第5話 モンテスギュー子爵

 慰問に訪れる貴族は、だいたい午後にやって来る。

 そういう日は、神官がそわそわとしているので、なんとなく分かる。


 豪華な馬車が大きな道路を通って近づいてくる。

 掲げる家紋は、多分モンテスギュー子爵のものだ。


 神官は落ち着かない様子でくるくる円を描いている。



「まさかちょっとした小遣い稼ぎのつもりで引き受けた託児が、魔術を扱えるようになるとは……いえいえ、なんとなくその予兆はありましたが、まさかここまで……」



 私が孤児院に到着してからずっとこの調子だ。

 氷の車椅子を見るなり、精霊と神の御名を絶叫して子どもを泣かせたので、騒ぎを落ち着かせるのに困った。



「いいですか、リル・リスタ。お貴族様とお話しする時には、とても厳しいルールがあるのです。ミーシャ様は優しく、あまり失礼な事をしても怒りませんが、モンテスギュー子爵はとても厳しい御方です。決して、赦しがあるまで声を出してはいけませんよ」


「はい。その説明はこれで五度目です」


「その減らず口を閉じなさい」



 なんか面倒な事になったな。

 手の中の氷薔薇を弄りながら、私はその時が来るのをじっと待った。


 孤児院の前に馬車が止まり、御者が扉を開ける。

 背丈の高い橙色の頭髪をした紳士と、若草色のドレスを着たミーシャが姿を現した。


 神官が私の頭を掴んで無理やり下げる。



「出迎えご苦労。顔を上げると良い。今日は珍しい同伴者もいるようだな」


「遠路はるばるようこそお越しくださいました、モンテスギュー様。この子は我が孤児院で一時的に預かっている子でして……」


「アタシの友だちですわ、リル・リスタと言いますのよ!」



 神官の言葉をミーシャが遮る。

 子どもに向けるものとは思えないほど鋭い目でモンテスギュー子爵はミーシャを睨んだ。



「ミーシャ、お前は貴族の娘、俺の娘だ。平民と身分が釣り合わないことを自覚しろ!」


「も、申し訳ありません、お父様……」



 噂以上に厳格な人らしい。

 一瞬で“娘が父に友人を紹介する和やかな空気”をぶち壊し、なんとも言えない空気に塗り替えた。

 黙っていろと神官には言われたが、流石に目の前で私に親しくしてくれた女の子を泣かせたままにするわけにもいかない。



「ああ、ミーシャ、可哀想に。大柄な男に怒鳴られて怖くなって泣いてしまったんだね。ほら、君の涙で薔薇を作ってあげるから、どうか泣き止んでくれ。君が泣いていると私も悲しい」



 車椅子をスイスイ動かし、ミーシャとの距離を詰めた私は、そっと目元に浮かんでいた涙を指で掬った。

 『氷結』で彼女の大好きな薔薇を作る。

 綻ぶように開く花弁を見つめていた彼女は、花を咲かせるように笑顔を浮かべた。



「まあ、すごい! 氷の薔薇なんて初めて貰ったわ」


「しばらくすると溶けちゃうんだけどね」


「それにあなたの乗っている氷の椅子、車輪が付いているのね。凄いわ。リルは本当に凄いわ!」



 お、すっごい喜んでる。

 魔術を極める過程での副産物とはいえ、人が喜んでくれるのは嬉しい。

 背後から漂う神官の怒気を覚悟して動いた甲斐があったというものだ。



「その氷の車椅子は、どういう魔法で動かしている?」


「僭越ながら、子爵様。これは魔術です。『氷結』を工夫して作りました」


「もしや、半年ほど前にミーシャが鑑定の水晶玉を使おうとしていた孤児院の子どもか?」



 ミーシャが頷いた。

 子爵は深くため息を吐いて、それから目元を覆った。



「ミーシャよ、魔術と魔法は貴族であるからこそ使える代物。それをおいそれと市井に広める危険性が分かって────」



 なんでそこでミーシャを責めるんだ、この男の人は。

 ミーシャもすっかり萎縮して、また泣きそうになっているじゃないか。



「子爵様、ミーシャは私に魔術や魔法を教えた事はありません。確かに過去に『歩けないなら、魔法を使えばいいじゃない』と言いましたが、それだけです」



 子爵が私を睨む。

 貴族同士のルールやマナーなんて知った事か。

 私は、目の前で泣きそうになっている女の子を見捨てるほど腐った大人じゃない。



「ミーシャが悪いという前提で説教するの、間違ってます」


「い、いいの。いつもアタシが悪いから……!」



 子爵は、数秒ほど私を睨んだ。

 私も睨み返した。

 神官とミーシャがおろおろしていたが、私たちの間に割って入るほどの度胸はなかった。


 先に視線を逸らしたのは、子爵だった。



「リル・リスタだったな。その名を覚えておこう。若き才能ある魔術師は、国の宝であるからな。ミーシャも、良き友となれるように励みなさい」


「まあ、お父様が許可してくれましたわ! やったあ! リルは今日からアタシの友だちですわ!」


「王国の貴族として、リル・リスタを監督する。明日、君の家にモンテスギュー子爵として詳細を詰めた手紙を出す。必ず親に家にいるように伝えろ」



 かしこまりました、と神官と私が頭を下げる。

 顔が見えないのをいい事に、私はめんどくさい事になったなと顔を顰めた。

 まあ、周囲には怪しまれていたようなので、遅かれ早かれ問題になっていたのかもしれない。



「子ども同士で遊んでいなさい。大人の話をしてくる」



 応接室に入っていく大人たちを見守り、扉がバタンと閉まった。

 ぶはぁ〜、と息を吐く私の手をミーシャが握る。



「凄いわ、リル。あなたほどの魔術の腕前なら、きっとアタシと一緒に貴族学園に通えますわ」


「え〜? 金がないよ。それに貴族学園は貴族が通うものでしょ。平民の私なんて試験すら受けさせてもらえないよ」


「ある程度の魔力さえあれば試験は受けられますわ。それに、領内の才能ある魔術師を支援するのが貴族の義務なのよ。友だちと勉強するのがアタシの夢なの!」



 ミーシャは今年で八歳になる。

 年齢から考えるに同じ学年になる事はないだろう。



「ねえ、リル。どうやって魔術を学んだの?」


「ああ、母さんと父さんが古本屋で買った本の中に魔術教本があったんだ。それを読んで練習しただけだよ」



 ミーシャに魔術教本を見せてやった。

 何度も読み返しているうちにページの端が折れてしまっているが、中身さえ読めれば問題ない。



「まあ、凄いわ。内容も難しい……」


「落丁があるから、どうしても理解できない部分があるんだ。仕事を見つけて本を買えるようにならないとね」


「お父様に買って貰えば良いのではなくって?」


「自分で買う事に意義があるのさ」



 ミーシャは首を傾げていた。



「私は欲張りだから、次も次もと欲しくなる。親に強請っていたら、破産してしまうよ」



 ミーシャは納得したように頷くと、クスクスと笑う。

 何が面白いのだろうかと今度は私が首を傾げると、彼女は目元に浮かんだ涙を指で拭った。



「うふふ、ごめんなさいね。リルったら、子どもなのにまるで大人のように喋るんですもの」


「そうかな。普通にしているつもりなんだけど」



 少しは子どもらしく振る舞うべきだろうか。

 いやでも、演じてもすぐにボロが出そうだ。

 人間、やはり自然体が一番である。



「ねえ、リル。氷の薔薇をどうやって作ったのか、アタシに教えてくださいな」


「いいよ。まず、『氷結』について軽くおさらいを────」



 時間も忘れて、ミーシャは私の話に聞き入っていた。

 水蒸気の話は理解できていなかったようだが、見えない雲を掻き集める感じと自分なりに解釈をして、魔術を唱える事に成功した。



「細かい形を作るのって、かなり難しいのね」


「感覚を掴んでいるから、後は回数をこなしていくだけだ。ミーシャなら一週間もしないうちに薔薇を作れるようになる」


「これなら冬でも薔薇が見れるのね。すごく嬉しいわ」



 キラキラとした瞳で掌の中に生み出した氷を眺めていたミーシャは、花が綻ぶように綺麗な笑顔を浮かべた。

 貴族の令嬢だが、人懐こく、身分に分け隔てなく親しくなろうとする心優しい子だ。

 時々、距離感や言葉を間違える事もあるが、箱入りと思えば許せる。

 幼さゆえの純真無垢。


 この綺麗な心を、私はいつの間に失ってしまったのだろうか。


 ……前世はコールセンターのイン、つまりは客から掛かってくる電話の対応をしていた。

 電話越しに浴びせられる罵声でもかなりストレスになるのに、職場内でのお局さんの派閥争いや嫉妬に関連するトラブル、恋愛のごたつきなど、職場の環境そのものが劣悪だった。


 真面目に働いているのは自分だけかと勘繰ってしまうほど、周囲の同僚のモチベーションが低かったのを覚えている。

 職場に向かう足が重くて仕方がなかった日々だった。


 それに比べて、ミーシャの笑顔はなんと清らかなのか。


 荒んでいた心が癒やされていくようだ。



「ミーシャ、前に魔法の素質を判別する方法を教えてほしいと言った時、きつい言葉を使ってごめんね。あの時の私は冷静じゃなかったわ」


「気にしなくていいわ。アタシたち、友だちですもの!」



 この純真無垢は真似できないな、とミーシャに抱きしめられながら私は自嘲の笑みを浮かべた。


 ところで、家に貴族と面会して失礼のない礼服があっただろうか。

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