第16話 狙われた男


 深緑の着物に身を包んだ女、ミスズリは一升瓶を振ってちゃぷちゃぷと音を立てる。


「彼、強かったん?」


 彼女は相変わらずの赤ら顔で、隣に立つ実妹ミラへと尋ねた。

 本来ならば、このような問いかけはしない。


 ミラの強さは身内の贔屓目抜きに一級品であるし、まして今回の相手は男だ。


 元々男性には天稟ルクスが発現しづらい。

 その確率は一万人に一人だが、その中でも戦闘向きな天稟ルクスを持つ者は、さらに百人に一人と言ったところだろう。


 挙句、天翼の守護者エクスシアを凌駕するクラスと言えば、ますます候補は絞られる。

 日本全国で見ても片手で収まる程度しか確認されていない。


 最も有名な人物は間違いなく【救世の契りネガ・メサイア】有力構成員の一人だった〈剛鬼ゴウキ〉だが、彼は現在収監されている。

 つまり在野には”強者”と呼べるだけの男性天稟ルクス保持者はいないはずだった。


 ミスズリがミラと連携すべく研究所に足を運んだのは、あくまで不測の事態が起こった時の保険。

 決してイブキ本人を危険視していたわけではない。


 だからこそ、ミスズリはのんびりと施設の反対から歩いてきたのだ。


 けれど到着してみれば、どうだろう。

 掛け値なしに優秀な妹が、あやうくターゲットに逃亡を許す寸前。


 慌てて自らの天稟ルクスを発動し事なきを得たが、内心は冷や汗をかいていた。


 まさかミラが取り逃しかねないほどに強い相手だったのだろうか。


「強くはなかったですわ。けれど……」


 黒いバトルドレスをまとう妹は一点を睨みつけたままだった。


 その視線の行先は、壁に寄りかかるようにして気を失っている男。

 猫の如き蒼瞳には警戒の色がありありと浮かんでいる。


「あの男、一度も、こちらに攻撃してこようとしませんでしたわ」

素振そぶりも?」

「ありませんでした」

「流石に妙やねぇ」


 攻撃は最大の防御と言われるように、多くの場合、攻撃は「相手を害する」という単純な目的以上の効果を戦況にもたらしてくれる。


 自分が狙われているというのに攻勢に回らずに凌ぎ切ろうなどというのは、圧倒的強者の立ち振る舞い。

 それこそ師弟ほどに実力がかけ離れた両者が稽古で行うような場合でしか見たことがない。


 けれど、今回の相手はそれほどに強者というわけではなかったと、直接対峙した妹は言う。

 ということは、彼のそのスタンスには何かしらの意図があったはずである。


「そないなじゃまくさい面倒くさい真似する理由かぁ……」


 一つは、攻撃できる天稟ルクスではない可能性。

 もう一つは、攻撃を制限される代償アンブラである可能性。


 あるいはシンプルに「攻撃したくない」という心情的な理由も考えられる。

 全くもって可能性はゼロに近いが。


「まあ、考えても分からんもんは分からんわぁ」


 ミスズリはひとまず〈乖離カイリ〉に近づくと、


「それよか、この子、運んでおくれやす」


 気を失っている彼を顎で示した。


「え……わたくしがですか!?」


 ミラは驚き、姉と〈乖離カイリ〉を見比べる。


「まあっ。ミラは、こないな一升瓶より重いもんを持ったことあらへんような女に、大の男を運べうの?」


 ミスズリは、よよよ……とワザとらしく着物の袖で顔を隠す。

 片手に持った一升瓶の中身が、ちゃぷんと音を立てた。


「よ、よくも抜け抜けと……はあ、分かりましたわ」


 ミラは目元をぴくりとヒクつかせながらも、諦めたようにため息をつく。

 そして、手を伸ばして〈乖離カイリ〉の身体に触れ・・・・・──。




 ♢♢♢♢♢




 ──やっばい、どうしよ……。


 絶賛、密室にて囚われの身であるイブキは天を仰いだ。


「知らない天井だ……」


 目に入ってくる白天井を見て、思わずつぶやく。


「多分、ミラ様たちに捕まったんだよな」


 目が覚めた時には手を縛られており、独りでこの部屋に転がされていた。


 気を失っていたため推測の域を出ないが、しかし、直前のミラとのバトルを思えば彼女に──彼女たちに捕えられたことは確実だろう。


「あの着物の女の人……」


 イブキの記憶には、十年前のクシナとの逃亡劇が蘇っていた。

 彼女に対峙した瞬間の『身がすくむ』ような心地にも覚えがある。


 が、今はそれを気にしている場合ではない。


「いま、何時だ」


 物理的な衝撃によって気を失っただけだから、それほど長く眠っていたわけではないだろう。


 研究所の中から移動していないことは、金属質な白天井からも見て取れる。

 それほど時間は経過していないはずだ。


 しかしイブキが突入してからミラとの戦闘で意識を失うまでは、およそ二十分。


 クシナとは襲撃の後は速やかに合流する手筈だった。

 あまりにも長いことイブキが約束の場所に現れなければ、彼女も研究所の方にやってきてしまう。


 ──クシナに負担を強いるわけにはいかない……!


 イブキは縛られた手足をよじって抜け出そうとする。

 しかし、流石にそれで抜け出せるほど甘くない。


「くそっ、はやくしないと……!」


 焦りと共に、何か使えるものはないかと顔を上げ、


「お急ぎどすか?」


 いつの間にか部屋の扉が開かれ、そこに着物姿の女が立っていた。

 見覚えのある新緑の生地に、膝下まで伸びた墨色の長髪。


「貴方は……!」

「さっきは悪いなぁ。お久しゅう、イブキはん」


 ひらひらと手を振り、切長の目尻を人が良さそうに緩める女に、警戒も露わに後ずさるイブキ。

 彼女は残念そうに片目を瞑った。


「そない怖がらんといておくれやす」

「……なぜ、ここに?」

いらちせっかちな人やねぇ」


 壁に寄りかかるようにして身を起こし、剣呑に問いかける。

 着物姿の女はため息をつくと、イブキの前でぺたんと横座りした。


 敵と二人きりで向かい合う。


 戦闘なら違和感がなくとも、小さな部屋でどちらも地べたに腰を下ろしてとなると途端に意味不明な状況だ。


「まあなぁ、クシナはんが心配なんやろ?」


 クシナと一緒にこちらに来ていることはすでに知られているらしい。

 歯噛みしつつも、状況を考えれば当たり前か。


 眼前の女とミラはおそらくバディなのだろう。

 ミラには京都駅でクシナと二人でいる様子を見られている。

 であれば、情報の共有程度していて当然。


 あの時のミラはイブキやクシナのことを知らない様子だったから、あの場面を遠くで見られていたか、それかお互いの名前が彼女にまで伝わったかのどちらかだとアタリをつける。


 それゆえ、ミラとの戦いの最中。

 着物姿の女が姿を見せた時には『なぜここにミラがいるのか』という疑問は氷解していた。


 眼前の女が主導し、自分とクシナを追ってやってきたに違いない。

 ミラは、相棒である彼女に引き連れられるようにしてきたのだ。


 ゆえに先ほどのイブキの「なぜここにいるのか」という疑問は、「なぜ”松江に”いるのか」という意味ではない。

「なぜ”この部屋に”いるのか」という意味だ。


 そしてそれに「せっかちだ」と応えたことで、相手の意図も分かりきっている。


「時間稼ぎ、ですか」

「ふぅん、小さい頃から利発そうな子ぉやったけど、中々理解が早いんね」


 イブキは少しだけ肩の力を抜いた。


 時間稼ぎをしなければならない、ということは、まだクシナが到着していないということでもあるからだ。

 案外、気を失ってから五分やそこらしか経っていないのかもしれない。


「とっくに捕もうてはるだけかもしれへんよ?」

「ありえないですね」


 だったら、とっくに【循守の白天秤プリム・リーブラ】の支部に連行されているだろう。


 第一、クシナがそう簡単に捕まるわけがない。

 ミラとの戦闘中は彼女の相方の所在が分からなかったため焦ったが、その相手がいま目の前にいるとなれば話は変わる。


「信頼してはるんやねぇ」


 閉じ眼がちな紅蒼の瞳が、しみじみとした風情を漂わせながらイブキを見た。


「あんたはんらは十年前に初めて顔合わせたんとちゃうの?」


 時間稼ぎだと自白した上でなお、彼女は話を続けた。

 もちろん律儀に答える理由はない。


 けれど、目の前で監視されているうちは脱出の手立てを探ることもできない。

 分かっているからこそ、彼女もここを動くつもりはないだろう。


 であれば、ただ時間を浪費するよりはこの探り合い・・・・に乗る方が、いくらか敵の内情を探ることにも繋がりそうだ。


 無論、敵に自分達の情報を伝えてしまう可能性もある。

 むしろミラ相手ですら、舌戦でしてやられたイブキからしてみれば、その可能性の方が高い。


 しかし、今の何一つわからない状況よりはマシに違いない。

 肉を切らせてなんとやら、である。


 脱出方法を考えるのだけは止めずに、イブキは”骨を断つ”覚悟を決めた。


「十年間、ずっと一緒でしたからね」

桜邑おうらで?」

「ご存知の通り」

「ふぅん」


 一つ一つ、慎重に言葉を選びながら、開示していく。


「逆に聞きますけど」

「ん、ええよ」


 彼女は手に持っていた一升瓶を煽ると、口の端をちろりと舐め上げた。


「まあ、本当のことを答えるかどうかは分からんけどねぇ?」


 蛇が鎌首をもたげるように、ゆったりとした重苦しい雰囲気があたりに漂う。

 一度唾を飲み込んでから、イブキは口を開き、



「…………えーっと、お名前を伺っても?」



「ほえ……?」


 重苦しい空気が霧散した。



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