第6話 調査の準備

 「ペルゴーラ」を出たニーサとカティア、それに紅い鳥はそのままカティアの部屋へと向かうこととなった。

 

 カティアの部屋は、いわゆる集合住宅インスーラの三階にあり、一人ぐらしの割には、部屋も複数あり余裕もある。それは確かにロメロ家から援助を受けていることをうかがわせるものだった。


 カティアは逆に、ニーサの言葉に驚くばかり。何よりもまず驚いたのが、


「もう……お金を使い切ったんですか?」


 という具合のニーサの申告であった。


「そうなんです。いつの間にか……」

「いつの間にかって……」


 そんな理由、「ペルゴーラ」で贅沢しまくったからに決まっている。ロメロ家から解呪の謝礼を渡されたのが今日の午後。

 そして今は、もう無い、と言うのであるから他に理由があるはずがない。


「あ、しばらくは大丈夫なんですよ。でも、これを使っちゃうと解呪に必要な道具とか宝石を使って染める糸とかが……その……怪しくなるわけで……」


 何か一生懸命に言い訳しているニーサであったが、カティアからは、さらなる戸惑いの表情が返ってくるだけ。

 それを何とかしようと考えたのだろうか。ニーサは忙しくて手が回らなかったカティアの部屋の片付け、それに食事の準備など、自分から引き受けたのである。


 ニーサはドレスのようにも見えたローブを脱ぎ捨てると、その下はほとんど男装のような出で立ちだった。


 上は粗末と言っても許されるほどの綿の半袖シャツ。特に装飾も無く、下着のようにも見える。下は乗馬服のようにも見えるので、上よりは幾分ましかもしれない。ブーツを履いていたので、全体的にはアンバランスだ。


 カティアから見れば、その姿は仕事の合間に汗を拭う休憩中の職人のようにも見えた。実際、朝起きてから宣言通り、家事に掃除にとテキパキと動くニーサは、熟練の職人のように機敏だったのである。


 カティアが昨日の後始末とも言うべき事務仕事を終えて、ロメロ家から帰ってきたときには、部屋の中は整然と片付けられていた。その上、魚介類を使った簡単な夕食まで用意されていたのである。


 浪費振りから、ニーサには全く生活能力が無いように思っていたカティアとしては、ニーサの正体が不明になる一方だったことは言うまでもない。


 たまらずカティアが色々尋ねてゆくと、ニーサは笑顔を貼り付けたままで、かなり気安くあれこれと答えてくれた。その内に、家事全般に対して手際が良い理由を尋ねてゆくと、それにも答えが返ってくる。


「ああ、それはお師匠様の世話を長くしてたのね私。それで一通りのことは出来るの。お師匠様が何にもしてくれない人だったから」

「ああ、お師匠様……解呪のよね?」


 アサリとパセリのパスタを取り分けながら、話を弾ませる二人。お互い、敬語を使うことはやめてしまっている。年が近いことも、それを手伝ったのだろう。


 香味野菜のサラダにチーズ風味のドレッシングを掛け、木製のサラダボウルの中のサラダをひっくり返すために協力する二人の手際も鮮やかだった。


 そんな二人の手際を支える、質素ではあるがしっかりした造りの食卓に清潔なテーブルクロス。部屋の明かりは支術によって灯されたものではないが、吊されたランプが二人の手元を照らしている。

 カティアとしては不足はないどころか、十分に満ち足りた食卓と言っても良いだろう。


 紅い鳥――フェンディという名前だとニーサが教えてくれた――は、食卓の隅でザクロをついばんでいた。ワインは必ずしも必要ではないらしい。


「……じゃあ、フルトを持っている人が全員アエーズってわけでは無いのね?」

「そう。そういうことにした方が都合が良いから、知っている人が改めて言いふらすことはないけどね。考えれば、それが自然なことだとわかるし」


 パスタをフォークに巻き付けながら、ニーサが解説する。


「フルトを持っているかどうかは血統が基本だもの。ライアン様だってお母様の血を受け継いでフルトを持っているわけでしょ? そしてそれは普通のことだとカティアは考えている」

「それは……そうね」


 納得するしかないカティア。


「でもね。アエーズの方々の血を引きながらそれを隠している人も多いわけよ。様々な事情でね。で、それが数百年だから。今はフルトを持ってない人の方が珍しいのかも知れないわ」


 そう指摘して、ニーサはパスタを頬張った。


「それじゃあ、支術は? 誰もが使えるの?」


 サラダを木のフォークで取り分けながら、カティアがさらに確認する。

 するとニーサはパスタを飲み込んでから応じた。


「ううん。支術を使うためには、ちゃんとした訓練が必要なわけ。支術って、そういう技能だから。逆に言えば、技能が無ければフルトがあっても意味が無い」

「ナッシュは……そうね。改めて考える必要も無いわね。ナッシュが身に付けようとしていた技能は、全然別ね」

「だとすれば、フルトを持っていても気付かないでしょうね。ナッシュさん自身も。その周りの人たちも」


 フルトの持ち主こそが「呪い」にかかるという説明も含めて、ニーサの言葉が全て正しいとするなら、白い鳥がナッシュが呪いを受けた姿である可能性はまだあるということになる。


 それならば――


 嬉しく思うべきなのだろうか。白い鳥がナッシュであるという可能性に。

 だがそれは、ナッシュが「呪い」を受けていることを喜ぶようで、それも違うとカティアは感じていた。


 では、どういう感情になるのが正しいのだろうか?


「ねぇ、カティア」


 悩むカティアに向けて、ニーサは何かのついでのように声を掛けた。今、ニーサはアサリの身をフォークで貝殻から外しているのだから、実際に“ついで”ではあるのかも知れない。


 しかし、その顔から笑みは消え失せていた。そう気付いたカティアも、にわかに緊張する。そして放たれたニーサの問いかけとは――


「ナッシュさんがどうなったのか、尋ねたのよね? ライアン様かメラニー様に」

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