第15話 化け猫


 御子柴みこしばミラには仇敵がいる。


 名家出身たる彼女は養成学校スクールに入るまで、いや、養成学校スクールに入ってからも『敗北』というものを知らなかった。


 普通、本物を超える贋作など存在しない。

《模倣》の天稟ルクスに限らず、二番煎じは劣化コピーになると相場が決まっている。


 しかしミラの場合、条件付きとはいえ二つの天稟ルクスが使用可能となるため、対峙した相手以上になって当然。


 むしろ相手に劣る方が難しかった。

 言わば”良化”コピー。

 全くもって理不尽な存在で、他の学生からすれば超えられぬ壁として目の上のたんこぶであったに違いない。

 それほどまでにミラは隔絶した少女だった。


 ──東のトップ養成学校スクールとの対抗戦が行われる、あの日までは。




 一瞬だった。


 気がついたら、場外の地面に叩きつけられていた。


『す、すみません! 上手く加減ができなくて……!』


 揺らぐ視界に、場内に立つ小柄な少女が映り込む。

 彼女はしきりにこちらに謝っていた。


 呆然とした。


 初めての敗北。

 それも瞬殺という、最上級の無様な負け方。

 挙句、勝ったはずの小動物のような相手に謝られている。


 ──この、わたくしに……っ。絶対にコロス……!!

 ──貴方の顔は忘れませんわ!




 次年度。


『お久しぶりですわね。今年こそは貴方に地を舐めさせてあげますわ』

『…………。ええと、どちらさまでしょうか?』

『………………は?』


 ミラはキレた。

 ついでに普通に負けた。




 さらに次年度。


『これがわたくしの本当の実力。昨年まではついていくのがやっとでしたが、今のわたくしなら貴方の速さ程度、超えてみせますわ!』

『すごい! ────じゃあ、もっと速くするね?』

「………………へ?」


 圧倒的に負けた。

 ミラは拗ねた。




 三年間、一度として勝てなかった相手。


 二年目からは《加速》を《模倣》して挑んでいたにも関わらず、こちらが扱う二種類の天稟ルクスを《加速》だけであっさりと超えていく、正真正銘の化け物。


 二戦目以降で当たった西の学生は皆、軽々と自分を超えるヒナタに心折られてしばらく再起不能になっていた。


 もはや血筋も関係なく、ただひたすらに超えるべき壁、というのが令嬢ミラにとっての庶民ヒナタという少女である。


 ……さすがにもう存在を忘れられていないと思いたい。


 ともかく、《加速》の天稟ルクスは、ミラにとっては超えられぬ壁の象徴。

 その《加速》を乗せた一撃に、眼前の男・・・・はあっさりと初見で対応してみせた。


(なんなのですか、この男……ッ!!)


 ミラは心の中で叫んだ。




 ♢♢♢♢♢




 ──というのが、ミラ様の今の胸中だろうな(パーフェクト理解)。


 《加速》使ってたってことはルイじゃなくてヒナタちゃんにボロボロに負けたんだろう。


 ナンデダロウ、原作と違うナー……。

 また俺がヒナタちゃん、強くし過ぎちゃったからカナー……。


 でもまあ、ピタゴラ式にミラ様も原作初登場時よりは強くなってるみたいだし。

 ルイの時と違って、本人に悪影響が出てないならオッケーでしょ!


 ──いま対峙してる俺以外はなぁ……!!


「……なぜ、今の速度に対応できたのでしょう」


 掌底とぶつかる六角棍に負荷がかかり、ぎしっと音を立てる。

 俯きがちに、前髪で目元が暗くなったミラ様が問うた。


 ヒナタちゃんで慣れてた、とか言えるわけがない。


「勘、とか?」

「勘……そう、勘……」


 ふっと相手の力が抜けた瞬間、飛び退る。

 ミラ様はその場に立ち尽くしていた。


 落ちる沈黙のとばり


 しかし俺は知っている。

 これは、嵐の前の静けさだと。



カスの勘如きで、このわたくしの努力が否定されるなど、あってはなりませんわ」



 彼女が丁寧に被ってきた化け猫の皮が剥がれる時だと。


お前・・も、そう思うでしょうっ!?」


 手にしていた扇子を放り投げ、両掌の上で火球を燃やす。


 ──来るっ!


 予感と同時。

 彼女の背後で・・・・・・炎の壁が立ちのぼった。


「っ!? なにを……」

「虫一匹、逃さないためですわ。光栄に思え、下民ッ!」


 今度こそ彼女が地を蹴り、戦闘に不向きなドレス姿とは思えない速度で迫り来る。


 ヒナタちゃんよりは、明確に遅い。

 けれど、彼女よりも気が抜けない。


 なぜならミラ様は素手・・だからだ。


「────ッ」


 正拳突きや横面打ち。

 空手や合気に似た武道の技マーシャルアーツを躱して、避けて、逃げまくる。


 鉄手甲ガントレットを装備していたヒナタちゃんならともかく、素手のミラ様の攻撃を受けようものなら『接触』の代償アンブラが即発動する。


 そうなれば、色んな意味で終わる……!!


「チッ、ちょこまかと羽虫のように!」

「羽虫一匹に対して全力すぎないかな!?」


 炎壁で逃げ道まで塞ぐ周到具合に悲鳴じみた非難を送るも、ご令嬢は鼻で笑う。


「羽虫だろうが顔の前で飛び回られたら鬱陶しくて敵いませんことよ。叩き潰したくて堪りませんの!!」

「なんて物騒なお嬢様言葉だ!」

「お黙りなさい!」


 漆黒のドレスの裾を翻して回し蹴りが見舞われる。


「ちょっ、はしたな──」


 言い切るより早く、眼前でキラキラと煌めく粉末。


「っ!?」


 咄嗟に顔を背けながら、転がるようにして全力退避。

 背後に感じる熱の源を見れば、脚撃の軌跡を追うように炎が三日月を描いていた。


 描画者ミラ様と視線が交差する。


 アーティストの目は隠し玉を避けられた口惜しさなど微塵も感じさせずに俺を捉えていた。


 ……これは本格的にやばそうだぞ。


 ミラ様は、ヒナタちゃんやルイのような突き抜ける一芸者スペシャリストとは違う。

 しかし、その代わりに彼女たちをも超えうる万能の多才者ジェネラリストとしての強さを持っている。


 その真骨頂こそが、《模倣》した二つの天稟ルクスの合わせ技。

 今回で言えば《加速》と《発火》の共演である。


 原作と違って『飢餓』という代償アンブラがあるとは言え、まだまだ限界は遠いだろう。

 早い話が「炎まで使えるようになったヒナタちゃん」。


 そんな彼女を正面から相手するのは、さすがに荷が重すぎる。


 とっとと、どう逃げるかを考えなきゃ……。


「──いや、待てよ」


 ふと我に返ったことで、先ほどまであったはずの疑念が舞い戻ってくる。


 さっきは誤魔化されたがミラ様はなんでここにいる?

 昨日の今日で俺の前に現れたことが偶然だなんてことあるのか?


 しかし昨日の一瞬の邂逅でバレるようなヘマは流石にしていない。


 元々、他に目的があったのか?

 彼女が天翼の守護者エクスシアであることを考えれば、何かの任務?


 分からない。

 一切の情報が手元にない。


 けれど、あまり良い予感はしない。


 ここへ駆けつけた時間から考えて、ミラ様は俺が襲撃してすぐに近場から駆けつけたはずだ。

 であれば、クシナの方はどうだろう。


 ほぼ同時刻に襲撃を始めたはずだが、あちらはなんと言っても御料車。

 ミラ様の立場的にも生まれ的にも、こんな研究所を優先させることがありうるのか?


 最悪の場合だが……あちらはクシナに、幹部〈刹那セツナ〉に対応できるだけの駒が送られている、とか?


 そんな存在がこの世にいるのかどうかはさておき、時間的制限があるクシナを当初の予定通り動かすのは、良くない。


「──このわたくしを前に何を悠長に思索していますの?」

「…………ッ」


 一瞬の隙に差し込むような、鋭い前蹴り。

 仮に避けても、続く炎に巻かれるのは自明だった。


「終わりですわ。火だるまになりなさいッ!」


 対応に遅れたこのタイミングでは避けきれない一撃。


 ──それを、あえて腕で受けた・・・・・・・・


 接触の瞬間、すかさず《分離》。

 対象は、自身の腕と革靴のヒール。


「えっ!?」


 ミラ様の予想以上に吹き飛ぶ俺。


 それによって、迫り来る炎の波を避け切る。

 なおかつ、俺と彼女の間合いには充分な開きが生まれた。


 俺はすかさず六角棍を目の前で横に倒す。

 地面と水平に、つまり両側の壁に直角となる構え。


「伸びろ」


 片方の端がぶつかるは鉄製の壁。

 そしてもう片方は──ガラスだ。


「これなら耐久性は関係ないからね」


 一瞬の詰まりの後。

 如意棒モドキがガラスを突き破り、一面に蜘蛛の巣状の罅を走らせた。


「くっ……!」


 俺の狙いを察し、《加速》した踏み込みで俺に肉薄するミラ様。

 けれど、こちらの方が早い。


 俺はガラス窓に向かって走り出す。


 ガラスの向こうは断崖絶壁。

 下には宍道湖が広がっているが、まあ、なんとかなるだろう。


 悲しいことに、ここ数ヶ月で飛び降りに慣れ切ってしまっている。

 いまさら怖気付くことはない。


 炎を纏う化け猫お嬢様に対峙するより、よっぽどマシだ。


 ちらりと目を向ければ、ミラ様は諦めることなく距離を詰めてきている。


 あと一歩。

 あと一瞬、俺の出だしが遅れていたら間に合わなかっただろう。


 どこまでも油断ならない原作メインキャラの一人との邂逅に、ほんの少しの名残惜しさを覚えつつ、


「────」


 俺は、




「悪いなぁ」




 足を、


「ちょいと痛いやろうけど」


 踏み出せなかった。


「ほんま堪忍え」

「────」


 心臓を握り込まれたかのように身体が硬直する。

 手足から血が引いていく音すら聞こえた。


 これは、恐怖だ。


「…………っ」


 かろうじて目を向けるは、化け猫令嬢とは反対・・

 俺の来た方に立つ、深緑の着物姿の女。


 その大蛇のような威圧に全身を凍らせた瞬間。

 俺の鳩尾みぞおちに衝撃が走った。


「うぐ……っ!?」


 突き刺すようにぶつけられたのは、革靴の爪先。


ひざまずきなさい、下民」


 《加速》の乗った回し蹴りをまともに受け、遅れてやってくる痛みとともに吹き飛ぶ。

 受け身も取れずに壁に叩きつけられ、鼻を刺すような血の匂いがした。


 からん、と六角棍が床に転がる音が響き、視界が暗く閉ざされていく。


「遅いですわ、お姉様」

「わざわざ反対側からここまで来はった姉に言うんが、それなん? しんどい疲れたわぁ」


 暗転する意識の隅で、そんな言葉が最後に聞こえた。


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