第4話 リル・リスタという娘
『恐らく、娘さんの足が動く事はないでしょう。苦痛なく終わらせてやる事も親の定めです。安楽死も視野に入れて、ご家族でよく話し合ってください。娘さんが、人として生きていられるうちに』
娘が馬車に轢かれた。
三歳になったばかりの、俺の幼い娘だ。
生まれた頃から変な子どもだった。
姉のルチアと違い、妙に意思がはっきりとしている。
目的の為に行動するような聡明さがあった。
喃語というには、あまりにも規則的な未知の単語を呟く。
生まれた時から周囲をしげしげと観察する黒い目。
いつもじっとしていたから、油断してしまった。
娘がいない事を不審に思い、家の中を探して、中途半端に開いた扉を発見した時。
さぁっと血の気が失せた。
家を飛び出して、娘の名前を呼びながら走った。
そして、見つけた。
振り返った娘が、こちらに気を取られている間に馬車が小さな体を跳ね飛ばしたのを。
逃げ去る馬車と、血を流す娘。
その光景が目に焼き付いて離れなかった。
何日も生死の境を彷徨った娘の姿を見て、何度も謝った。
神と精霊に願った。
どんな対価を支払ってもいい。娘を奪わないでくれと。
ようやく目覚めた娘は、死なない代わりに足を失った。
感涙に咽び泣く私たちに、医師は静かに告げた。
障がいを抱えて生きていく事の困難さ。
子どもを授かったとしても、産める確率は低い。
余計な苦しみを与えるよりも、安らかにあの世に送り出してやる事も親としての一つの務めでもある。
何日も妻と話し合った。
俺は、足がなくても、リルに生きていて欲しかった。
世間の目は厳しい。
足がないというだけで、仕事さえもらえない。
仕事の量を増やして、休日も働いて金を貯めても、やはりリルの足を治癒できるだけの寄付金には足りない。
娘を跳ね飛ばした馬車は、見つからない。
『お父さん、顔色が悪いよ。今日は休んだほうがいいよ』
気遣うリルに怒鳴ってしまった。
お前のせいだ。お前が悪いのだと。
妻に頬を叩かれて、ようやく自分が最低な事を言ってしまったのだと冷静になれた。
謝る俺を、リルは許してくれた。
父として最低な俺を、リルは決して責めない。
本人が辛いだろうに。
リルはよく窓の外を眺める。
通りを歩く人々を眺めながら、もう動かない太腿を撫でるのだ。
這いずるように動くしかないから、足の皮膚をよく擦って痛めている。
リルの髪から色が抜けた。
笑顔を見なくなった。
言葉は優しいが、声に生気が宿らなくなっていた。
無学な俺でも、ようやく分かった。
どうして医師が『人として生きているうち』に安楽死を勧めたのか。
生きているだけでは、幸福にならない。
リルが四歳になった頃、俺は娘との接し方が分からなくなっていた。
安楽死させてやるべきだったのか、本人に聞く勇気もなく、逃げるように仕事に打ち込んでいた。
妻が本を買い与えているのを知って、俺も本を買い与えた。
内容も知らない、叩き売りされているようなものばかりだ。
リルは、天才だった。
たった三ヶ月で、文字を習得した。
俺が仕事に逃げている間に、リルは懸命に生きていた。
五歳になった頃、リルの様子が変わった。
髪の色は抜けたままだが、きょろきょろと周囲を観察する目は事故に遭う前を彷彿とさせた。
真夏なのに家が冬の夜の時のように冷える事が続いた。
リルが何かをしているのだろうと親としての勘が告げた。
「ねえ、あなた。リルはもしかしたら魔法を使っているのかもしれないわ」
「妖精との取り替え子か、貴族の令嬢だったのかな」
「私たちの子でしょう!」
ナタリーが俺の冗談に怒って肩を叩いてきた。
リルが何をしているのか、馬鹿な俺にはよく分からない。
でも、リルは大丈夫だ。
いつも周囲を気にかけるあの子なら、妖精のように悪戯はしないだろう。
それに、汗っかきなので、真夏の夜は助かった。
冬になったら家の中を温められないだろうか。
薪代が安く済むなら、かなり家計が助かるのだが。
能天気に惚ける俺の顔を睨みつけようとしていたナタリーの目が泳ぐ。
「だ、だめよぅ……魔術師や魔法使いの素質があるなら、貴族に報告しないと」
「まあ、それとなく、でいいだろう。それとなくね。やんわりと。リルは天才だから、すぐに大成してしまうだろうけど、やはりまだ子どもだからね。リルは天才だけど」
「それはそうだけどぉ……うちの子、天才だしぃ……」
いつかリルは親の手を離れる日が来る。
それまでは可愛がろう。
二人で話し合った、次の日の事だった。
リルが、氷で『車椅子』を作った。
いくらなんでも、成長するのが早すぎやしないか?
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