第9章 「贈り物、受け取ってくれました?」1話

 冬を超え、春が芽生える。春が過ぎれば、夏が顔を出す。やがて秋が世界を跨ぎ、ふたたび冬がやってくる。そうして毎年のように巡る四季のなか、はたして何度、出会いと別れが繰り返されるのだろうか。


「結生」


 呼び止める声に振り返れば、そこにはハル兄が立っていた。相も変わらず雅な着流し姿で小綺麗にしているが、その顔にはどこか複雑そうな表情が浮かんでいる。


「卒業式、行けなくてすまないね」


「……べつに来てほしいとか思ってないし」


「父さんも兄さんもきっと行きたかったと思うよ。なんで今日に限って、総会があるのかな。次期当主発表会とか、今さらいる? みんな知ってるでしょうに」


 今日は俺の卒業式の日だ。同時に、春永一門を中心とした総会がある。全国の華道一派が集結し、春永の次期当主が正式に公表されるのだ。次期当主候補だった長男はもちろん、現当主である父も当然出席する。

 本来ならば俺も出席しなければならないところだが、そこは三男だ。家を継ぐどころか、華道からいっさい距離を置いている俺は、卒業式を優先することとなった。


「……ハル兄さ。当主やるの、嫌じゃないの」


 玄関に向かって歩きながら、俺は素っ気なく尋ねる。


「嫌、とは思ってないよ。兄弟のなかでは私がいちばん向いているだろうなって昔から感じていたしね。なるべくしてなった、とでもいうか」


「ふうん」


「ほら、兄さんはカリスマ性がある人だから。うちに縛られるよりは外に出て、ばりばり働く方が向いてるだろう? 結生は言わずもがな、べつのところに才があるし」


「……ハル兄だって、華道以外に道あったんじゃないの」


「あったかもね。でも、いいのさ。華道は嫌いじゃないし、誰かしらが継がなければならないなら、自ら志願してでも継ぐくらいの気概はあった。適材適所、という言葉もあるし、なにより、それが母さんの望みだったから」


 思いがけない人物が飛び出して、俺はガクンと動きを止める。靴を履こうとしていた足をそのままに、勢いよくハル兄を見上げた。


「……母さん?」


「うん。母さん、亡くなる前に言ってたよ。結生にはこの家に縛られずに、自由に生きてほしいって。なんというか、おまえはどうも、幼い頃からうちの空気には馴染まなかっただろう。それを母さんはずっと心配していてね」


 ぐらりと脳が直接的に揺れた気がした。


「だから、私としては美大に進んでくれて安心してるよ。父さんも口先ではなんだかんだ言っているけど、本当はほっとしてるんだと思う。ただ、おまえと一緒で不器用なだけで」


「……わ、かってる。今朝、父さんがアトリエにきたから」


「えっ」


 正直、俺も驚いた。俺のことなどそもそも眼中になく、そう遠くないうちに勘当されるとばかり思っていたから。いや、むしろ最初は卒業と共に追い出されるのかと身構えたくらいだ。だが、いざ父さんの口から飛び出したのは──。


「……『卒業おめでとう』ってさ。大学も頑張れ、って言われたよ」


「うっそ。あの父さんが?」


「うん。それと……心配もされた」


 靴に足を嵌めこみながら続けると、ハル兄がわずかに息を詰めたのがわかった。

 父さんの『心配』はハル兄も理解できるところなのだろう。むしろ、同じ気持ちを抱いたからこそ、わざわざこうして俺のもとにやってきたに違いない。

 だから、聞かれる前に答えることにする。


「──俺は、大丈夫だよ。ハル兄」


「っ……でも、ショックだろう」


「だとしても、大丈夫。俺はこれから美大に進んで絵を学ぶ。絵を描き続ける。それが俺が選んだ道だから、そこはもう揺るがない」


 約束したのだ。他でもない、鈴と。

 だから、どれだけつらくとも、暗れ惑いそうになっても、俺は歩む足を止めることは許されない。止めてしまえば、彼女が悲しむから。心配させてしまうから。


「……生きなくちゃいけないんだ。俺は、ひとりでも、この世界で」


 泣いている暇なんて、どこにもない。


「っ、結生。そんなに気を詰めていたら、すぐに限界がくるよ」


「わかったようなこと言わないでくれる? とにかく、大丈夫だから。俺のことは気にしないで、ハル兄は当主に集中したら」


 俺はそう言い置くと、素早く玄関を出た。背中にハル兄の気遣わし気な声がかかったけれど、一度も振り返ることなく、俺は今日で最後の通学路を辿った。


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