幸せな推し事
木曜日御前
彼女は幸せだったのか
新宿歌舞伎町、7月の正午。
狭いマンションの一室、数人の女の子たちが肩を寄せ合い、静かに息を潜めていた。
私もまた、その中で一人スマートフォンを弄りながら、次のアポを探す。SNSで、飢えたおっさんを探すのは、もう慣れたものでするすると捕まえられる。
まだ未成年の私の生活は、この部屋で寝泊まりして、クソみたいなおっさんと、金貰って、ヤッて、寝る。
危ない橋渡るなら、倫理観が終わったスカウトに頼んでやべぇ店で働く手段もあるが、そこまで勇気が出ない奴らがここで自堕落に暮らしていた。
ここにいる女達は皆そうやって生き延びて来た。まるで牢獄のような部屋であるが、ここにいる全員が地獄から逃げてきたサバイバーのようなもの。
リスカしたり、オーバードープしたり、首絞めが好きだったりと、自殺願望あるやつも多いけど。
各言う私も、今は死ぬ前の暇つぶしみたいな人生だと思っている。さっさと、死んでしまいたいが、勇気がない。
昔か、今か、死後か。一番の地獄かなんて、表面だけ見た他人が決められない。私達が決めることだ。少なくとも、私にとっては昔に比べたら天国のような生活だ。
「じゃ、いくわ」
私は早速アポが取れた男の元へ行く。とりあえず、食事から。腹が膨れるのはいい。ここ何日かはケチって水とお菓子しか食べれていない。
そうして、向かった先は有名なホストクラブが入っているビルの近く。ホテルも美味しい店も比較的あるから、その辺りの待ち合わせはそこそこ多い。けれど、流石にまだ昼間なので一人くらいしか人は立っていなかった。
しかし、その人はおっさんではない。
物凄く美しい男。
それこそホストの看板すら超えていく、美しさだった。
あまりの美しさに、歌舞伎の女たちですら、どこか遠巻きにしており、なんとも異様な光景だった。
「あれ、ハリヤマさん……じゃないですよね?」
「え?」
「あ、すみません、人違いでしたか」
私は慌ててスマートフォンを開く。最悪なことに、どうやら安い
自分は相当面食いではあるが、今男にかまけてるほど時間はない。いい面拝めた、次に行かなければならない。踵を返した私だったが、突如足止めを食らった。
「あ、あの」
イケメンが声を掛けてきたのだ。
「なんですか? まさか、交渉ですか?」
「いや、あの、良ければこれ、もらってくれない?」
少し不機嫌になりつつも、イケメンに弱い私は振り返って男の呼び声に応じた。すると、男は手に持っていた紙切れをおずおずと私に渡す。
なんだ、ホストの名刺か。売れないホストがたまに女の子に名刺を配ってることがあると聞いていたので、それの類かと思った。
本来ならば貰わないし、無理やり押し付けてきたら目の前で踏み潰していた。
しかし、こんなイケメンがいる店なら、今度初回指名してもいい気がする。
私は素直に紙を受け取るが、それは予想外なものだった。
「初回無料ライブ……?」
「そ、そうなんだ。俺、アイドルやってて。チケット配らなきゃならないんだけど、引っ込み思案でさ。今日良ければ来てよ、楽しいと思うから」
少しばかり引っ込み思案そうな受け答えに、こいつが本当にアイドルなのかと思わず疑いの目を向ける。しかし、顔はやはり一級品。少し彫りが深く、金髪までも艷やかだ。
金はない私、タダというものに弱い。しかも、イケメンがいるのは確定だ。
「いいよ、行くよ」
私はこうして、ライブに足を運んだ。
十人も満たないライブ会場。安っちぃペラペラでダサい衣装を着た7人組。そして、そのセンターでさっきの男が黄色の衣装を着て、堂々と歌って踊っていた。
「皆を幸せにするにハッピーイエロー!」
自己紹介ソングを歌うものだから、さっきとのギャップに驚いてしまう。
そんな男は目聡く私を見つけて、にやりと笑う。あの昼間のオドオドしたお前はどこに行った。けど、それでも。
バーンっ。
彼の指ピストル。私のハートは撃ち抜かれた。
ライブが終わり、数少ない女たちが一斉に物販と呼ばれるブースに並ぶ。
「チェキ一枚千円、十枚買うと動画メッセージ撮れます」
私は自分のなけなしの諭吉を握りしめた。
そして、チェキ十枚買った。イベントブースに入り、彼の列に並ぶ。列には三人並んでおり、枚数順であった。私が先頭で一番少ない。三人目の女の手には厚い束が出来ている。バッグもアクセも有名ブランドのものを着けていた。
「一番目だね! え、十枚買ってくれたの!? ありがとう」
「まあね、初めてでわかんないからさ」
るんるんと話すに、なんだか嬉しい気持ちになる。人生で、私が買ったことで喜ばれる経験なんて一度も無かったから。初めて、生きててよかったと思った。
十枚のチェキ、一本のムービー。
「また会えると嬉しいな、今日はありがとう」
ハニカムように笑う男のムービー。人生で私は初めてクラウドに動画を保存した。チェキも盗まれないよう大事に大事に鞄に仕舞う。
でも、彼のブースから聞こえる、私よりも後ろに並んだ女二人の声。なんだか人生で一番耳障りな音に聞こえた。
その日、私は初めてSNSで交渉用や愚痴用ではなく、彼を応援するためのアカウントを作った。
彼みたいなアイドルを、メンズ地下アイドル、通称メン地下って言うらしい。
知らないことだらけではあったが、これだけはわかった。
金が必要だ。ということに。だから、私は久々に界隈と言われる場所に足を運んだ。新規は興味ない、見つけたいのはあいつ。
「あれ……久々じゃん」
少しばかり清潔感があり、高いブランドのロゴが入ったパーカーを着た男。夏でも冬でも長袖しか着れないおかげで、すぐ見つけられた。
「紹介して」
「え、どうした? ホストでも入れ込んだ?」
「似たようなもんよ。東京でとりあえず」
男は未成年だけど働ける仕事を紹介してくれた。しかも、日払いである。そこそこスペックが良くてよかった。見目だけはマシの糞毒親に感謝はしたくはないが。
まずは東京で働いた。別に今までやっていたことと変わりはない。いくつものお店の看板を背負ったくらいだ。
お店に鬼出勤して、合間にライブに行き、チェキやCDを買う。ライブしている期間中はほぼ毎日、通い詰めていた。二回目以降はライブも有料。四千円が飛んでいく。
それでもいい。歌って踊ってファンサービスをしてくれる彼。それを見てるだけで幸せだ。
「今日もありがとう、みんちゃん」
「ううん、今日もライブ一番素敵だったよ」
最初の頃よりも打ち解けてきてくれた彼。既に撮り尽くしたチェキだが、それでもまだまだ足りない。ムービーの数も増え、彼に並ぶ列もどんどん長くなってきた。
今日は、私が一番後ろで五十枚買っている。あのブランド女は私の一つ前で、随分薄くなった束を持っていた。初めて、私が
彼女はどうやら新宿のキャバ嬢で、少し前まではナンバーだったが、太客に飛ばれたよう。それに比べて、私はどんどん稼いでいる。
「今日も来たよ、大優勝してたよ!」
「ありがとう、ねぇ、みんちゃんって、アカウント、メンチカツのアイコンだよね?」
「そうだよ」
「そっか、今日楽しみにしててね。あ、チェキ一枚もらってもいい?」
「え、いいよ。いっぱいあるし」
初めてのお願いに不思議に思いながら、私はチェキを彼に渡した。何度も、撮ったポーズ。
指ピストルをする彼に私の手ハートが打たれるポーズだ。
その日の夜、店の待機室で休憩していると、私のSNSに知らない男から一通メールが届いた。交渉用じゃないのにと、不思議に思いながら開いたを
「みんちゃん、今日はありがとうね」
それは、今日彼にあげたあのツーショットチェキ。
「どうしたの?」
「うーん……あのさ、これからここ来れる?」
私は店の黒服に尋ねる。今日はもう予約はない。体調不良だと言えば、「鬼出勤だから疲れたんだろ」と何故か同情され、その日は終了となった。
日払いの精算を終えて、私はタクシーで彼に呼ばれた家に向かう。車で二十分の少し綺麗なアパート。指定した家のインターホンを鳴らした。
「いらっしゃい」
そこには、私が推してる大好きな彼がいた。
そして、男女が夜遅く、二人きりの部屋で何になるかは決まっている。
安くて狭いベッドの上、掛け布団だけを纏った私達。
「みんちゃん」
「どうしたの?」
「俺の夢さ、アイドルプロデューサーになりたいんだよね」
唐突な夢の話だった。
「ファン、食ってるのに?」
私は笑いを噛み殺しながら聞くと、彼は真剣な眼差しで答える。
「俺のことを一番好きなファンを幸せにしたいだけだよ。みんちゃんは幸せじゃないの?」
「うん、幸せ。生きててよかった、って思ってる」
私の本心からの言葉に、彼は安心したように目尻を下げた。
「よかった。でも、みんちゃん以外の他人を幸せにするには、他のアイドルたちにも手伝ってもらわなきゃでしょ。だから、アイドルプロデューサーになりたいんだ」
美しい彼の言葉は誠実だ。舞台上の明るい彼も、この側にいる彼もとても愛にい対して誠実である。与えられたものを返したい、そういう誠実。だからこそ、彼の愛は平等であり、最も残酷であることを私は知っている。
(言わば、私は新宿で一番の女になったから。他に大阪や名古屋にも女がいるの、私は知ってるよ)
彼の部屋の黄色いマグカップと、寝始めた彼の寝顔を音消しカメラで撮影する。後で加工して、マウントを取ってきた名古屋の女に送ってやろう。
一番最初に私の後ろに並んでいたやつが、そうだったというのを知ったのは最近だけど。
最近、名古屋でライブやらないようですね。って付けてあげれば発狂するだろうか。
しかし、時として、やはりバチがあたるものだ。
彼のグループがとある有名漫画のアニメソングの主題歌になり、爆発的に人気になったのだ。ライブ会場には、漫画オタクの女たちが犇めき合っており、なんとも異様な風景だった。
それでも、チェキはいつも私が鍵閉めをしており、彼の家とライブ会場と仕事場をぐるぐる回る生活をしていた。
その間、仕事の儲けを上げるために顔も変わったが、ご愛嬌である。
そんな折、遂にツケを払う時が来てしまった。
なんと、週刊誌に撮られたのだ。大々的に私とホテルに入る彼の写真を。正直、週刊誌に撮られるようなグループではなかったのに。家の水漏れのせいで、二人して一時的にホテル暮らししていたのが良くなかった。
「ごめん、俺のせいで」
そう謝る彼に、私は何とも言えない気持ちだ。もう私は成人してるおかげで、犯罪にはならないとは思うけども。
「とりあえず、離れよう。別々に暮らそう。ライブもちょっとの間控えるから」
半同棲状態の彼の家から、私は落ち込む彼の返事も聞かず、最低限の荷物を持って出ていく。とりあえず歌舞伎の仕事場の寮に少しだけ間借りしよう。
歌舞伎に到着して、道を歩く。何人かが私をコソコソ見て話すが、知ったことではない。そして、歌舞伎と新大久保の間ぐらいにある公園に入っていこうとした時だった。
「みつけた」
誰かの声だ。酷く耳障りな声。真後ろから聞こえてきたな。私は、振り向かずともそいつが誰だかわかる。
「うわっ、最悪」
名古屋の女だ。
ぐさりっ、背中から内臓に向かって、冷たくて熱い何かが貫いた。私の薄い腹。黒い服だから分からないのが、幸いなのか不運なのか。
私はその場に倒れた。
女の腕は何度も振り下ろされる。
痛みと熱と、痺れ。そして、それがどんどん無感覚になっていく。
うめき声しか、声にならない中私の頭に浮かぶのは推しの顔。
彼の夢、もうちょっと一緒に見ていたかった。
彼のそばで、もう少し生きていたかった。
汚い歌舞伎の空を見上げたまま、私の意識はどこか遠くへと消えていった。
幸せな推し事 木曜日御前 @narehatedeath888
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