第17話 一泊二日のゴブリン討伐依頼
初めての魔物討伐から一週間後。
「リル・リスタ、魔物討伐に行くぞ! 一泊二日だ!」
出会い頭、エルサリオンは満面の笑みを浮かべて私を魔物討伐に誘った。
外泊というだけでも気乗りがしなかったが、高額な報酬と断ったら一人で行ってしまいそうな彼を放置する気が起きず、支度をする時間をなんとか勝ち取る事に成功。
学園都市の商業区画で買い物をする。
ここでは、生活必需品だけでなく、様々な魔道具や便利道具が販売されている。
他の街から蒸気機関車を利用してやってきた商人たちが、学生向けに商売を展開しているのだ。
「何の準備をするんだ?」
「外泊なら、寝る為のテント、着替え、寝袋、食事、魔物除けの明かりや虫除けスプレーが必要になります。なんですか、その顔は。まさか、その場しのぎでどうにかしてきたんですか」
エルサリオンはしばし呆然とした様子で目を瞬きさせた後、考え込むように顎に指をあてる。
どうやら、外泊に何が必要になるのかも考えていなかったらしい。
「適当に木の上で夜を明かしていたから、全く気にもならなかった。『障壁』を張れば魔物も寄りつかないしな」
「『障壁』を防御以外の用途で使うなんて、魔力の量がすごいんですね」
『障壁』は、魔力の消費が最も激しい魔力だ。
一時間ほどで魔力がすっからかんになってしまう私からすれば、一晩中でも張れるエルサリオンが羨ましい。
「まあな。我々ハイエルフに魔力量で勝る種族は存在しないと言っても過言ではない」
誇らしげに語るわけでもなく、ただ淡々と事実を述べる。
エルサリオンの言葉が間違いではない事を私は身に沁みて理解していた。
毎週のように魔物の討伐に出かけ、授業でも大規模な魔術や魔法を難なく使う。
魔力欠乏症の予兆に苦しむ他の生徒とは違って、彼はいつも涼しい顔をしていた。
「ひとまず雨と風を凌そうなテントを一つ、水筒二つに寝袋を一つと毛布を一つ買いましょう。食料は保存食を四食分でいいですか?」
「俺はそういう細かいものは分からん。リル・リスタに任せる」
大きなリュックを一つ買い、食料や水筒などを詰め込む。
学園の制服は、それなりに頑丈で刃物ぐらいなら通さない。
寝巻きは重量の兼ね合いで断念。代わりに薄い下着で妥協。
石鹸を一つ購入し、支度を整えた。
「他に必要なものはありますか?」
「ない」
「分かりました。ところで、今回の依頼はどんな魔物が対象なんですか?」
「ゴブリンという緑色の肌をした小人のような魔物だ。各地の農作物を奪ったり、山賊紛いな事をする」
私は固まった。
『魔物学』で真っ先に危険な魔物として挙げられるのがゴブリンだからである。
「たしか、雑食性で、人も食べるとか……?」
「ああ、群れの規模が大きくなると、狩りや採集で空腹を凌げなくなる。凶暴性が増して、略奪を始める。学園に寄せられた依頼も、群れの数が増える前に早く対処してほしいと書いてあった」
エルサリオンが懐から取り出した依頼書に目を通す。
その内容に間違いがない事を確認した。
依頼の報酬の額はあまり高くない。
村の自治会が依頼主だからだろう。
「おや。他の魔物とは違って、魔物の素材は回収しないんですね」
「ああ。ゴブリンの牙は需要はあるが、その他は素材としての価値はない。なので、その場で処理する。討伐証明の為に一部位を持ち帰って、報酬と引き換えだ」
「ふぅん……そういう依頼もあるんですね」
この数時間後、私は深く後悔した。
魔物の討伐というものを舐めていたのだった。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
ゴブリンたちは、学園都市から東に約百マイルにある山岳地帯に住んでいるらしい。
乗合馬車で半日ほどの距離だ。
道中、動かない足や幼い顔を周囲の人々にジロジロと見つめられたが、隣に座る人相の悪いエルサリオンが腕を組んでいるのに気づくと、サッと視線を逸らした。
彼らの全員に悪意があるとは言わないが、好奇心で足の事を根掘り葉掘り聞かれるのは苦手だったので、エルサリオンの存在がありがたい。
「着いたぞ」
エルサリオンの声に顔を上げる。
どうやら目的地に到着したらしい。
乗合馬車の御者に感謝を告げて降り、辺りを見回す。
何もない平原と山頂へ続く険しい道。
前世で数回ほど山登りした経験がなければ、怯んで帰ろうとしたかもしれない。
「
素早く蜘蛛脚を組み立てる。
山道に車輪は向かない。
「お待たせしました。では、ゴブリンの捜索から始めましょうか」
「いくつか目星はつけてある」
エルサリオンは懐から取り出した地図を広げる。
赤いインクで印が付けられていた。
蜘蛛脚を伸ばして高さを確保した私は、地図を覗き込む。
「ゴブリンは洞窟や岩影など、肉食生物から身を隠す場所に巣を作る。焚き火を囲む性質があるから、見つけるのはそう苦労しないはずだ」
天を仰げば、青空に一筋の煙が立ち昇っている。
方角からして北のようだ。
「北の方に焚き火の煙が見えますね。地図によるとここでしょうか。作戦はあります?」
「リル・リスタ、貴様は魔物と戦った経験がないんだったな」
「はい、そうですね。前回はエルサリオンさんのアシスト付きでした。一人で戦った経験はないです」
「じゃあ、今回は一人で戦ってみろ」
エルサリオンはさらりと告げる。
「……えっ?」
私は思わず絶句した。
初めての魔物相手に一人で戦う勇気はない。
「いいか、リル・リスタ。魔物相手に有利な状態で戦える状況は珍しい。余裕のあるうちに経験を積んでおいた方がいい。咄嗟の時に動けるかどうかで、生存確率は変わるからな」
エルサリオンが私の頭に手の乗せてきた。
身長に見合うだけの大きさと重さに思わず肩を竦める。
エルサリオンの言う事にも一理ある。
学園生として魔物討伐の依頼を引き受ける以上、魔物との戦闘は避けられない。
毎回のようにエルサリオンにおんぶに抱っこされるわけにもいかない。
「いざとなれば俺がどうにかしてやるから、まずは試してみろ。何事も経験だ」
「わ、分かりました。やってみます」
エルサリオンに説得された私は、押し負ける形で魔物と戦うことになった。
周囲を警戒しながらコンパスを頼りに煙の元を探し、山の獣道を進んでいく。
しばらく進み、そろそろ見えてくるかと思った時だった。
蜘蛛脚の一つが何かに引っ掛かる感覚と、がらんがらんと渇いた音が山に鳴り響く。
「わわっ!?」
あちらこちらから猿叫が聞こえてくる。
心臓が縮み上がり、冷や汗がどっと吹き出す。
「……言い忘れたが、魔物の中には知性のあるものがいる。落とし穴や鳴り子の骨鈴などが代表的な例だな」
「そういうの、もっと早く教えてほしかったです」
「何事も経験だ。ほら、異変を察知してきたゴブリンが武器を片手に突撃してきたぞ」
「うぎゃー!
即席で作った氷の盾にゴブリンたちの放った矢が当たる。
咄嗟に『火球』を使いかけて、慌てて消した。
森の中で炎なんて使えば煙と匂いで目立つし、山火事に発展しかねない。
「ほれ、早く倒さないと囲まれるぞ?」
「うぐっ、他人事だと思ってえ……!」
エルサリオンの飄々とした態度にカチンと来たが、この窮地を招いたのは私の落ち度。
八つ当たりが何も解決しない事は、ミーシャの件で学んで反省した。繰り返すわけにはいかない。
まずは、この状況をどうにかして脱しないと。
「
蜘蛛脚の部分に即席の武器を作り、取り付ける。
氷の盾で攻撃を防いだ間に、槍を突き立てる。
特に深い事を考えずに、実行した反撃だった。
氷越しに伝わる、肉を突き刺す感覚。
魔物とはいえ、小人という人型の命を奪った。
「────あ」
覚悟していたつもりだった。
正当防衛だから。襲ってきたから。
いくつもの言い訳が頭の中を通り過ぎる。
それでも、敵意を持って命を奪ったのは【生まれて初めて】だった。
魔力のコントロールを失う。
全ての氷が一瞬で砕けて、私はその場に倒れる。
込み上げる吐き気を我慢できず、激しく嘔吐してしまった。
「マジか。まあ、こうなるとは思ったが」
エルサリオンが私の体を軽々と抱え上げる。
吐瀉物に汚れた私の体を躊躇いなく掴んだ彼は、ひょいひょいとゴブリンの攻撃を避けて距離を取った。
片手をゴブリンたちに向ける。
「
紫の電流がエルサリオンの掌から放たれる。
ばちばちと電流の爆ぜる音と、感電したゴブリンたちの苦悶の声はすぐに止んだ。
シンとした静寂。
「ゴブリンは全部倒したぞ。吐き気はまだあるか?」
私は無言で首を横に振った。
胃の中身をぶちまけたおかげで吐き気はないが、気分は最悪だ。
穴があったら入りたかった。
あれだけいたゴブリンの群れを、エルサリオンは一瞬で片付けた。
私を庇いながら、俊敏に動いて、適切に対応した。
それに対して、私はどうだ?
最悪の状況を招いた。
ゴブリンに知恵があるのは、授業で学んだじゃないか。
それなのに、罠に引っかかって、戦闘の途中で精神的に動揺して吐いて行動不能に陥って、エルサリオンの足を引っ張った。
もし、一人だったら?
他に魔物がいたら?
エルサリオンが咄嗟に助けられない状況だったら?
確実に、死ぬ。
心のどこかで、自分は大丈夫という慢心があった。
私ならそんなヘマはしないと。
だが、現実はどうだ?
最悪に最悪を重ねた。
吹き出した冷や汗は止まらない。
ガチガチと歯の付け根がぶつかる。
「ご、ごめっ、ごめんなさっ」
上手く喋れない。
早く謝って、挽回しないと、また『役立たず』になってしまう。誰かの足手纏いで、お荷物に逆戻り。
やっと何とかなると思ったのに、魔術を極めれば誰かの足を引っ張らずに済むと思ったのに!
「いい。落ち着くまで何も言うな」
森の地面に胡座をかいて腰を下ろしたエルサリオンは、なぜか私を足の間に置いた。
後ろから抱え込む姿勢。
「はひゅっ……」
掠れた息が私の唇から漏れる。
身を捩る私にエルサリオンが語った。
「犬や猫は、信頼した相手に背中や尻を向けるという。周囲を警戒する観点から、その状態が一番安全だと思うんだろうな。人間やエルフも、背中を預けている状態だと精神的に落ち着きやすいという論文を見た」
背中から伝わる他人の体温と鼓動、息遣い。
ミーシャが抱きついてくる事はあったが、それに比べてエルサリオンの体は『異性』を感じさせる筋肉の隆起と骨の硬さがあった。
不器用な彼なりの優しさ。
下手な慰めも、同情もない。
歯がぶつかるのは止まったが、冷や汗は止まらない。
それどころか、じわじわと顔に熱が集まる。
まずい!
吊り橋効果で、落ちる……!
それはもう、すとんと落ちてしまう……!
ぐっ、思い出せ!
試験の時の、エルサリオンの冷たい眼差しとキツい態度を!
あっ、やばい!
ギャップ萌えの可能性を予見してなかった!
私はギャップ萌えに弱いんだった……!!
落ち着け!
そうだ、こういう時は深呼吸……
知らない石鹸の香りがするんですけど!!
気を紛らわせないと、やばい!!
とにかく、なんか地道で細かい作業をやるんだ。
『氷結』で掌大の精巧な向日葵を完成させた頃。
エルサリオンが腕を緩めて声を掛けてきた。
「落ち着いたか?」
「あっ、はい」
地面を這いずって、エルサリオンと距離を取る。
ぬくもりが消えていくにつれて、ようやく精神的に落ち着いてきた。
「エルサリオンさん、先ほどはご迷惑をおかけしました」
「構わん。俺がいて良かったな」
「はい。その節は本当に感謝しています」
油断が招いた窮地。
場合によっては、死者が一人から二人になっていた可能性もあった。
「リル・リスタ。魔術師は遅かれ早かれ、必ず魔物と戦う日が来る。戦場に年齢も国も種族も関係ない。死ぬか殺すかだ」
「はい」
「一瞬の判断の遅れや、行動の失敗が死に繋がる」
「はい、仰る通りです」
防げた事故を起こしてしまった。
それがただ悔しい。
これまで何度も手足のように動かしてきた『氷結』のコントロールを失ってしまった。
「だが、失敗しないでいるのは不可能だ」
エルサリオンの言葉には重みがあった。
前世の記憶があって、五年間この世界で生きてきた私なんかでは計り知れない重みが、確かに言葉から滲んでいた。
「どんな時でも魔力のコントロールを失うな。足が動かない貴様にとって、磨き上げた魔術はその非力な手足よりも役に立つ。殺す事を躊躇うな。戦場から逃げた敵は、お前よりも弱い奴を狙って殺す」
言葉に詰まった私は、頷いた。
年甲斐にもなく涙が込み上げてきた。
失敗した自分の情けなさと、エルサリオンに縋ってしまった恥ずかしさ。
ボロボロと大粒の涙を溢す私を前に、彼は無言で腕を組んでいた。
「なんだよ、泣くなよ、俺は怒ってないって」
「……わたしの、個人的な感情によるもの、です……」
「そうか。なら問題ないな」
エルサリオンは立ち上がった。
ズボンについた土を払い、ポケットからナイフを取り出す。
びっくりするぐらいに溢れていた涙がきゅっと止まった。
「ゴブリンの討伐証明の部位を取ってくる」
そして、エルサリオンは手慣れた様子で、ゴブリンの尖った緑色の耳を切り落とし始めた。
グロかったので、私は視線を逸らした。
……もしや、あのゴブリンの耳を近くに置いて一晩を過ごさないといけないのだろうか。
『氷結』で蜘蛛脚を再構築した私は、服の汚れを落として頬を叩く。
気を取り直そう。
切り替えの速さが私の自慢なんだ。
「エルサリオン、この氷の箱にゴブリンの耳をしまいませんか? これなら匂いや血の心配が必要ありません」
「助かる。コイツらの血、ものすごく臭いんだ」
焦げた肉と血の匂いに顔をしかめる。
あまり長居はしたくない環境だ。
「ゴブリンの死体はどうします?」
「焼くと匂いに気づいて逃げる。森の生物が分解するだろうから、放置で構わん」
「分かりました」
立ち去る直前、ゴブリンたちに視線を向け、胸の中で冥福を祈る。
生きる為、金の為、単位の為に殺した。
だが、一つ違えば、死んでいたのは私。
山の中で野晒しになった死体を目に焼き付ける。
私は異世界に転生したのだ。
決して弱さが許されない世界。
認識を改める事を誓って、私は背を向けた。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
山の中をゴブリンたちが走る。
その背中に向けて、私は『雷』を放った。
感電して転倒した魔物たちの頭蓋骨を、先端が鋭利な氷の蜘蛛脚で踏み潰す。
一度目のような失敗はしない。
慣れるのだ。同じ過ちを繰り返さない為に。
「これで、二つ目のポイントは片付きました。時間も時間ですし、そろそろ野宿の準備をしますか?」
エルサリオンが頷いた。
空はまだ夕焼けよりも明るいが、野宿に適した場所に移動してテントを設営する間にも日が傾く。
暗くなってからでは遅いのだ。
「この辺りでどうでしょうか」
邪魔な石ころを退かし、程よい平らでなだらかな場所を確保して、テントの設営を始める。
幸いにも天候に恵まれたので雨の心配をしなくて済む。
「川の近くでなくていいのか?」
「川は生き物にとって餌場であり、水飲み場でもあります。熊や鹿などに襲われる可能性もあるので、あまりオススメはできないと『野営学』の授業で習いました」
川は突然の豪雨で氾濫する可能性もある。
必要ない限りは近寄らない。
「あふぁ……」
欠伸が出る。
子どもの体はとにかく燃費が悪い。
集中力の持ちは凄いが、夜が近くなると瞼が重くなる。
テントを張って、固定用のペグを打ち付ける。
組み立てやすいワイヤーフレームのドームタイプのテントを購入して良かった。
「お待たせしました。食事にしましょうか」
「ああ。それにしても組み立てるのが早かったな」
「学生時代、山岳サークルに入っていたもので、簡単なテントの組み立てならできます」
エルサリオンがチラリと私の顔を見た。
彼は「まあいいか」と呟いて、缶切りを片手に保存食を開封する作業を始めた。
辺りはすっかり夕暮れの黄昏時。
湿った山と森の匂い、風で木の葉が擦れる音が響く。
「これで手元は見えますか?」
学園都市で買った『精霊の灯火』というランタンを付ける。
なんでもこのランタンの輝きは魔物に見えないらしい。
初めて聞いた時は眉唾物だと疑っていたが、ベルモンド教授も効果を認めていると聞いて評価を改めた。
エルサリオンが開封した保存食を私に差し出す。
「先に食っとけ」
「あ、はい。ありがとうございます。お先にいただきます」
代わりに開けてくれたのか。
ほっこりしながら保存食を受け取って、中身をスプーンで掬い、口に運ぶ。
オイルサーディン、いわゆる小魚のオイル漬け。
それを乾パンを浸しながら食べる。
いつもの学食のあったかいご飯も好きだけれど、偶にはこういうキャンプ飯も悪くない。
と思った瞬間、鋭い痛みが歯茎を襲う。
「あいたっ!」
「どうしたっ!」
「歯が抜けました」
「一大事じゃないか!」
「抜けたのは乳歯です。ただの生え替わりです」
開封の手を止めたエルサリオンは抜けた乳歯をまじまじと見つめる。
「うわ、ちっさ。そんなんじゃ肉の一つも噛みちぎれねえだろ……俺の小指の爪より小さいとか……」
なんだか恥ずかしくなってきた私は、それをポケットに捩じ込んだ。
気を取り直して食事を再開する。
「こっちが干し肉で、こっちが煮豆か。まあ、悪くはない味だな。可もなく不可もなく」
むしゃむしゃと頬張るエルサリオン。
やっぱり図体と態度が大きい人は一口も大きい。
いや、彼はハイエルフなんだっけ。
「エルサリオンは聖セドラニリ帝国の出身で、留学に来ているんですよね? どんな国なんですか?」
「何もねえ」
「なるほど。自然豊かな場所なんですね」
「いや、マジで何もない。塩の砂漠だ」
エルサリオンの言葉に私は面食らった。
パッと脳裏に浮かんだのは、塩湖とサハラ砂漠である。
「俺たちハイエルフが住んでいるのは、大陸の最西部。そこは塩の砂漠で、ハイエルフほどの魔力がなければ生きていく事はできない」
「過酷な環境なんですね」
「ああ、そういえば国の中心に世界樹があるな」
「世界樹?」
なんとなく、そんな神話をどこかで聞いたような、ないような……パッと出てこない。
「魔力の塊だ。俺たちハイエルフから漏れ出た魔力が、植物の形を取っている」
「魔力が植物の形になるなんて、不思議なものもあるんですねえ。いつか見てみたいです」
「死にかけの老人が、たまに塩の砂漠で倒れているのを見かけた事がある。最期に見てみたい景色の一つらしいな」
「さぞ絶景なんでしょうねえ」
砂漠を渡ってまで見に行きたいほどの絶景なのだろう。
前世の私も、世界の絶景写真集を買っては、貯金を旅行代に費やしていたなあ。
最後の写真の場所に行く途中のバスで、事故に遭ったんだっけ。
「リル・リスタ、貴様はこの国の出身なのだろう?」
「そうです。南部のスターゲイザー州の街ですよ」
「ニシンパイの街か」
「あの街はスターゲイジーパイに誇りを持ってますからね」
パイにぶっささった青魚を初めて見た時、私はあまりのインパクトに言葉を失った。
母さんにやんわりと『魚は切った方がいいんじゃないかな』と提案したが、温厚な彼女らしくもなく怒ったのだ。
それじゃスターの意味がないらしい。
私にはよく分からなかった。
食事を終え、寝支度を整える。
先に休んでおけというエルサリオンの気遣いに甘えて、毛布に包まるとすぐに眠りに落ちた。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
二日目の早朝。
交代で見張りを担当していた私は、『氷結』の新たな可能性を探るべく、試行錯誤を繰り返していた。
魔力を流し込んでいるからなのか、なんとなく感覚のようなものがあるのだ。
これを索敵や警戒に使えないものかと考え、周囲を漂うぼんやりとした霧に魔力を巡らせてみたのだが……
「むう」
霧の中を何かが動けば分かるが、どこで何が動いているのかまでは分からない。
これは改良の余地ありだな。
朝日が昇り始めると同時に、テントの方から音が聞こえた。
寝癖のついたエルサリオンが大きな欠伸をしながら這い出る。
「おはようございます。朝食にしますか?」
「ああ。外でこんなに熟睡したのは久しぶりだ」
やんわりと缶切りを取り上げられる。
手慣れた手つきで保存食を開封していくエルサリオン。
今回は軍用のレーションだった。
必要な栄養素だけを詰め込んで、最低限の味を整えた感じだ。
美味しすぎると、必要もないのに食べてしまうから、敢えて美味しくないように味付けをすると聞いたが、本当だろうか。
食堂の料理が恋しくなった。
「ご馳走様でした。さて、残る最後のポイントを確認すれば、依頼は晴れて達成ですね。頑張りましょう」
「ああ。ヘマはするなよ」
エルサリオンの言葉に頷く。
もう同じ失敗はしない。
テントを畳み終え、出発の準備を終えた頃。
日が高くなるにつれて霧が薄れていく。
「エルサリオンさん、何かが近づいてきています」
「何かとは?」
「恐らく……ゴブリンの群れです」
昨日、かなりの数を討伐した。
異変に気づいて、警戒を強化しているのだろう。
薄れゆく霧の中を駆け回る魔物たちは、猿叫をあげながら距離を縮めている。
『氷結』で作り上げた氷の鏡で周囲を探る。
霧の中なので、比較的すぐに作れた。
「数は、二十です。どうやら、挟み撃ちにするつもりのようです」
「ふん、相変わらず悪知恵だけは働く魔物だな。……いや、待て。あれは────」
エルサリオンが目を細める。
「リル・リスタ、あの魔物は俺がやる。貴様は北の方を対処してくれ」
「分かりました」
なんとなくエルサリオンの事が気に掛かったが、すぐにゴブリンとの戦闘の方に意識を向けた。
初日と違い、特に何事もなくゴブリンの群れを片付ける。
命を奪う事への抵抗感がなくなったわけではないが、ようやく慣れてきた感覚はあった。
「街に戻るぞ、リル・リスタ。最後の地点は調べる必要もない」
こうして、波瀾万丈のゴブリン討伐依頼は無事に終了した。
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