6 付け焼刃
「それでさっきの女の人の事なんだが……一体どうしたのだろうか?」
再び事務所へ向かい始めた所でそう尋ねてきたレイアに、一拍空けてから八尋は答える。
「確信はねえ。だけどもしかしたら、お前の一件の関係者かもしれない」
「関係者? 私のか? それまたどうしてそんな突飛な発想に至るのだ」
「お前を見て露骨に動揺して逃げ出した。それだけと言えばそれまでだけど、正直十分な判断材料に思うよ。それでもし正解だとしたら味方じゃないだろうな」
「まあ私を見て逃げ出すという事はそういう事に……なるのか?」
レイアはしばらく考えるように間を空けてから言う。
「確かにあの反応はそういう事なのかもしれん。殺人未遂を犯せるような人間があの男に対して萎縮するかとも思うが、そもそも依頼した第三者と考えれば説明が付く」
レイアは八尋の考えと同じ事を言うが、それでもどこか納得が行ってなさそうで。
「でも……私はあの人が加害者だとは思わない。八尋の意見を否定するようで悪いが」
「そう思うのも良いだろ。あくまで憶測に過ぎねえんだし。ちなみにどうしてそう思う?」
「……悪い奴には思えなかった。特に理由は無い。直感だよ」
「……そうか。まあそうだと良いな」
別にその考えを否定する必要もない。
損得は置いておいて誰かを疑うよりも信じられる方が前向きな人間性で良いとは思うし、実際そうであるに越した事は無いのだから。
それに真実を自分達で変えられない以上。
そこから導き出される結果も変えられない以上。
より良い結果である事を信じる事は何もおかしくない筈だから。
……そう、何も変えられないのだから。
「よし、着いたぞ」
「此処が烏丸とやらの事務所か」
「ああ。多分世界有数の安全地帯だよ」
目的地にまで無事辿り着いた。
自分が結果に干渉できるのはきっと此処までなのだから。
※
地下一階、地上三階建ての雑居ビルの全フロアを烏丸が所有している。
地下にある魔術の修練場。
一階の危険物だらけの倉庫に、二階の自宅。
そして三階が烏丸信二の事務所だ。
「とりあえずこれで一安心だな」
深く息を吐きながら、応接室のソファに腰を鎮める。
いつ襲撃されるかも分からなかった。
そして加害者かもしれない人間とも関わった。
そうして張り巡らされた緊張感は中々の物で、それ故に解放感はとても大きい。
一方のレイアは周囲をキョロキョロと見渡す。
「どうした?」
「いや、八尋の話を聞く限り、烏丸という人は無茶苦茶凄い人間だと認識しているのだが、そんな男の事務所にしてはこう……なんだろう。普通だなと思ってな。失礼かもしれんが」
「まああの人はぶっ壊れた実力持ってるし、超一流の便利屋だからそれ相応の依頼料とかも振り込まれる。だけどあの人はマジで絵に描いたようなヒーローみたいな人でさ、自分が正しいと思った事に損得勘定無しで動くんだ。結果タダ働き同然の仕事受けたり、他の仕事の利益を経費で食い潰すような依頼も受けたりしてる。だから正直金回りは良くねえ」
「なるほど。正しいと思う事をするのに見返りを求めないんだな、烏丸という男は。素直に尊敬するよ。まさにヒーローな訳だ」
「ああ。でもまあ実を言うとそれだけじゃなくて、あの人単純にギャンブル依存症なんだよな。パチンコスロット競馬に競輪。競艇も齧ってロト6に年末ジャンボ。裏カジノ……はあの人の性格上行かねえだろうけど、とにかく何でも手を出して死ぬ程負けてる。それも大きいかな」
「えぇ……なんだとんでもないクズじゃないか? 私の関心を返して欲しいんだが」
「でもそういうクズな面もちゃんとあるから、どっか安心できるんだよ」
「というと?」
「仕事面だけみりゃあの人は完璧超人な訳でさ。でも私生活とかでどっか抜けた所があると、この人も人間なんだなって思えるだろ」
「思えるだろうが、その抜け方は結構な大穴だぞ」
そう言って二人して苦笑いを浮かべたその時、八尋のスマホに着信が入った。
「……烏丸さんだ」
言いながら立ち上がる。
仕事が終わったらまた連絡すると言っていたが、流石に早すぎる。何かあったのだろうか?
「悪いちょっと出るわ」
「うむ。お構いなく」
レイアが頷いたのを見ながら、部屋を出て通話に応じる。
「もしもし」
『今そっちで何が起きてる』
響き渡る破砕音や衝撃音と共に烏丸の声が聞こえてきた。
察するに敵の魔術師と戦闘中。そんな状況で連絡を寄こしてきたのだろう。
「ちょ、俺に電話なんてしてる場合なんですか!?」
『そういう場合ではないから手短に。今事務所に僕の知らない誰かといるでしょ? 勤務時間外なのにさぁ。そんなの何か緊急事態が起きているに決まってるだろう。何があった』
(……すげえ、そんな事も分かるのかよ)
とはいえ感心している場合ではない。伝えるべき事を伝えなくては。
「無茶苦茶手短に話すと、血塗れで死にかけてた記憶喪失の女の子を事務所で匿ってます。此処なら比較的安全かと思って」
『成程。細かな事情は聞けないし聞かないけど、察するになんか色々あったけど今その子は無事で、事務所で籠城決め込もうって算段な訳だ。流石八尋君。良い考えだ』
「ありがとうございます」
良い判断。烏丸にそう言って貰えるだけでより安堵できるが、烏丸の言葉に日頃の軽さは無く、酷く重く。
決して冷静でなどいられない筈の状況下で冷静に問いかけてくる。
『……ところで八尋君、今その子はこの通話が聞こえるような範囲にいるかい?』
「あ、いえ」
恐らく聞こえると不都合な事でもあるのだろう。そう察してもう少し離れながら答える。
『なら好都合だ。じゃあこれから話す事を良く頭に入れておいて欲しい』
そして一拍空けてから烏丸は言う。
『もし誰かが事務所に乗り込んで来るような状況になったら、その時はその子を囮にしてでも逃げるんだ』
「えッ!? 烏丸さん、一体何言って……」
『そこで籠城する事を決めたキミなら、乗り込んで来るような人間がどういう奴かは分かるだろう。キミが正面から……いや、いかなる手を使ってもプロの魔術師には勝てない』
「い、いやちょっと待ってください。相手が烏丸さんの事知らないようなモグリの可能性もありますし、必ずしもプロの魔術師とは――」
言いながら自分でも何の意味も無い言葉だと理解できた。
モグリなら。
だから何だ。
『相手がモグリでも九割九分キミでは勝てないよ。最終的に遺体が増えるだけだ』
こういう一件に関わってくるような相手である以上、誰であろうと勝つことは不可能。
「……分かってますよ俺だって」
それが分かっていても喰らいつく姿勢を見せようとしたのは、レイアを見捨てるなんて事はできないと思ったからなんて綺麗な物では無いだろう。
此処まで動いたのも、これから動くのも。
原動力は全部碌でもない感情だ。
その感情が湧いてくる限りは。
湧いてくれている限りは。
湧いてしまっている限りは。
「それでも俺は……アイツを見捨てたりするつもりはありません」
逃げるつもりなんてさらさらない。
そして烏丸は軽くため息を吐いた後言う。
『そういう状況になった時、キミが折れてくれる事を祈るよ。とにかく、あくまでそこから逃走する事になった場合を想定して、キミにプレゼントだ。僕の机の引き出しを開けてみてくれ』
「あ、はい」
言われた通り引き出しを開くと、全四種各三枚の札が入っているのが目に映った。
「札? もしかしてこれ……魔具ですか?」
『ああ。赤が魔力の弾丸を飛ばす。青は張り付けた所から結界が生え、黄色いのは射程5メートル未満の転移。緑の奴は煙幕だ。一枚一回の使い捨てだから大切に使うといいよ』
魔具。
魔力を注入し特定の効力を発揮する魔法道具。
希少で高価な代物ではあるが、簡単な物だと最低限魔術を使用できる技量があれば起動できる為、底辺の魔術師でもある程度実力をかさ増しする事ができる。
……志条八尋という特例を除けばの話だが。
「ちょっと待ってください。俺に魔具渡されても使えませんよ」
最低限の技量はある。せめてそれ位は手にできた。
だけどそこから先に進むには、どうしても自身に嵌められた『足枷』が邪魔になる。
それでもそんな事は烏丸も分かっている筈で、この非常時にぬか喜びなどさせない。
『大丈夫。キミ専用にチューニングしてある。チューニング前より効力は落ちたし使い捨てにもなったけど、キミの特異体質でも発動できる筈だ』
「……本当ですか?」
『ああ。まだまだ不完全な代物ではあるけどね』
「……っていうか烏丸さん。こんな物作ってるなら何で教えてくれなかったんですか」
『まだ託せる段階じゃなかった。ソイツの完成度も。そしてキミ自身もね』
「……そうですか」
……まだこういう代物に触れるには早い。
つまりそういう事だろう。
緊急事態だからこそ日の目を浴びた。
こうして自分の手に渡った理由はそれだけだ。
そして紛いなりにも多少の力を得た八尋に釘を刺すように烏丸は言う。
『所詮は逃走を手助けしてくれる程度の物だ。間違っても勝ちに行こうとはするな』
「分かってますよ」
その程度の力では付け焼刃。
底辺魔術師が付け焼刃を身に着けた所で何の脅威でもない。
だからこそ、烏丸は八尋がちゃんと折れてくれる事を祈ったのだろう。
……とはいえ戦う戦わない。
逃げる逃げないは全部、事務所を襲撃された場合の話。
「とにかくこっちは暫く籠城するんで、烏丸さんは目の前に集中してください。うまく行けば数日で事が終わるんですよね? それから気にかけてくれればありがたいかなと」
『明日の朝までに終わらせる』
「……は?」
『事情が変わったからね。多少無茶をしてゴリ押しで突っ切るよ』
「ちょ! ままま待ってください烏丸さん! 今アンタの肩に世界の命運掛かってるんですよ? こっちは大丈夫ですから当初の予定通り――」
『予定通りさ。自分の正義を貫く。いつもとやる事は変わらない』
「……ッ!」
『それじゃあ頼むから、死んでくれるなよ』
そして激しい轟音の中、烏丸の方から通話が切られる。
(……もしかすると世界が滅ぶかもしれない)
ため息を吐くが烏丸が負ける姿など想像ができなくて。
そして明日には烏丸が戻ってくると思うと安堵感が湧き上がってきて。
故に彼の無茶に悪態を吐く気にはなれなかった。
そして世界にとっては耳の痛い話でも、レイアにとっては朗報で。
「何やら声を荒げていたようだが、一体何を言われたんだ?」
「ちょっと色々とな。で、烏丸さんなんだけど、明日の昼頃には戻ってこれそうみたいで」
魔具を手にして応接間に戻った八尋がそう言うと、レイアは少し安堵の表情を浮かべる。
「そ、そうなのか……それは心強いな」
烏丸は自分よりも遥かに頼れる相手だ。その人が戻ってくると言えば当然そうなる。
だけどそう言った後……それでも一拍空けて八尋の目を見て言う。
言ってくれる。
「だがまあ、一番危ないかもしれないのは今日だろうな。だから……頼りにしてるぞ八尋」
その言葉を聞くと自然と優越感と安心感が湧いてくる……これで今日も生きていける。
「……ああ。やれるだけの事はやってみるよ」
生きている事への罪悪感から、今日一日位は心を守ってくれる。
「ところでなんだその札は」
「ああこれな。魔術師なら誰でも使えるような簡易的な武器だよ。使い捨てだから見せてやる事は出来ないけど、起動させるだけでこの札に刻まれた魔術を発動できる」
「ほう、便利な物だな……とはいえ魔術師ならか。そういう事なら私には使えんな。軽くこいつを眺めてみたがちっとも理解できんし」
そう言うレイアの前に置かれていたのは魔術の指南書だ。本棚から取って来たらしい。
「それ上級者向けの奴だぞ。飯屋で待ち時間漫画読むみたいなノリで理解できてたまるか」
もっともレイアが忘れているだけで魔術師なのだとすれば、その限りではないかもしれないが、とはいえその上級者向けの教本で何も理解できなかったという事実は変わらなくて。
「もし読むならこっちにしとけ。入門書だから」
「おお、助かる!」
勧めるなら、今の自分の現在地と同じ所だ。
「その反応見る感じ、興味あんのか魔術に」
「魔術に興味……とは違うな。ほら、こんな状況な訳だろう。やれる事はやらないと」
「なるほど。良い心意気じゃん」
付け焼刃でも無いよりはマシだとは思うから。
(そうか……そう考えるとやれる事、まだあったな)
自分が結果に干渉できるのは此処に連れてくる事まで。
そう思っていたのだけれど、レイアが自衛の術を手にする事ができるなら。
それで何か変わる可能性があるのなら。
それを身に着けさせるのが、今の自分にできる最大限の事なのかもしれない。
「教えられる範囲で良かったら教えようか? 正直教えられる立場じゃないんだけどさ」
「ほんとか? 助かるよ本当に。至れり尽くせりとはこの事だな。じゃあ頑張って覚えるからよろしく頼むぞ八尋」
「ああ」
そうしてレイアに簡単な魔術の指導を始める事にした。
願わくば、教えた事を実践する機会など来ないで欲しいのだけれど。
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