第1話 心当たりが微塵もない


「じゃあ今日中に外で用事を済ませてくるわね。貴方も適当にゆっくりしてて」


 そう言い残してクシナは足取り軽く部屋を出ていった。

 俺が驚きと衝撃に言葉を返せていない間のことである。

 あのクシナが学校をサボろうだなんて……。

 十年付き合っていて初めて聞くセリフだ。

 廊下からご機嫌な鼻歌まで聞こえてきて、どうやら相当楽しみにしているらしい。


「ま、いいんだけどさ」


 幼馴染の珍しい姿には驚かされたものの、あの子がるんるんしていると俺も嬉しい。


「……珍しい、ね」


 不意に、何年も思い出していなかった記憶が蘇る。

 それは──原作『私の視た夢』における、我が幼馴染。


『──私を、捕まえる? やめておきなさい。貴女には不可能です』


 彼岸花の咲く黒いローブを靡かせた、死神の影を思わせる立ち姿。

救世の契りネガ・メサイア】幹部【六使徒】第三席、〈刹那セツナ〉。


 連続殺人犯〈誘宵いざよい〉の捕縛、同組織有力構成員〈剛鬼ゴウキ〉の検挙を経て、自信を得た主人公・傍陽そえひヒナタを完膚なきまでに叩きのめした張本人こそが彼女である。


 風が吹けば塵が舞う。

 只々それだけの事だと言わんばかりに、襲撃された研究所に駆けつけたヒナタを一瞬で昏倒させて悠然と歩き去る圧倒的強者の姿は読者を驚愕させた。


 しかもその場にいた絶対的相棒・雨剣ルイをして一歩も動けないほどの圧を放ち、通り過ぎ様に『貴女の方は賢いですね』と一瞥だけ残していくというおまけ付きである。


 元々『わたゆめ』は、連載開始当初から「主人公の能力強すぎてヌルゲー」などと言われることも少なくなかっただけにインパクトは抜群だった。


 ──いやまあ俺は当然そんな風には言ってないしそもそも『わたゆめ』の良さって普通の夢見る少女であったヒナタちゃんが身に余る力を手に入れてそれでもその才能に飲まれないよう足掻き正義をなす成長の(割愛)


 ……という具合で、物語的に言えば第三章にして現れた素性不明の絶対強者。

 無論、第三章のボス程度、役不足も甚だしい。

 その後もシリーズを通して、要所でこそ姿を現す準レギュラーと相なった。


 一時期は正体予想や、素顔を予想して描かれたファンアートなどで随分と盛り上がったのをよく覚えている。


 ……まあ結局、俺が読んでいた部分まででは答え合わせはされなかったのだが。

 初登場から数個後の章でも正体が割れないとか、とんでもないガードの硬さである。


 今こうして現実にいる彼女の強さや性格を考えれば、何をどうミスっても正体が割れることなどないな、と納得しかない。


 ちなみに現・〈刹那セツナ〉唯一の部下こと俺──指宿いぶすきイブキは、原作では〈刹那セツナ〉の部下ですらない一般構成員だ。

 なので紋様は彼岸花ではなく、薔薇十字を模した【救世の契りネガ・メサイア】共通の紋様。


 幹部の〈刹那セツナ〉との関わりは恐らく一切なかったはずである。

 それが──、


「あ、イブキ。あたしの白いワンピース、リュックに入れておいてくれない?」

「わざわざ戻ってきて言うことが、それか……。二階の奥のクローゼットのやつでしょ? あそこ入ってもいいの?」

「え? うん」

「はいよ。いってらっしゃい」

「ん、ありがと。いってきます」


 それが──何故こうも親しくなったのか。


 そのきっかけをもう一度観に行こう、と。

 うちの幼馴染はそう言っているのだ。



 ♢♢♢♢♢



「あ、お兄さん……」

「っ……」


 家を出たら、天使が二人いた。

 ちょっと散歩でもするかと思っただけなのに、人も歩けば天使に当たるということわざは本当だったんだな……。


 片方は高校の制服に身を包んだ我が最推し・傍陽ヒナタ。

 もう片方は初めてみる制服姿の彼女の相棒・雨剣ルイ。

 つまり……、


「────」


 ああああああっ、推しが二人並んでる!!

 これ!! これすごいですよ皆さん今!!

 ……え? 今までも並んでたろって? いやいやいやいや分かってないなぁ!

 ヒナタちゃんとは元から仲良くさせてもらっているけどルイ! ルイの方ですよ問題は! 

 今まではヒナタちゃんの横で嫌そうな顔をされたり憎しみをこもった目で見られたりと散々な仲だった彼女とこの前良好な仲を築けたんです! そう、オタク仲間として!!

 つまり!! 俺は今初めてフラットな状態の二人と向かい合えたと言うわけなのである!!


「こんにちは、二人とも……!」


 俺はにっこにこで二人に声を掛ける。

 そして、俺と二人の目が合った瞬間。



「え、えっと……はい、こんにちは、お兄さん……」


「ぁ、う……、……フンっ」



 ヒナタちゃんは何を言えばいいのか分からないといった表情で気まずそうに目を逸らし、ルイはその蒼い瞳で一瞬俺の顔を見たと思ったら急に顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。


 ──あっるえーっ!? フラットな状態の推し二人どこォー!?


「な、なぜぇ……?」


 驚愕し、狼狽する俺。

 心臓を落っことしたのかと思うほど身体の軸が冷え切り、ガタガタと

手足が震え出す。


 ──お、俺、またなんかやっちゃいました……?


「あ、あの〜、お二人さん?」


 恐る恐る声をかけ直してみる。

 それから、子猫に近寄る時もこんなに慎重に近寄らないというぐらい慎重に距離を詰めていく。

 するとルイが、


「っ! 近寄らないで!」

「!?!?!?」


 次いでヒナタちゃんが、


「……ごめんなさい、お兄さん。今日は少し具合が優れなくて……家に戻りますね」

「!?!?!?!?!??!?!?!?」


 明らかに俺から距離を取るようにして、自宅の門の中に戻っていく。

 それに驚いたのは俺だけではない。


「えっ、ヒナ!?」


 途端におろおろし始める相棒の方だけを見るようにしてヒナタちゃんが口を開く。


「ごめんね、ルイちゃん。今日はちょっと特訓は無しってことで……」

「そ、それはいいのだけどっ」

「うん。ありがとう。それじゃあ、また明日……お兄さんも、どうも」


 そして、隣家のドアは閉ざされた。

 残されたのは俺とルイの、二人だけ。


 この間は気まずいどころか楽しいまであるほどに打ち解けたと思えたのだが……。


「あのー、ルイ、さん?」

「なっ、なにかしらっ?」


 彼女は返事をしてから、ぎこちなく俺の顔を見上げた。

 見上げたと言っても10センチくらいしか身長差がないので、ちょっとした上目遣い程度だ。


「えーと、……うちでも寄ってく?」


 たっぷり五秒ほどの沈黙の後。

 頬を仄かに色づかせた絶世の美少女にしてかつての天敵が、どこか涙目で弱々しく頷いた。



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