第5話 攻撃力に極振りしたいと思います


「今日、お母さんもお父さんもいないんです」


 俺を自宅に招き入れての開口一番、ヒナタちゃんはそう言った。

 細められた桃色の瞳が妖しく光った……気がする。


「へっ、へえ、そうなんだぁ……」


 彼女の台詞に、一瞬ドキッとする。

 意味深に聞こえてしまうのは、俺の心が汚れているからだ。


 その言葉に深い意味などない。

 ヒナタちゃんは天然なのだ……。


 しかし彼女のためを思うなら、ここで一度ガツンと注意しておくべきだろう。


「ヒナタちゃん、他の人にそういうこと言っちゃ──」

「お兄さんにしか言いませんよ?」

「あっ、うん……」


 俺イズ雑魚。

 頬を軽く膨らませて、拗ねたように上目遣いで見られると何も言えなくなってしまいます……。


「それじゃあ──わたしの部屋に行きましょうか」

「え」


 にっこりと笑う推しを、信じられない目で見つめる俺。


「いやいやいや、流石に女の子の部屋に上がり込むのは……」

「──へえ」


 ヒナタちゃんの笑顔、そのが変容した気がした。


「わたしの事、女の子だって意識してくれるんですね……?」

「それは、まあ……」


 だって女の子だし……というか推しですらあるし……。

 言い淀みながらも肯定する俺をヒナタちゃんはジッと見つめた。

 それから、


「でもごめんなさい、お兄さん。両親が出かける準備するのにリビングを散らかしていっちゃって……」


 えへへ、とはにかむヒナタちゃん。

 数瞬前までとは打って変わって、幼い頃のような朗らかな雰囲気だった。


「リビングは恥ずかしいので、わたしの部屋がいいです。……ダメ、ですか?」

「ダメじゃないです」


 推しのオネガイは正義だよね、うん。

 いや、推しの部屋に入ったとてね? 邪な気持ちを抱かなきゃいいだけなんですよ。

 俺の鋼の精神力を舐めるなよ……?


「ありがとうございます。上、行きましょうか」

「うん」


 ヒナタちゃんの先導について、階段を登る。

 と、ここで俺は気づいた。


 本日は傍陽家に来たわけだが、ヒナタちゃんは外出時と変わらぬお洒落をしている。

 これは、昨日のうちに俺が訪ねてもいいか訊いておいたからだろう。


 部屋着のヒナタちゃんとか死ぬほど見てみたかったが、俺は身の程を弁えたオタクの鑑である。

 推しへの熱い想ひを自分の中で供養する方法を習得している。

 ……別にちょっとガッカリなんてしていない。

 していないったら、していない。


 問題は俺ではなく、ヒナタちゃんの格好だ。


 明るい花柄や所々にあしらわれたフリルなど、少女らしいガーリーな装い。

 春の陽光のようなヒナタちゃんにはよく似合っている。


 けれど少し……。


「────」


 そう、ほんの少しスカートが短すぎるかも……。


 ヒナタちゃんが階段を登りはじめた瞬間に、それに気づいた。

 ここで焦った俺は、ヒナタちゃんとの高低差を縮めにかかる。


 で、ちょっと近づきすぎた。


「お、おにいさん……っ?」

「あ、ちが」


 急に近づいてきた俺にびっくりして、ヒナタちゃんが肩越しに振り返った。

 慌てて離れようとして、──つるっと足を踏み外す。


 まずい、と思いながらも壁に触れて《分離》。

 勢いを殺すと、2段下で踏みとどまる。


 しかし、安堵するのは早かった。

 落ちそうになった俺を見て、ヒナタちゃんが掴んでくれようとしたのだ。


 いきなり停止した俺と、飛び込んできた天使。


「うわっ」

「きゃあっ」


 二人揃って、俺たちは落下する。

 幸い登りたてだったので、大して高さはなかった。


「いてて……」

「ご、ごめんなさい、お兄さん、大丈夫で───」


 ほんの少しの行使。

 それでも《分離》してしまった代償アンブラがやってくる。

 俺は床に倒れ込んだまま、


「──ひゃう……!?」


 上に乗るヒナタちゃんを抱きしめた。


「ま、待ってくださぃ、嬉しいですけどっ、まだ心の準備が……っ」

「────」


 腕の中のヒナタちゃんが蠢き、必死に何かを言っているのは分かるが、思考がぼやけていて判然としない。


「……え、あれ? ……あ、これひょっとして……」

「────」


 あくまで軽くだったので、おそらく5秒くらいで代償アンブラを支払い終える。

 意識が浮上した瞬間。

 俺は身体を横にしてヒナタちゃんを優しく転がす。


「ごめん、ヒナタちゃんっ! 大丈夫? 怪我は!?」


 俺が身体を起こそうとすると、引っ張るようにしてそれを止められた。

 言うまでもなく、止めたのはヒナタちゃんの手だ。


「? どうし──」

「ふふっ」

「────」


 今はちょうど、俺がヒナタちゃんに腕枕をするような体勢で寝転がっている。

 推しのご尊顔が、とても近い──ッ。


「もっと、ぎゅうってしてもいいんですよ……?」

「………ぁ」


 あでやかな弧を描く口元に、紫がかった光を宿すあやしい瞳。

 最近見せるようになった、小悪魔じみた微笑み。

 吸い込まれるように釘付けになって、気づいた。


「────」


 ヒナタちゃんの耳が真っ赤に染まっていた。


 それで察する。

 ヒナタちゃんは、抱きしめてしまったことを俺が気にしないでいいように、こう言ってくれているのだ。


 なんという天使っぷりだろうか。


 俺は、自分にできる限り優しく微笑んだ。


「ありがとう、ヒナタちゃん。でも、無理しないでいいんだよ?」

「………へ?」


 ヒナタちゃんが気の抜けた声を出した。

 そんな誤魔化さなくてもいいのにね。


「ほら、耳まで赤くして無理しないでいいよ?」

「────」


 ヒナタちゃんが、目を見開いた。

 そして、みるみるうちに、


「〜〜〜〜っ!!」


 耳だけでなく頬まで真っ赤にする。

 流石の身のこなしで跳ね起きると、熟れた頬を両手で押さえて、涙目で俺を見た。


「お、お兄さんのばか! デリカシーなし!」

「あ、ちょ」

「もうっ!」


 尻餅をついたままの俺を置いて、リビングの方に走っていってしまう。


「先に上がっててください! 飲み物持って行きますから! こっちに来たら許しませんからっ!」

「……うん、わかった」


 彼女が消えていった方にぽつりと返事して、起き上がる。


「俺、またなんかやっちゃった……?」




 ♦︎♢♦︎♢♦︎




 ヒナタちゃんの部屋はとても少女らしい部屋で、そろりと入った頃には先ほどまでの微笑ましさは少し薄れていた。


 部屋の見た目の可愛らしさに負けないよう目を閉じると、甘い女の子の匂いがしてもっと緊張する。

 ので、クシナの落ち着く匂いを思い出して心を鎮めた。


 なんてことをやっているうちに、冷静になったらしきヒナタちゃんもやってきた。

 先程のことを忘れるように、二人して世間話をする。


 そうしているうちに、俺たちの間にあった緊張感は溶けていった。


 そのせいか、あるいは家だと気が抜けて不用意になってしまうのか。

 俺の前に座ったヒナタちゃんはたまに膝を立てたりしていて、何とは言わないが危うい。


 けれど、先程の大天使ヒナタちゃんを見ていた俺は、無敵のメンタルを手に入れていた。

 自分の魅力を理解しておらず、まだまだ無警戒な彼女に微笑ましさすら覚える。


 そんな俺に対して、なぜかヒナタちゃんは時々顔を赤くして「うぅ〜」と唸っていた。


 ともかく、俺たちの会話は順調だった。

 ──俺が、本題を口にするまでは。


「今日はその、雨剣うつるぎさんのことを聞きたくて……」

「…………へえ、どうしてですか?」


 ふと、推しの声色が暗くなった気がする。


「いや、その、できれば仲良くしたいなあ、なんて……」


 ヒナタちゃんの瞳から、光が失われた気がした。


「ふぅん……──まだタリナイんですね、おにーさん」


 俺はごくりと唾を飲み込む。


 ──また俺、なんかやっちゃいました……?



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