第8話 貴族学園の入学試験 後編

 ────得意な魔術か魔法を見せてみろ。

 ────できなきゃ、『基礎学』クラス行きだ。


 貴族学園について、私はあまり知らない。

 そもそも、貴族学園の存在を知ったのがつい最近。

 ただ、その口振りと周囲の受験生の振る舞いから、『基礎学』クラスは扱いが悪いのだろうという印象を受けた。


 試験官が呼びかけた順に試験が行われていく。



「エルサリオン・フォン・レグルス・セドラニリだ」



 金髪碧眼の青年が手を地に翳した。



地割れテラクラキ



 地面に一本の線が走る。

 その線を境に、地面が盛り上がり、ズレだ。


 地響きに受験生がバランスを崩す。

 『氷結』で車輪を台座に変形させ、固定していなければ、私も転倒していただろう。



「おお、君はセドラニリ帝国からの留学生か。その魔法の威力は『精霊』クラスが妥当だろう」


「ふん」



 青年は長い金髪を指で払う。

 尖った耳が見えた。



「ねえ、今の見た? きっと、エルフの王子様よ」



 ミーシャが頬を赤らめ、こそこそと話しかけてきた。

 どうやらちょい悪がタイプらしい。

 エルサリオン(以下略)が、こちらに鋭い視線を向けてきた。



「エルフではない。ハイエルフだ。下等種族と一緒にするな」



 ミーシャは小さく悲鳴を上げ、さっと私の後ろに隠れた。

 鼻を鳴らしたエルサリオンは大股で離れた場所に陣取り、腕を組んで周囲を睨みつける。

 おお、鋭い。よく切れるナイフか、あるいは獰猛な犬のように敵意を振り撒いている。



「アタシ、あの人嫌い」



 僅か一回のやり取りで、ミーシャは憧れを捨てた。

 現実を見るだけの理性があったようで何よりだ。


 試験は続く。

 『基礎学』クラス行きが三人ほど続いた後、凛とした雰囲気のご令嬢が口を開いた。



「フィオナ・フィラウディアと申します」



 ざわ、とグラウンドにざわめきが走る。

 私の耳元でそっとミーシャが囁いた。



「フィラウディア王国のお姫様よ。学長のお孫さんでもあるの。齢十二だけど、社交界では『淑女の鏡』と噂されているらしいわ」



 質の良さそうな紺のプリーツコートにエメラルドのように煌めく髪と瞳。

 顔立ちは試験官リンガに似て、長い睫毛と薄い唇が特徴的な美人である。


 王族か、あるいはその親戚か。

 前世から、根っからの庶民なので、そういう細かい区分はさっぱり分からない。


 フィオナ姫は静かに手を空に向ける。



「空よ、風よ、慈しみの雫を降らせたまえ。この国に住まう者に祝福と幸あれ。慈雨コムパテマプルーヴォ



 しとしとと雨が降り始める。

 雲一つ晴天のない空から降り注ぐ水滴は、全てが魔力の塊だ。



「すごいわ。これが魔物討伐隊を癒したとされる奇跡の魔法」



 ミーシャがポツリと呟く。


 たしか魔術教本に、そんな魔法が記されていた気がする。

 王族直系にのみ伝わる、聖女の魔法。

 魔術の権威をもってしても、魔術としても一時的な再現すら不可能とされる奇跡だ。


 魔法、魔術を無効化し、解毒を行い、あらゆる怪我と病を治す。

 聖女が聖女たるために必要不可欠な神と精霊の加護。


 大規模で無差別な辺りが実に魔法らしい。


 受験生の間から感嘆のため息が漏れる。

 降り注ぐ狐雨は、この王国では吉兆の証。

 聖女の慈悲が降り注いでいる証として、広く愛されている……らしい。

 過去に小説で、そのような逸話を説明しているものがあったのを読んだ事があったというだけだ。


 試験官リンガがフィオナ姫の魔法に頷き、『貴族』クラスを推薦する。

 フィオナ姫も初めからそのつもりだったのか、無言で頷いた。



「では、次はリル・リスタだ。……年齢は?」


「今年で五歳を迎えました」


「やれやれ。貴族学園は託児所じゃないんだけどな」



 これ見よがしに愚痴り、ため息を吐く。

 他の受験生に向けなかった悪意を隠す事なくぶつけてくる。



「おまけに椅子貴族じゃないか。はあ……」



 『椅子貴族』

 下半身に障がいを抱えた者を指す差別用語だ。

 特に農民や町民の間で広く知られている言葉で、見るたびに貴族のように椅子に座っている姿を揶揄して使われる。


 ミーシャが目を見開く。

 良くも悪くも、彼女は人の悪意を知らない。

 世の中には、ああやってあからさまに悪意を向けてくる者もいるのだ。



「リル・リスタです」


「知ってるよ。で、君は何ができるの?」



 試験官リンガは、早口で捲し立てる。



「何もできないよね。生まれ持った魔力量しかないでしょ。それもたかがしれている。『基礎学』クラスで────」



 私が何かを言うよりも先に、ミーシャが叫んだ。



「あなた、それでも教師ですの!?」


「なっ……!」


「他の生徒の魔法や魔術は誉めていたのに、どうしてリルだけそんな扱いをするのですか!」



 試験官リンガの顔が赤く染まる。

 子どもに言い返されたという事実が彼のプライドを傷つけたらしい。



「黙りなさいっ! モンテスギュー子爵の娘であろうと、試験の場で試験官に文句を言う資格はない!」



 受験生の中で、一部の生徒たちが騒めく。

 試験官リンガの言葉は、捉えようによっては『学園内では身分より教職員の方が立場は上』と判断されてもおかしくない。

 学園側は曖昧なままにしておきたいのだろう。

 助手のミリッツァが青ざめた顔で試験官リンガを宥めようとしている。


 試験官リンガの右手に魔力が集う。

 なんとなく、直感めいたものが過ぎる。

 そして、その予感は当たった。



「この学園から追い出してやる! 暴風ヴェンテゴ!」



 彼の指先に集った魔力が風を収束させ、突発的な竜巻を作り出す。

 他の受験生を巻き込むような攻撃魔術の行使。

 『基礎学』クラス行きを志望していた生徒たちが悲鳴をあげ、『貴族』クラス行きの受験生の背後に隠れる。

 フィオナ姫が口元を押さえ、視界の端ではエルサリオンがこちらに手を伸ばし、ミーシャが私に抱きついてぎゅっと目を閉じた。


 攻撃魔術で打ち消せば、他に被害が出るかもしれない。

 ならば、こういう時は、過去に開発した魔術を使うべきだろう。



呪文破壊ソルサデストロ



 『氷結』と『融解』の練習ついでに編み出したオリジナルの魔術。(たぶん)

 複雑な手順を省いて、すぐさま魔術の効力を失わせ、魔力を分散させる対魔術用魔術だ。

 消費する魔力は多いが、氷を溶かした際に発生する水で濡れずに済むという利点がある。

 私が乗る氷の車椅子に使っている魔術の一つだ。


 束ねていた風の流れが解ける。

 魔術を打ち消された試験官リンガは、ぎゃっと叫んで尻餅をついた。


 震えるミーシャに大丈夫と伝えて、小さな背中を撫でる。

 風圧は消え、誰一人として吹き飛ばされていないのを確認してから、私はため息を吐いた。



「はあ……。あのさあ、なんで受験しに来ただけで攻撃されなくちゃいけないんですか」



 試験官リンガを睨みつける。

 いきなり攻撃される謂れはこちらに確実になかったし、実力行使するにしても他にもっと安全で被害の少ない手段があった。

 もし私が魔術を打ち消さなかったら、多方面に被害が及んでいた可能性もある。


 試験官リンガは、唖然とした様子で私を見ていた。

 彼は信じられないものを見たような目で、震える唇を動かして問いかける。



「私の魔術を打ち消した、のか……?」



 惚けた顔をされても、こっちの怒りは収まらない。

 さすがに叫んで暴れるつもりはないが、嫌味をこねくり回したい気分だ。



「それで、なんでしたっけ。何もできない私の試験は必要ないんでしたっけ?」



 まだ震えてるミーシャの背中を撫でながら、私は試験官リンガを鼻で笑う。

 魔術を打ち消されたショックから立ち直れていないようだ。



「────試験の必要はない」



 空から声が降ってきた。

 見上げると、そこには男装の麗人が浮かんでいた。


 カーキ色のフロックコートに、赤と白のカマーバンドで腰に切り替えを生み出している為、重い装いに見えない。

 洗練された都会のお洒落さ。

 桃色の長い髪を高く結えたポニーテールを揺らし、ステッキを片手に持つ。

 片眼鏡モノクル越しに動くワインレッドの瞳は、褐色の肌に映えていた。



「リンガ下級魔術師、受験生への攻撃魔術の使用は原則禁止だ。昨日のミーティングでしっかりと伝えたはずなのだが、もしや聞いていなかったのか?

 それとも君は、この僕を怒らせる為にこんな愚行に走ったのかい?」



 鈴を転がすような、可憐な声。

 言葉は鋭く、有無を言わさない迫力があった。



「ベルモンド・フロレンツェ教授、出張のはずでは……?」


「なあに、ちょっと転移しただけさ。何やら不穏な魔力と意志を感じたものでね」



 試験官リンガの言葉に私は、空から現れた人物に視線を戻す。

 魔術教本に追跡魔法を仕掛け、国王を動かして特法を制定したという魔術の権威。

 モンテスギュー子爵によれば、目的の為ならば手段を選ばないという話だった。



「それで、リンガ下級魔術師。何か釈明はあるかい?」


「そ、それは……」


「生徒への正当な理由なき攻撃魔術の行使。これだけでも教師免許を剥奪するに足る。拘束させてもらう」



 ベルモンド教授が黒皮の手袋を着用した指を軽く振った。

 光の輪が試験官リンガを拘束し、彼は力無く項垂れた。



「ええっと、君は確か助手のナハルノアだったかな。君を臨時の試験官に任命する」


「ありがたき幸せにございます」



 臨時試験官に任命された助手のミリッツァ・ナハルノアは、片膝を地に着けた。

 ベルモンド教授がステッキをその頭にこつんと当てる。



「君の頑張りによっては、リンガの後継に任命する事もありえる。くれぐれも僕を失望させないでくれ」


「必ずご期待に添えてみせます」


「それと、そこの氷の椅子に座っている子は『特級』クラスだ。試験の必要はないし、この僕が直々に面倒を見る」



 臨時試験官ミリッツァは素早く手元の紙に何かを書き込んだ。



「では、ひとまずこれで失礼するよ。リル・リスタ、後でまた会おう」



 騒然とする受験生を置いて、ベルモンド教授とリンガ試験官は黒い靄に包まれて消えた。

 転移に関する魔法や魔術は聞いたことがない。

 動かない足に代わって、車椅子に並ぶ移動手段になり得る。

 ベルモンド教授は警戒する必要があるけれど、『特級』クラスや転移は魅力的だ。



「……静寂に! 試験官リンガに代わって、この私が臨時で試験を執り行う。ミーシャ・モンテスギュー、準備は出来ているか?」


「は、はい! もちろんですわ!」



 ミーシャはがっちがちに緊張した様子で、誰もいないグラウンドに向けて掌を向ける。



「我らは精霊プロメテウスの加護を受け継ぐもの。我らに闇を打ち払う聖なる炎を灯せ。聖灯火ラ・ルモ



 青色の炎が線上に広がり、円を描く。

 炎の生み出した熱風が私たちの髪を乱す。



「魔法も、魔術も、すごいな……」



 魔術教本に記されていたのは、本当に基礎中の基礎だったのだと思い知る。

 井の中の蛙、大海を知らず。

 されど、広がる青空に想いを馳せる……なんてね。

 これまでは、周囲に被害が及ぶ事を考えて控えていた魔術の練習や勉強が、この学園でなら好きなだけできる。


 まずは魔術を極めよう。

 そうすれば、どの魔術がこの足を動かすのに役立つか方向性が見えてくるはずだ。


 ああ、楽しみだ。

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