序幕 しのぶれど・下


「いち、ねん……? いっ、いえ、それ以前に、寿命……?」


 自分は寿命という単語の意味を勘違いしてはいないだろうか。

 一度そう疑い、その後で自分がクシナに揶揄われているのではと疑いを重ねる。


 けれど、眼前に佇む彼女は穏やかな、そして何処までも透明な微笑みを湛えたまま。

 否応なく、それが冗談などではないのだと知らしめられる。


 しばらく放心したままのヒナタを、クシナはただ見つめていた。

 やがて何かを拒むようにヒナタはゆるゆると首を振り、


「ど、どうして……?」


 口にしてから、気づく。

 答え合わせをするように、クシナが言った。


代償アンブラよ。寿命の消費という、ね」

「分かるんですか……? それは、確かなんですか?」


 ふっ、とクシナが笑みをこぼす。


「本当に優しいのね、貴女って。ついさっきまで──」

「──そういうのいいからッ!!」


 耳に返ってきた音で、自分が発した声だと知る。

 はっとして顔を上げれば、クシナも目を丸くしてこちらを見ていた。


「い、いや……いえ、だって……」


 後ずさりそうになった足が止まる。


「だってクシナちゃんは、わたしにとっても、本当のお姉さんみたいな……そんな相手が、余命一年って……そんなの、いきなり言われても……っ」


 言い訳のように言葉がこぼれ落ちていく。

 ──いつの間にか横にいたクシナに、抱きしめられる。


「クシナ、ちゃん……?」

「ありがとうね、ヒナタ」


 肩のあたりで、くぐもった声がした。

 それからクシナは体を離し、見上げるヒナタの瞳を見下ろして言った。


「頭の中で自分の天稟ルクスについてイメージした時、何か浮かび上がるものはある?」

「……え? ええ、ありますけど……」

「どんなの?」


 ヒナタは目を瞑り、「天稟ルクスを見せて」とほんの軽く念じた。

 すると、真っ白な正方形の部屋が浮かび上がってくる。

 その中央には腰までの高さの書見台がポツンと立っていた。

 その上に載せられているのは──、


「分厚い本、です。ただ、周りに鎖が巻かれていて開けないようになっていて……あっ、でも、表紙が破られているので、一番上の一頁だけは読めます。そこに、わたしの天稟ルクスが書かれてるって感じですね」

「ふぅん、貴女はそうなの……」


 目を開けると、クシナの表情は思案げに揺れていた。


「クシナちゃんは違うんですか?」

「そうね。あたしは……」


 先程のヒナタ同様、クシナが目を瞑り、


「あたしのは、紙きれ一枚。破れているとかはないけど、随分と古ぼけている感じで、ちょっとヒナタのに似ているかもしれないわね」

「そこに天稟ルクスが書かれているんですよね?」

「ええ。──そして、その紙の裏に、代償アンブラが書かれているの」


 ぐっと、ヒナタの体が強張る。

 それを解きほぐすようにクシナは優しくヒナタの頭を撫でた。


「紙の真ん中に大きく数字が書かれているわ。一秒ごとに墨が滲み、消えるように、その数字が減っていくの。もうすぐ32000000を切りそうってところ」

「待ってくださいっ、それじゃあ寿命かどうかなんて……」


 食いつくように言うも、穏やかに首を振られて否定される。


「分かるのよ。天稟ルクスを使って代償アンブラが発動するたびに、恐ろしいほどの脱力感に襲われるの。『ああ、命が削られた』ってはっきり感じ取れてしまうくらいのね」

「そんな……」

「人間が、たった一秒の現在イマを生きるということ。それがどれだけ重いか、よく分かるの」

「…………」

「二秒減っただけでその倍も疲れるんだから、堪ったものじゃないわよ、本当に」


 ヒナタはただ沈黙だけを返した。

 自分に返せるものは、それしかなかったから。

 それから、クシナの言葉への返答ではないと明確に分かるほどに間を置いた後。


「……そんなの、戦えないじゃないですか」


 クシナの天稟ルクスの詳細は知らない。

 しかし、それによって彼女の──大好きな人の命が削られると分かっていて戦うことなんてできるわけがない。

 元よりヒナタは今日ここに戦いに来たわけではなかったのだが、それはきっと単に正義と悪として戦うというだけの意味ではなく……。


「ねえ」


 薄暗い雲を切り裂くように、クシナが言った。


「一週間だけ、待ってもらえないかしら。それから、もう一度お話ししましょう?」


 ヒナタは静かに、頷きを返した。



 ♢♢♢♢♢



 意外に思うかもしれないが、我が家こと指宿いぶすき家はごちゃごちゃしている。


 もちろん毎日クシナが掃除し、俺もマメに手伝っているので、汚いと言うわけではない。

 むしろそこらへんの大学生の家と比べればハウスキーパーでも雇っているのかというほどに小綺麗だった。


 だが如何いかんせん、物が多いのである。


 俺は一つの物に対しての執着がどうにも長続きしないタイプだ。

 前世の頃からそれを自覚していたので、イブキとして生きるようになってからは物を極力手元に置かないようにしている。

 何かを欲しいなと思っても、三日も我慢すれば熱は冷める。


 反対に同居人──クシナの方は手元に置いた物全てに長く愛着を持っていられる、物持ちのいいタイプだった。

 知っている限りで最古の物は、出会った頃に俺がプレゼントした櫛である。


 まだ幼かったこともあって安物で、造りも決して良くはないだろう。

 それを十年も使い続けているのが凄すぎる。

 普通に考えて、いくら大事にしても劣化とかでボロボロにならないとおかしい。

 ひょっとして時間とか停めちゃってます……?


 というのは冗談にしても、基本的にほぼ全ての物品においてクシナは尋常じゃないほど物持ちがいい。

 なので、むかし俺が渡したプレゼントとかで、クシナの部屋は軽く雑貨店が開けるレベルになっている。


 加えて、彼女は季節のものが大好きだった。

 夏でいえば風鈴、冬でいえば炬燵。

 そういった四季折々の色を持ったものが大好きで、我が家の至る所に綺麗に収納されている。


 で、春がもう終わってきたかな、という時分の現在。


「はあ〜」


 縁側に座っていた俺はお茶を飲んで一息つく。

 目の前の庭にもまた、季節の花々が咲き誇っていた。


 ついこの間までの目玉の花は、香り高く白と紫の花弁が美しい茉莉花まつりか

 最近だと、まだ緑色の紫陽花の花がなんとも風流である。


「はい。どうぞ」


 のんびりしていた俺の横に、茶菓子の入った籠が置かれた。

 そこから顔を上に向ければ、頬を緩ませた幼馴染の顔がある。


「ん、ありがと〜」

「ふふっ。なんだか、ふにゃふにゃね」

「ここしばらく慌ただしくしてたから、気が抜けちゃった」

「お疲れ様。ありがとうね、色々」


 クシナが俺の隣に座って言う。


「こっちの台詞だけど」

「じゃあ、お互い様ってことで」

「ん」


 それから二人でぼんやりと庭を眺める。

 かこん、と鹿おどしが音を立てた。


「ねえ、旅行に行かない?」


 クシナが言う。


「いいよ。どこ行く? いつにしよっか?」

「場所は、あたしたちが初めて出会った場所」

「────」


 見れば、彼女は顎に指を当てて考え込むようにしていた。


「行くのは──、うーん、明日?」

「ええっ!?」


 クシナは立てた膝に頭を乗せ、俺を覗き込むようにしながら、


「大学なんて、サボっちゃいましょう?」


 目を細めて、彼女には珍しいイタズラな微笑みを浮かべた。




────────────────────────────

これにて序幕は終わりとなります。

第三章『追憶』、お楽しみいただければ嬉しいです。それでは。

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