第9章 2話
◇
「──なあ、結生。今、なに考えてる?」
「べつになにも」
「ふうん」
とくに大きな事件が起こることもなく、滞りなく無事に卒業式を終えたあと、俺は屋上庭園へとやってきていた。三月上旬にしては温かい気候の恩恵か、例年よりも桜の開花が早い。この屋上庭園に飢えられた桜の大樹も、半分ほど蕾を開かせていた。
ちなみに隼は勝手についてきただけだ。
「春永先輩。相良先輩も。よかった、ここにいて」
そんな俺たちを追うようにやってきたのは、鈴の友人たちだった。
「おー、久しぶりだな。ふたりとも」
馴れ馴れしく手を振る隼を横目に、どこかほっとしている彼女たちを見る。
「綾野さんと岩倉さん……だよね。俺たちになにか用?」
「相変わらず冷たいなー先輩。あたしたち、鈴の代わりにお祝いに来たんですよ」
「鈴の」
「お、食いついた」
岩倉さんはけらけらとからかい交じりに笑う。
けれど、やはりふたりともどこか元気がない。それも当然か、と俺は心のなかで鈴の名前を紡いだ。君がこのふたりの隣にいないのはすごく寂しいよ、と。
「時間が経つのは、早いね。ついこの間、君たちとここでごはん食べたばかりなのに」
「ほんとですねえ」
「はは、懐かしいこと言いますね、春永先輩。鈴のことばっか見てたくせに」
「マジでこいつはいつだって小鳥遊さんしか見てなかったよ。呆れるほどな」
「うるさい、隼。……安心しなよ、そんな学校生活も、もう終わりなんだから」
あと一週間ほどすれば、この桜の大樹も満開になるだろう。
ここだけでなく、多くの桜が。そうして散りゆく桜に触れるたびに、俺は否が応でも鈴を思い出すのだ。彼女と過ごした日々を、花弁のひとつひとつに重ねて。
「──卒業、おめでとうございます。おふたりとも」
「おめでとうございます、先輩たち」
後輩たちの温かな祝福に、俺と隼は苦笑しつつ顔を見合わせる。
「おう、ありがとうな。なんか俺、めちゃくちゃついでな気がするけど」
「そんなことないですって。春永先輩への用事がメインですけど、ちゃーんとお祝いはしようと思ってきましたよ」
「そ、そうですよ。聞きました、おふたりとも大学に進まれるんですよね」
綾野さんの言葉に、隼が肩をすくめながらうなずく。
「まぁな。俺は地元の大学だけど、こいつは東京の某美大だよ。ったくサラッと合格しちまうあたり、ホント結生だよな。あーあ、天才ってのは嫌だねえ」
「なにそれ」
「悪口だよ。もうマジでおまえがひとりでやって行けるとは思えねえんだわ、俺。定期的に生存確認しに突撃するからな。覚悟しとけよ、バカ結生」
……寂しい、のだろう。きっと。そういうことにしておいている。
俺が美大に合格したことを報告したときはあんなに喜んでいたくせに、それからだんだん卒業が近づくにつれて、面倒くさい絡みをしてくるようになったのだ。
小中高となんだかんだ一緒に過ごしてきた腐れ縁ゆえに、いざ離れるとなると心許ない気持ちはわかる。隼は世話焼きだから、なおのこと世話を焼く相手がいなくなることに戸惑いを覚えているのかもしれない。
それでも、時は進む。俺たちは、子どもから大人にならなければならない。
まあなんだかんだ、長い付き合いにはなりそうだが。
「それで、俺への用事って?」
「あ、そうだった。これ、春永先輩へ」
岩倉さんが思い出したように手渡してきたのは、一通の手紙の封筒だった。
不思議に思いつつ受け取って、差出人を確認するために裏面を見る。
──一瞬、時間が止まった。
春永結生先輩へ。
小鳥遊鈴より。
「……鈴から……?」
「はい。卒業式の日に渡してほしいって前々から頼まれてて」
小ぶりで丸っこい字体で記されたそれに、俺はしばし立ち尽くした。うしろから覗き込んできた隼が「へえ」と寂し気な響きを孕んだ音を落としながら尋ねてくる。
「開けねえのか、結生」
「…………」
開ける、勇気がない。
──鈴が亡くなってから、もう約一ヶ月が経った。
以前から年を越せないだろうと言われていた鈴が、約二ヶ月も長生きして息を引き取ったのは、ちょうど、俺の合格発表の日だった。
俺の合格を知ってから、鈴は眠った。最後の一ヶ月はほぼ眠ったままの状態だったのに、その日だけは朝から起きていて、俺の合格発表を心待ちにしていたらしい。
俺がネットで合格発表を見て病院に駆けつけたときには、すでに鈴は危篤の状態だった。けれど俺が到着した途端、鈴はまるで奇跡のように目を覚まして──。
「……っ」
そんな鈴が、俺に残してくれた手紙。
持つ手が震えて止まらない。読みたいという気持ちよりも、その現実を受け止めなければならないことが、ひどく怖かった。
自信がなかった。折れそうな気がした。
「まぁ……無理しなくても、また」
「だめよ。ちゃんと読んであげなさい」
空気を割るように飛んできた声に、俺たちは揃って振り返る。屋上を吹き抜ける風にスカートを揺らしながら仁王立ちしていたのは、榊原さんだった。
「あの子が、わざわざ今日って指定して託したものなんだから。小鳥遊さんのことを想うなら、それくらいの誠意は見せるべきだと思うけど」
突然の榊原さんの登場に、岩倉さんたちは面食らっているようだった。
隼は隼で「げっ」という顔をしている。
悪い子ではないのに性格がきついから嫌われがちで、いちおう元カレである俺も、いまだに彼女の気迫にはなかなか押されてしまう。
それでも、榊原さんの言葉はいつも正しい。
俺を絶対に逃がしてはくれない。そんな榊原さんはきっと俺と同じように不器用で、鈴と同じように真っ直ぐな性格なのだろうなと、最近は思えるようになった。
この子は誤解されがちだが、基本的に誰かを想っての発言しかしないから。
「……うん、読むよ」
俺は覚悟を決める。
鈴の死後、目に見える形で彼女のことに触れるのは初めてだ。俺は封筒を開けながらハサミがほしいな、なんて思って、芋づる式に鈴の前髪を思い出してしまう。
あのときの奇抜な前髪をしていた鈴は、純粋にちょっとだけ面白かった。
本人が気にしていたから整えてあげたけれど、いっそあのままでもよかったかな、なんて──そうして懐かしい思い出に浸ることも、今はまだ胸が苦しい。
ぐっと気持ちを入れ替えて、俺は開けた封筒のなかを覗き込む。
入っていたのは一枚。おそるおそる手紙を開いて、俺は言葉通り、ぽかんとした。
「……なんて?」
「……卒業おめでとうございますって」
「あとは?」
「……それだけ」
「えっ」
「へっ?」
「は?」
「ちょっ、と見せて!」
信じられないと言わんばかりに、榊原さんがやや乱暴に俺の手紙を横取りする。あ、と思う間に奪われた。そして榊原さんもまた、手紙を見て、同様に絶句した。
「……ほんとにそれだけじゃない……」
そうだ。手紙の中心部に、たった一行それが書いてあるだけだった。
もちろん嬉しくないわけではないけれど、ついつい拍子抜けしてしまう。
「あ、でも……」
ふと榊原さんはなにかを見つけたように手紙を裏返した。まさかそんなところになにか書いてあるのかと驚愕し、俺にしては機敏な動きで素早く手紙を奪い返す。
「えっと──『贈り物、受け取ってくれました?』」
そのまま読み上げると、シン、と静寂が落ちる。
「なんか受け取ったのか? 結生」
「いや……なにも受け取ってないと思うけど」
「じゃあどういう意味だ、これ」
俺と隼が神妙に顔を見合わせたと同時、目の前で綾野さんと岩倉さんも顔を見合わせた。けれど、ふたりの表情はどちらかというと思案気なもので。
「そういえば鈴ちゃん……あれ、どうしたんだろう」
「もうとっくに完成してたよね?」
なにか知っているのだろうか。知っているのなら早く教えてほしい、と俺が促そうとした矢先、今度は榊原さんが「そうだわ」と真面目な顔で声を上げた。
「え、なに?」
「あたし、結生に伝えることがあって探してたのよ」
「伝えること?」
榊原さんがなぜか神妙な面持ちで浅く顎を引く。
「ここへ来る途中で、美術部の顧問の先生から呼び止められたの。あなたに会ったら伝えてほしいって。……その、絵画コンクールの結果」
「絵画、コンクール」
ああ、そうか。そういえば、もうそんな時期だ。
絵画コンクールは三月の上旬に結果が発表され、下旬には入賞作品の展示会が行われるのが通例である。今年も例年通りなら、そろそろ結果発表がある。
俺の場合は学校を通して出しているから、まず最初に学校へ通達が来るのだ。
「それはともかくとして、なんで今なんだよ。後でいいだろ。どうせ結生のことだし金賞に決まって──」
「銀賞」
「……え?」
「銀賞、だって」
またもや空気が水を打ったように静まり返った。
俺はその場で石像のごとく硬直し、同じく隣で硬まった隼はたっぷり数呼吸ぶん置いてから「はあ!?」と震撼したように絶叫する。
「結生が!? 金じゃなくて、銀!? 嘘だろ!?」
「し、知らないわよ! あたしだって伝えてほしいって頼まれただけで……!」
「春永先輩って、たしか五年連続で金賞取ってるすごい人、でしたよね」
「え、でも、そんな先輩を超える作品があったってこと?」
その場の全員が、はてしなく気まずそうに俺を見た。
だが、俺は自分が銀賞だったという事実はどうでもいい。それよりも、唐突に頭のなかでできあがった仮説がぐるぐると渦巻いて離れずにいた。
いや、でも、そんなのありえない。だって、彼女は。
「待っ……て。さっき、なにか完成させたって言った?」
「え? あ、はい……」
「まさか、絵、とか言わないよね?」
綾野さんと岩倉さんが俺の言葉におずおずとうなずきかけて──その瞬間、なにかに気づいたのか、ハッとした顔をしてふたたび勢いよく顔を見合わせた。
「えっ! そういうこと!?」
「いやでも有り得なくはないよ。先輩、絵画コンクールの締切っていつですか?」
「大晦日」
「っ、じゃあその可能性はある! だって鈴、年明ける前には描きあげてた!」
ひとりいまだに状況を理解できていないらしい隼の視線が、忙しなく俺と彼女たちを行き来する。
完全に蚊帳の外だが、この状況では致し方ない。フォローする余裕もない。
「……なに? つまり、今回の金賞は小鳥遊さんかもしれないってこと?」
もはやさすがと称賛したくなるほど、たった一言でまとめた榊原さん。その言葉でようやく理解したらしい隼が「ああ!」と今さら驚きに満ちた声を上げた。
「えっ、でも、出したのか? 入院してたじゃん、ずっと」
「鈴ちゃん、病室でずっと描いてたんです。春永先輩には隠してましたけど……」
「なんで隠す必要が…………あ、」
「さっきの『贈り物』って、たぶんその絵のことだよ」
俺は堪らず駆け出した。
うしろから隼たちの驚いた声が追いかけてくるが、振り返ることなく走る。
体力のない体はあっという間に悲鳴を上げ始めるが、そんなの気にしていられない。
卒業生が集う廊下をすり抜けるように駆け抜けて、俺は職員室へ飛び込んだ。
「っ、失礼します!」
「お、おお? 春永か、どうした」
扉の近くに座っていた先生の横を通り過ぎて、俺は目当ての人物を探した。すぐにそのうしろ姿を見つけ駆け寄る。もはや周囲のことなんて見えていなかった。
「先生っ」
「お、春永じゃないか」
まるで俺が来るとわかっていたかのような態度だ。
その肩をいささか乱暴に掴みながら問いかける。
「金賞は誰ですか」
「ああ、いやぁ、残念だったな。高校生活最後の絵画コンクール銀賞──六連覇ならず。でもまあ、モノクロ画家春永結生の真骨頂として話題になってるぞ」
「先生!」
俺の質問には答えようとせずはぐらかす先生に苛立って詰め寄った。しかし、先生はまったく態度を崩すことなく「まあ落ち着け」と苦笑しながら俺の肩を叩いた。
「悪いが、俺の口からは言えない。誰が金賞を取ったのか、それは『部長』であるおまえ自身が確認するべきことだからな」
「っ……」
「今年の展示会はちょうど二週間後から。入賞者は無料で入れるし、行ってこいよ」
もうほぼ、確実だった。
間違いない。金賞は、鈴だ。
自惚れているわけではないが、俺を追い越す可能性があるとしたら彼女しかいない。
それこそ次点を死守し続けていた鈴が今年もコンクールに応募したというのなら、その可能性は充分、有り得る。
むしろ、ここでぽっと出の高校生が出てくるのだけは勘弁してほしい。
二週間。──二週間も、待たないといけないのか。
俺はおずおずと掴んでいた先生の腕を離して、数歩下がった。すみません、と口籠りながら謝ると、ぽんぽんと小さい子どもにするように頭を撫でられる。
「……?」
「卒業、おめでとう。春永」
「っ、あ、ありがとうございます」
「こんなこと言うのは、あんまり褒められないんだがな。今年に限り、おまえは世界一幸せ者な卒業生だと思うよ。本当に、美術部の部長がおまえでよかった」
この期に及んで、どういう意味だ。
言葉の真意が汲み取れずにその場に立ち尽くす俺を見て、先生は朗らかに笑う。
そして確信を告げることもなく、そのまま「じゃあな」と俺の横を抜けて職員室を出ていってしまった。
呼び止めるほどの気力も残っておらず、眩暈を覚えながらそのうしろ姿を見送る。
握りしめてしまったせいで寄れた手紙を、俺はゆらゆらと見下ろした。
「……鈴」
彼女がいなくなっても色づいたままの世界は、なんとも皮肉でしかない。
でも、それこそが鈴が生きた証なのだと俺は自分に言い聞かせる。
もしも、もう一度。もう一度、彼女に会えるのならば。
──そのとき俺は、同じ選択をできるのだろうか。
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