5 ヒーローの適性
この世界で最も敵に回してはいけない人間は誰かという問いに、烏丸信二と答える魔術師は多いだろう。
そう答えなかったとしても、余程の事が無い限りは敵に回さない筈だ。
故に彼の根城を。
尚且つそこに居る彼の関係者を襲撃できる人間はそういない。
仮にいるとすれば烏丸を敵に回す覚悟のある者。
もしくは烏丸の事を知らないモグリ。
この二パターンとなる筈で、それらの二パターンはそれぞれ限りなく薄い可能性に思える。
故に最善策。
そういう訳で移動開始。
事務所までは若干距離があるので自転車二人乗りでの移動だ。
正直自転車の二人乗りはやってはいけない行為ではあるがこの際仕方が無いだろう。
歩くにはそれなりの距離がある上に、あまり移動に時間を掛けたくもない。
「なあ、さっき目に入った張り紙に二人乗りは危ないから止めましょうって書いてあったのだが、まさにこういう事だよな? なんかとてもいけない事をしている気がするんだが」
「緊急事態なのでセーフでーす」
「……まあ確かに翌々考えてみれば私はなんか怪我治るし、八尋も強化魔術とやらで丈夫になれるから、なんの問題もないんだよな」
「いや、でも治るにしたって痛いだろ。実際は問題大有りなんじゃねえか?」
「た、確かに……問題しかないな。え、急に怖くなってきたんだが二人乗り」
「落とさねえから安心しろって。不慮の事故でもなければ」
「何故そんな怖い事を言うんだぁッ! それ完全に不慮の事故起きる流れじゃないかぁ!」
「……お前、自分が置かれてる状況よりも怯えてね?」
「怖さに現実味がある!」
「確かに……まあ目的地に着くまでの辛抱だからさ」
「……止めてくれ」
「いや、急ぎだからちょっと我慢――」
「いいから」
声音がそれまでの怯えた感じな物と変わっている事に気付き、一応自転車を止める。
「一体どうし……」
「ごめんなさいじゃねえだろ!? お前が前見て歩いてねえせいでほらお前、俺のスマホ画面割れてんだよなぁ!」
道路を挟んだ向う側の歩道から男の怒鳴り声が聞こえてきた。
思わずそちらに視線を向けると大柄の男が、やや長身の黒髪の女性を怒鳴りつけている光景と……自転車を飛び降りてそっちに向かって走っていくレイアの姿が見える。
(……っていやいやいや、ちょっと待てちょっと待てオイ!)
「ちょ、待て、レイ――」
「止めろ。どっちに非があるかは分からんが、そこまで怒鳴り散らす事も無いだろう。その人完全に怯えているではないか」
レイアはそう言いながら小走りで揉め事の仲裁に入ってしまう。
……明らかに危険そうな状況に無防備でだ。
「あ、ちょ、くそ、アイツマジかよ」
慌てて八尋も自転車を止めて後を追う。
「あ? なんだお前」
「通りすがりだが見過ごせなかったのでな。もっと穏便に解決できんのか。そもそもその割れたスマホの画面、どう見てもゲーム画面が表示されているのだが。実は前を見ていなかったのはお前の方ではないのか?」
「お、俺が前見てねえんだから、何もしてねえ奴がよけるのは当たり前だよなぁおい!」
「い、言ってる事無茶苦茶ではないか……それ八割方お前が悪――」
「つーかマジでなんなんだよお前いきなり出てきてよぉッ!」
「……ッ」
おそらく完全に頭に血が上っていたのだろう。
滅茶苦茶な言動の壊れた倫理観を持ってる男の手はあろう事かレイアに向かって伸ばされた。
だけどその手はレイアに届かない。届かせない。
「気持ちは分かるけどちょっと待て!」
伸ばされた男の手首を、二人の間に割り込みながら止める。
「結果的に画面割れるわ口論に突然第三者入ってくるわでイライラすんのは分かります。だけど今回はアンタが悪いし、手を上げ始めたら全く擁護できませんよ」
「んだぁてめえ! ガキが大人に説教とか何様のつもりだボケェ!」
「いや、俺のこれ説教とかそういうのじゃないでしょ」
「うっせえボケェ!」
男は八尋の手を振り払い、明らかに全力で殴り掛かってくる。
(……やるしかねえか。できるだけ穏便に)
心中で溜息を付きながら肉体強化の魔術を発動させる。
あまり一般人相手に魔術を使いたくはなかったが、魔術を使わなければ穏便とは程遠い殴り合いになるから致し方ない。
そして強化された動体視力と筋力を駆使して、男の拳を掌で受け止めて握りしめた。
「……ッ!?」
「穏便に行きましょう。穏便に」
男は腕を振り払おうと力を入れたようだが、その腕は全く動かない。
動かず握りしめる力だけが強くなり、八尋を引き離す為に放たれたもう片方の拳も同じように受け止め握りしめる。
「このまま握り潰されたくなかったらさ、とりあえず今日の所は引いてくれませんか? ほら、画面修理するのとかそこまで金掛かんないでしょ。ぜってえこのまま怪我して医者通うより安いし、警察沙汰になるよりも色々と楽だから」
「グ……ッ」
男はそのまま必死に脱出しようと試みていたようだが、やがて諦めて叫ぶ。
「分かった! もう俺が悪かった事にするから手ぇ放せ!」
(……いや元々悪いの八割方お前なんだって)
そう考えながらも警戒しながら男の両手を開放すると、男にそれ以上争う気はなかったようで、「今度はちゃんと避けろよ馬鹿」などと全く反省していない言葉を告げてその場から逃げるように去っていく。
……とりあえず一件落着、でいいのだろうか?
そう考えながら逃げる男の背眺めている傍らで、レイアは女性に声を掛ける。
「大丈夫か?」
「あ、はい」
そう答える女性の方に、改めて八尋も視線を向けた。
向けた上で……多分何も大丈夫ではない事が伝わってくる。
(……何かあったのか? この人)
先程まさに何かあったのだが、きっとそれとは別に何かがある。
そう思わせる程に、その女性は酷く窶れた顔をしていた。
「そうか……えーっと、本当に大丈夫か?」
レイアも明らかに大丈夫ではない事を察したようで、そう問いかける。
「だ、大丈夫です。ただ疲れが溜まっているってだけで……」
「でも人を躱せない位にってのは相当だぞ」
レイアの言葉に八尋も頷く。
あの男は歩きスマホでそもそも前を見ていなかった。
八割方悪いのは間違いない。
だけど前を見て歩いている筈なのに躱そうとしなかったこの女性も二割程悪い様に思えて。
その二割の原因が本人曰くただの疲れらしいが、そこまで追い込まれるという時点でただのなんて言葉は付けられない気がした。
だけどその人をただ心配な人という認識でいたのはそこまでだ。
「心配してくれるのはありがたいです。でも本当に大丈夫だか……ら?」
何かに気付いたように言葉が詰まり、そして目を見開いた。明らかにレイアの事を注視して。
「? どうした?」
「あ、いや……えーっと……」
そして女性は露骨に動揺し始めて。声もどこか震えていて。
「あ、ありがとうございました!」
俺達に対して慌てて頭を下げて、それから踵を返して逃げるように走り出した。
「い、行ってしまったな……私何か変な事でも言ったか? どうだろう八尋」
呆然とそう呟き、意見を求めるレイア。
だがすぐに何かを答えられる余裕は今の八尋には残っていなかった。
(……あの人は明らかにレイアから何かを感じ取っていた)
レイアが巻き込まれている状況を考えればどうしても関連性を疑ってしまう。
顔は知らないが何かの反応を辿る形でレイアの殺害を試みた魔術師と。
もしくは魔術師に依頼した第三者と。
「八尋?」
「ああ、悪い聞いてなかった。で、何?」
「いや、何か私変な事言ってたかなと」
「言ってなかったと思うけどな」
「やっぱりそうだよな。じゃあ一体どうして……」
……今自分が考えた可能性。それを話さない理由は無い。だけど後回しだ。
「その事話すにしてもいつまでも此処に長居する訳には行かねえ。向かいながら話そう」
「う、うむ、そうだな」
そういう可能性があるからこそ、早急に烏丸の事務所へ向かわなければならない。
……そうしなければ本格的に命は無いかもしれないから。
「ああ、そうだ八尋」
八尋の後を付いて来るレイアは思いついたように言う。
「さっきはありがとう。助かったぞ。危うく殴られる所だった」
「……ほんとだよマジで。お前良く丸腰で飛び出していったな」
「自分でも驚くよ。でも行かなければならないと思った。助けなければならないと思った。そう思ったらどうしても体が動いたんだ。自分にどうこうできる力なんて無いのにな」
「もしかしたら記憶無くす前のお前、ヒーローでもやってたんじゃねえの?」
それも自分の様な紛い物ではなく、限りなく本物に近いような。
もしそうでは無かったとしても、その適正は自分よりも遥かに高い。
「ああ……何故だかは分からんが、そうだったらいいなって思うよ」
……間違いなく。
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