──。
「──うるっせぇ!!!」
咆哮。
その瞬間、あまりにも覚えのある
僅かに遅れて《分離》──着地。
あと少しでも恐怖を振り払うのが遅ければ、俺の”悪い想像”は現実となっていたに違いない。
それを引き起こした人物を振り返って見上げる。
視線の先で欄干に手をかけたミスズリが舌打ちをした。
「うまく
「かかってたら無事お陀仏だよ、こっちは人質だぞ?」
「何を偉そうにしとんねん」
毒付いて、ほとんど同時に駆け出す。
俺は右の出入り口に向かって一階部分を、ミスズリは俺に追従するように二階部分を。
ミスズリの横に、あっという間にミラ様が並んだ。
「申し訳ありません、姉さ──」
「いまはええわ。それより、なんや、あの
「戦ってる時の様子からすると、無効化みたいなものでしたわ。まさか飛び降りても平気とは……」
「自己愛の強い
失礼な評価を受けつつ、こちらも向こうを品定めする。
着地時の恐怖でハッキリと分かった。
──『仕組みが恐怖心に由来しとるんはウチの好みやないで?』
ミスズリはつい先ほど自分の
けれど、それは
あの物言いからてっきり『相手に恐怖心を植え付ける』
着地の瞬間に想起した恐怖が”覚えのある”ものだったのが、その証拠。
彼女の
植え付けると増幅。
結果は似ているが、その過程はまるで違う。
彼女にできるのは1を10にすることだけで、0を1にすることはできないのだ。
だからこそ、俺の着地に対する恐怖感を煽ること
いままで何千回と飛び降りまくり、
思えば尋問時に見せられた『蛇女に喰われるような悪夢』も、自身への恐怖心を煽った結果生じた虚像だったのだろう。
彼女の巧みな言葉遣いによって、危うく防御不能の精神攻撃かと思い込んでしまうところだった。
直接的な戦闘能力はなさげなものの、
さすが
地下暮らしのチンピラや、路地裏暮らしの殺人鬼とは大違いである。
けれど、そのネタが割れてしまえば恐怖心を押さえ込むことは難しくない。
「──なぁんて、甘いこと考えてへんよなぁ?」
俺の目の前に、キラキラとした粉塵が舞っていた。
上から降る声の意味を考えるより先に、横跳びにそのエリアを回避する。
数瞬遅れて、粉塵が発火。
炎が実験場の天井に届く勢いで燃え上がった。
「……っつ」
受け身をとって起き上がり、駆け続けながら二階を流し見る。
俺とミスズリより少し先行して黒いドレスの裾を翻すミラ様が、鉄扇を広げていた。
「──そぉれ」
蛇の声が響いた──途端、俺の身体が
「が……っ!?」
ぱちぱち、と何かが弾ける音が鼓膜に響き、肉を焼く不快な臭いが直接
熱い、というより、ただただ痛い。
いっそ寒気すら感じるような炎が──唐突に、消え失せた。
代わりに俺は地面に転がる。
「ぐ……ぅう……」
見れば、俺が倒れているのは実験場から続く通路だった。
フィールドは無我夢中で駆け抜けていたらしい。
まだ皮膚がびりびりと痛む気がするが、俺の全身には火傷の痕などどこにもない。
「火に焼かれる、恐怖か……」
じくじくと感じる幻痛に顔を歪めながら納得する。
フィールドを抜けた、つまり彼女の視界から逃れたから解除されたようだ。
じゃなきゃ、今もあの場でのたうち回っていたかもしれない。
そんな末路に恐れを抱き、再び生じはじめた彼女とその
「厄介なんてもんじゃないぞ、あの
そのうえ、術者の性格も捻くれているときた。
──絶対、クシナの所に行かせるわけにはいかないな。
奥歯を噛み締め、通路を走り出す。
うちの幼馴染は基本的に無敵にして完全無欠なのだが、唯一弱みになるものがあるとすれば、その高潔さである、と俺は思う。
あと一握り、ほんの少しでもクシナが悪性を持っていれば、彼女に勝てる者はこの世界に存在しなかっただろう。
熾烈な戦いの場に身を置きながら、ただの一人も
それでも一切の問題がないほどに彼女の強さは冠絶しているのだ。
けれど、それは決して無敵であることを意味しない。
古来、英雄は必ず毒で、裏切りで、暗殺でその命を散らしてきた。
ひと噛みで英雄を死に至らしめる、猛毒の蛇だ。
だから、俺が幼馴染の代わりに矢面に立たねばならない。
だから、俺が蛇を引きつけるより他にない。
だから──そんな弱みを、狡猾な蛇は見逃さない。
♢♢♢♢♢
ミスズリはかすかな違和感を覚えた。
それが何なのかまでは届かない。
けれど、こういう時の直感を疑ってはいけない、と彼女は知っていた。
イブキが部屋から飛び出してきた瞬間まで記憶を遡り、精査。
そしてミラが先行して二階から降り、獲物が逃げ込んだ通路へと飛び込んだ瞬間、その違和感の正体に辿り着いた。
──なぁんでイブキはん、
イブキが通路へと飛び出してきた時。
ミスズリはイブキから見て右側の通路の壁に背を預けていた。
通信を切った直後だったとはいえ、イブキを階下に逃してしまったのは失態である。
けれど、彼はその失態に乗じなかった。
反対の左側の出口に行けばいいものを、わざわざ自分がいる右の出口に駆け出したのである。
──そぉいやぁ。
ミスズリの記憶はさらに、ミラとイブキの戦いに介入した時まで遡る。
彼はあの時、襲撃してきた道を戻ろうとしていたのだ。
その向かう先は正面玄関。
だからミラとかち合い、ミスズリは彼の裏を取ることができた。
では今、彼が向かっている先はどこか。
──宍道湖を左に臨む、裏口側。
ミスズリが彼の裏を取るために入ってきた側である。
わざわざ遠回りして、先ほどとは反対方向に駆けている。
「……──」
そしてその違和感は、ミスズリが通路へと足を踏み入れた瞬間、一つの結論を導き出す。
ミスズリの視線の先には、通路奥の角を曲がるイブキの姿。
ミラとの距離はだいぶ詰められている。
まるで、わざわざ、自分の姿をこちらに見せているかのように。
──
唇が自然と弧を描いた。
──ほな、隠したい
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます