第7話 ライアンの申し出

 解呪士の仕事とはいえ、恩人であることは間違いないところだ。ニーサがロメロ家に訪問し、ライアンとの面会を望めば、それが拒否されるはずは無い。


 カティアとの作戦会議の翌日、解呪を施した奥まった部屋ではなく、賓客を迎え入れるための贅沢をこらした応接室にニーサが通されることとなったのは、ニーサに対するロメロ家の感謝の度合いを示すものだろう。


 繊細な細工どころか彫金まで施された家具の数々。敷かれている絨毯は、取引先に東方帝国ペルセスがあることを示すかのように複雑な紋様が織られている。


 出窓にはめられたガラスは日光を受けてさんさんと輝き、ソファでティーカップを傾けているニーサの横顔と肩にとまるフィンディを照らしていた。もちろん、この時には、ニーサもちゃんとドレスのように見えるローブを纏っていたことは言うまでもない。


 応接室に通されてから、おおよそ半刻後。控えめなノックの音が響く。


「どうぞ」


 ニーサの声に応じて、応接室の扉が開かれた。開いたのは、解呪の時にも細々と動いていた女中の一人だ。そして開けられた扉から現れたのは、金の髪に榛色の瞳の若者。

 呪いから解き放たれたライアンだった。


 解呪された時には、どこかくたびれた旅装姿だったが、今の出で立ちは無論違う。上流階級の子弟がよく身に付ける白いタイツに、刺繍で垂れ下がってきそうなほど豪華な青い上着。その上から繻子織の長いストールを巻き付けていた。


 そのストールを指輪を嵌めた手で払いながら、立ち上がって頭を下げていたニーサに着席を促すと、ライアンもまたニーサの向かい側のソファに腰掛ける。

 すると女中がニーサにおかわりを確認したあと、ティーセットを載せたお盆を持って退室していった。新しいお茶を用意するためだろう。


 まるでそれを追いかけるように、フェンディはニーサの肩から飛び立ち、出窓へと移動した。その様子をライアンは瞳だけで追ったあと、


「わざわざお越し下さってありがとうございます。僕自身、どうも意識がはっきりしてなかったようで、ちゃんとお礼が出来たのか不安だったのです。訪ねてきて下さって嬉しい。あいにくと父は所用で出ておりますが……」


 と、切り出した。笑顔が眩しい。確かに呪いからは解放されているとみて間違いないだろう。それに体調も良いようだ。


「突然の訪問で失礼したのは私ですから、お気になさらずに。それに、お礼は十分に頂きましたので、ご安心を」


 それに対する、腰を下ろしたニーサの笑みはやはり作り物めいていた。それを見たライアンがどう感じたのか――


「今日はライアン様に伺いたいことがありまして、お時間を頂きました。セルール様にご挨拶できなかったのは残念ですが……」


 わずかに引きつったライアンの笑顔に構わず、ニーサがさらに踏み込む。


「……僕に? 呪いの影響は残ってないですよ?」

「ええ。それはわかっていたことですから」


 つまり他の用件でライアンを訪ねてきたということだ。さらに、ニーサの傲慢とも受け取られかねない、解呪に対する圧倒的な自信。そしてその自信を示す、すました物言い。

 ライアンの頬がヒクリとさらに引きつる。


 再び響くノックの音。女中がティーセットを持ってきたようだ。自然と、二人の言葉は止まる。光がほこりを照らし出す音さえも聞こえてくるような、緊迫した静寂の中、注がれるハーブティーのコポコポとした音が、奇妙なほど規則的だ。


 やがて女中が下がり、扉を閉める音が再開の合図のように響く。


「――私がこのたびお伺いしたのは、他の『呪い』についてです。私は依頼は無くとも解呪する事があります」


 そしてニーサが唐突に始める。


「それは……ご立派です」

「いえ。個人的事情ですので、慈善のためというわけではありません。私がお伺いしたいのはナッシュ様についてです。ライアン様はご存じのはず」


 あまりにも遠慮が無い問いかけだった。だからこそ、ライアンも誤魔化すことは出来ない。


「それを……どこで?」


 かろうじてライアンが言葉を返す。


「メラニー様から。私はカティア様から又聞きの形ですが。その確認と合わせて、ライアン様が呪いを受けられたとき、どういう状態であったのか。それをお伺いしたかったのです」

「なる……ほど。メラニーから……であるなら、僕が付け足すようなことは何も無いとも言える」


 最初は、たどたどしかったライアンの言葉は、後半になれば流暢なものへと変わった。


「では、ライアン様が『呪い』にかかったとき、その場にナッシュ様がいた事は間違いないと?」

「ああ」

「ナッシュ様がライアン様を庇われたことも?」

「それも確かだ。僕はみっともないことに、それでも尚、呪いにかかってしまったようだが。その辺りの記憶は曖昧なんだ」


 ライアンの言葉に、深く頷いてみせるニーサ。


「それは仕方のないことかと。私が確認したいのは『呪い』を受けたナッシュ様がどのような姿になったのか? という点です」

「それはメラニーから……」

「見えるものはそれぞれ違います。メラニー様からも。カティア様からも」


 いつの間にか、ニーサの顔から笑みが消えている。

 それに気圧されたように、ライアンは額に汗を浮かべていた。


「それは……大きな白い鳥だとしか」

「他の色は見えませんでしたか? とさかの有無なども」


 そう言ってニーサは出窓にとまるフェンディへとライアンの視線を誘導する。

 フェンディのような、とさかは生えていたか? ということなのだろう。


「……すまないが、やはり記憶は曖昧だ。他の色は覚えていない。ただとさかはあったような気がするな」

「そうですか」


 いきなり熱が失せたようなニーサの声。笑顔も戻っている。そのニーサに向けて、ライアンが快活に語りかけた。


「ところでニーサさん。ナッシュの……その白い鳥も解呪するおつもりですか?」

「そうですね。恐らくは」

「では、是非とも協力させて下さい。ナッシュが解放される現場に僕もいたく思います」


 それは当然の願いと言えるだろう。

 ニーサは立ち上がりながら、コクリとうなずいた。

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