第26話 異世界の歴史

 『魅了』に掛けられていた生徒たちは、念には念を入れて検査を受ける事になり、駆けつけた宮廷魔術師団主導の元、神殿に向かう。



「いやあ、フィオナ姫殿下とリルさんに怪我がなくて良かった。それでは、僕は吸血鬼の護送に付き添うので、これで失礼しますね」



 嵐のように現れたデイビット先輩は、爽やかな笑顔で嵐のように立ち去っていった。

 恐らく、自作の魔道具なのだろう。

 魔法祭で荒稼ぎした彼は、色んな事業に投資する予定だとは聞いていた。


 デイビット先輩と共にエルサリオンは、逃げたもう一人の吸血鬼、シュナウザーを探すと言って、宮廷魔術師団と共に捜索活動にあたっている。

 魔力欠乏症の予兆が出た私は、残念ながらお役に立たないので、待機するしかない。



「相変わらず騒がしい人ですね、デイビットは」



 ぽつりとフィオナ姫が呟く。



「これは失礼しました。デイビットとシュナウザーは私の幼馴染なのです。歳が近いので、昔は三人でよく遊んでいました」


「左様ですか。……フィオナ姫、失礼ながらお聞きしても?」


「言わずとも分かっています。シュナウザーとリンガの企みをどうやって私が知ったかという事でしょう。ここでは人の耳があります。場所を変えましょう。貴女にも知る権利がある」



 フィオナ姫の物憂げな横顔が気になった私は、彼女の言う通りに従った。

 連れて来られたのは簡易的な天幕の中。



「人払いを頼みます」



 フィオナ姫の命令に護衛の騎士たちは忠実に従う。

 そして、天幕の中は私とフィオナ姫の二人だけになった。

 キャンプ用の組み立てやすいガーデニングテーブルの上に侍女が紅茶を注ぐ。



「さて、これでようやく落ち着いて話ができますね」



 エルサリオンやミーシャ、デイビット先輩たちは良くも悪くも宮廷儀礼を重視するような性格ではない。

 なんなら、ミーシャしか最低限の使用人を連れ歩かなかったし、滅多に行動する事はなかった。

 なので、初めて貴族のおもてなしを受けている状況だ。



「まずは何から話しましょうか」


「差し支えなければ、シュナウザーとリンガの今後についてお聞きしたく思います」


「まずもって、フィラウディア王国に安寧の場所はないでしょう。もちろん、友好国にも通告を出します。彼らの行為は国家に対する罪。我らが学友たるマック・スーラスは神殿にて集中治療中です」



 アンデッドと化した学生の救助にフィオナ姫は尽くしたが、神殿の本格的な治療を頼るしかなかった。

 まだ時間が経っていないという事から、後遺症は残るかもしれないが助かる可能性はあるという話だった。



「別隊の生徒たちは全滅、数年の治療を要する重傷を負いました。シュナウザー、リンガ、彼らの意図は不明ですが、人類に対する敵対的行動を取った以上は指名手配となります」


「お答えいただきありがとうございます」


「リル・リスタ女爵、あなたはこう聞きたいのではありませんか? 『予め襲撃が分かっていたのなら、どうにかできたのではないのか』と」



 私は無言でフィオナ姫の顔を見つめた。

 襲撃に対して、生徒たちはあまりにも無防備だった。

 簡易的な戦闘の訓練は受けていたにも関わらず、だ。



「シュナウザーの配下に私の鼠を潜り込ませていました。その鼠が最期に警告をしてから、連絡は途絶えました。今回の襲撃を利用して彼の尻尾を掴むつもりでいましたが『魔王』と手を組むとは予想せず、結果として学友を失いました。全ては私の不手際が招いた出来事です」


「フィオナ姫、本当は失敗を私に擦りつけるつもりでしたね」


「……本当に五歳児とは思えない冷静さ。中身が大人だと言われても、今の私なら信じますよ?」



 私の事を『銀灰の魔術師』と持ち上げ、身分に関係なく動くように唆しておきながら、何か失敗した場合は責任を擦りつける。

 前世のコールセンターで嫌というほど味わった、出来る大人の処世術というやつだ。

 私はこういう奴に何度も騙されてきた。



「ええ。シュナウザーを取り逃したら、貴女の責任にするつもりでした。ですが、事態は変わりました」



 私の睨みつける視線をものともせず、フィオナ姫はカップを手に取り、ダージリンの香りを楽しむ。



「彼らの語っていた『あの御方』、それが魔王だと仰るのですか?」


「ええ。魔王の軍門に彼らは下ったのです。さらに人の『魔物化』、これが生徒に知られてしまいました。王家の中でも、直系にしか伝えられていない恐るべき現象。シュナウザーとリンガはそれを自ら受け入れ、振り翳したのです」



 フィオナ姫に対する怒りは、一旦は端に置こう。


 襲撃してきた吸血鬼が、元は人間だった。

 この衝撃は凄まじい。

 いくら箝口令を敷いた所で、人の口に戸は立てられない。

 すぐに噂となるのは確実。



「かつて、魔物の王がいました。我々の先祖は魔王に屈し、その家畜奴隷となる事でようやく生き延びられたのです。魔法も、魔術も、彼らから与えられたものでした」



 おもむろに口を開いたフィオナ姫から発せられた文章の羅列に、理解が遅れる。

 どの歴史の授業でも、そんな内容は語られていない。



「長い闘争の果て、我々の先祖はエルフ族やハイエルフたちと手を組み、獣人と同盟を結び、妖精や精霊と契約を交わして国を築き上げたのです。不当に虐げられない安寧の地を目指して、多くの犠牲を支払いました」


「何故、その伝承が知られていないのですか」


「家畜の奴隷根性を克服する為です。いつの世も超常を畏れ、屈しようとする軟弱者を生み出さないようにする。ただでさえ、魔物を崇めようとする邪教が絶えないのですから、魔王や魔物化の事実が知れ渡れば、人はそちらに流れようとするでしょう」



 俄かには信じられない話だった。

 フィラウディア王国はいつだって平和で、そんな歴史が存在した事を感じさせない。



「魔法と魔術に厳密な違いはありません。魂から溢れた余剰の生命力を使い、想像力を費やして現実を部分的に改変する。それが魔の力です」


「ならば、何故っ!」



 フィオナ姫がカップをソーサーに置く。

 私の怒号に彼女は顔色一つ変えなかった。

 冷静になれと自分に念じても、無理だった。



「ならば、何故、私の足は治らないのですか……!」



 フィオナ姫は静かに私の顔を見つめる。



「魔法や魔術が現実を改変するっていうなら、私の足だって治ったはずです! アンデッドになった生徒だって、助けられたはず! どうして、何も出来なかった!?」



 フィオナ姫は片手で侍女を制する。

 そして、答えを告げた。



「不可能だからです」


「不可能……?」


「私たち人間の血肉と骨、そして魂の底に刻まれているのです。魔王の価値観が。奴隷に求められる素質が。私たちが蒸気機関車を作り、街をどれだけ発展させても、弱者を切り捨ててしまう価値観から脱却できない理由が、これなのです」



 到底、納得できる答えではなかった。

 理解できる返答ではなかった。



「攻撃魔術や魔法は、魔王に逆らう魔物を殺す為。生まれ持った病や障がいを治せないのは、魔王にとって利益がないから。私たちは無意識の内から不要だと判断してしまうのです」


「じゃあ、『慈雨』が効かないのも?」


「……リル・リスタ女爵、貴女の考える通りです」



 魔法や魔術を極めた果てに、きっと足が動かせると思っていた私にとって、フィオナ姫の話は理解したくないものだった。

 あまりにも呆然とし過ぎて、言葉が浮かばない。



「ですが、絶望する必要はありません」



 フィオナ姫が指を差す。

 私ではなく、氷の車椅子を。



「あなたは、フィラウディア王国の悲願であった奴隷根性の脱却に成功したのです」


「……」


「『氷結』の魔術を使い、移動の代替手段とした。誰もが諦めて自死を選ぶ中で、貴女は勝ち取ったのです」



 フィオナ姫は確かに告げた。



「私の『慈雨』では不可能ですが、貴女の『慈雨』であれば、きっといつかはどんな傷も治せるでしょう。いえ、もしかしたら、治す必要もないかもしれません」


「治す必要もない……?」


「ええ。多くの障がいを抱える人にとって、貴女の存在はまさに希望の象徴なのです」


「……いきなりそんな事を言われても、あまり実感が湧きません。魔王に魔物化に、魔術と魔法の歴史。理解が追いついていないのです」



 フィオナ姫は「そうでしょうね」と呟いた。



「いずれにせよ、この話は広まります。そして、リル・リスタ女爵たる貴女に多くの視線が向けられるでしょうね。新たな可能性を示した偉大なる『銀灰の魔術師』として。この流れは既に魔法祭の時から始まっていました」



 淡々と彼女は話を進める。

 まだ理解の追いついていない私を置き去りに。



「貴女を利用した、そしてこれからも利用する私を許せとは言いません。理解しろと命令する気も起きません。ですが、私は貴女の目的と行く先こそが、人類の夜明けになると確信しています。そして、脅威はまだ去っていない事をどうかお忘れなく」



 どうやってフィオナ姫と話を切り上げたのか、あまりよく覚えていない。

 驚愕に次ぐ驚愕で、やはりまだ頭の整理が追いついていなかった。


 天幕の外に出ると、名前を呼ばれた。

 『銀灰の魔術師』という二つ名ではなく、リル・リスタという名前で。



「リル、やっぱりそこにいたのか。顔色が悪いぞ」


「エルサリオン……」



 いつもの長い金髪のハイエルフがそこにいた。

 珍しい外見もすっかり見慣れたもの。

 なんだかそれが妙にほっとして涙が出てきた。



「ま、待てっ! 泣くな! どこか痛いのか!? 俺がいない間に何があった!? ぐっ、やめろ! 俺は気の利いた言葉なんかすぐにパッと出て来ないんだ! 泣かれても……あ、ああ!」



 ポロポロと涙が頬を零れ落ちると、泣いている私よりも酷く狼狽えた声を上げながら情けなくエルサリオンは右往左往していた。

 エルサリオンは唐突に両手を叩くと、大きな手で私の涙を掬い取り、氷の薔薇アイシクルローズを咲かせ、私の顔に突きつける。



「ほら、ほら、これで泣き止め。好きだろ、これ? よく作ってたもんな!」


「わ、わ、わぁ……」



 びっくりしている間に薔薇の本数が増えていく。

 二十本に達した辺りで、私の涙はようやく止まった。

 抱えきれないほどの沢山の氷の薔薇が膝の上に並ぶ。

 思えば、その不器用な優しさに何度も助けられてきた。



「ありがとう、エルサリオン。私の事を気にかけてくれて」



 エルサリオンの長く尖った耳がひくりと動いた。

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銀灰の魔術師リル・リスタは歩きたい 変態ドラゴン @stomachache

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