第2話 ニーサの手際(二)
支術であれば、生地が一瞬で燃え上がったことも簡単に説明出来る。
では、ニーサはアエーズなのか?
そういった事を確認しようとした住人たちであったが、ニーサの解呪はここからが本番だった。
生地は確かに一瞬で燃え尽きた。しかし生地に刺繍された糸は燃えること無く、空中に立体式の陣を描いていたのである。
空中の陣によって、白い犬の全身を覆うように。
これが最初からニーサの狙いだったのだろう。そして糸で描かれた陣は、支術を思わせる発光現象を起こしていた。
さらに糸の発する光に呼応するように、犬の全身が発光し、その光に包まれるに従って、犬は旅装姿の若者へと姿を変えた。
「おお! ライアン!」
「間違いないですわ! よくぞご無事で!」
「ライアン様!」
住人たちから一斉に声が上がった。
陣の中央に出現したのは、先ほど生地に映し出された若者であることは間違いない。
若者――ライアンは未だ状況が飲み込めないのだろう。ひざまずいた姿勢のまま、視線をさまよわせて、周囲を確認している。
「はいはい。少し失礼しますよ」
そんなライアンに向けて、ニーサは明るく声を掛けながらその背後へと回り込む。
ニーサの肩にとまっていた紅い鳥は、いつの間にか飛び立って、部屋の片隅に置かれている花瓶へと移動していた。
「な、何を……」
ライアンが戸惑いの声をあげた。久しぶりに人の言葉を発したという感動はそこには無い。それどころか戸惑いの表情のまま、ライアンはいきなり立ち上がった。
背後に立つニーサが何事かをしたのだろう。どういう手際なのかはわからないが、ライアンが自分の意志で立ち上がったわけでは無いことが伝わってくる。
そんなライアンの背中を、ニーサはポンッと押した。たたらを踏んで、宝玉によって描かれた光の陣の外にはじき出されるライアン。
そんな乱暴な方法で押されたライアンが、振り返りながらニーサを睨み付けようとする。だがその時、陣の内側ではさらなる異変が起ころうとしていた。
ライアンの代わりに、陣の中央に位置する事になったニーサ。そのニーサの周りを、刺繍に使われていた糸が踊っている。
いや、それはもう糸では無い。純粋なフルトが、ニーサの周りを取り巻いているように感じられた。
では、そのフルトがどこから現れたのか?
その疑問は次に「もしかするとこのフルトの正体は『呪い』なのではないか?」という疑問を抱かせる事になる。
ライアンも含めて、住人たちはこの尋常では無い光景を前にして思わず息を呑んだ。
ニーサが代わりに呪いを受けることになるのではないか?
それがニーサの解呪方法なのか?
次から次へと現れる疑問。
そしてその疑問に答えるように、ニーサの周りで発光していたフルトが、一気にニーサの内部に吸い込まれていく。
「だ、大丈夫……?」
「まさかそんな!」
悲鳴を上げる住人たち。
しかしニーサは慌てること無く、その場に立ち尽くしたまま。もちろん、その姿が変わってゆく様にも見えない。
ニーサの髪も、瞳も何ら変わること無く、そのままであり続けた。
やがて――
「ふぅ……あ、私は大丈夫ですよ」
周囲からの視線にも動じること無く、やはり作り物めいた笑みを見せながら、ニーサは一本指を立てた。
それは周囲を安心させるため、気丈さをうかがわせる仕草。そんな風にも思えたが、どうやらそれは違うらしい。
ニーサが立てた指先に、一本の羽がいつの間にか出現している。
その羽がどういった意味を持つのか住人たちは誰もわからない。
ただ、恐らくは『呪い』に関係するモノ。
それだけは説明されずとも、自然に理解できる。
「それでは改めて、ライアン様。今しばらくは身体に違和感があるかも知れませんが『呪い』から解放されたことは確実です。それはご理解いただけるかと」
「あ、ああ……た、確かに」
先ほどニーサを睨み付けようとしたことで、ライアンにも気恥ずかしさがあるのだろう。頬を染めながらたどたどしいながらも、ニーサに向けて熱心に言葉を返す。
そんなライアンの様子を見て、ニーサはかわいらしく小首を傾げた。
「それは何よりです。それではこれで私の仕事は無事完了。セルール様も、そうご確認いただけますか?」
「お、おう、そうですな。ライアン、お前は……いや久しぶりの会話というのに、これでは……」
ニーサに「セルール様」と呼ばれたのは、住人たちの中央にいた恰幅の良い男性だ。焦げ茶糸の頭髪に手入れされた口髭と顎髭を蓄えている。目の色も焦げ茶だ。
「父上……本当に僕は元に戻れたのですね。僕は前と同じように見えますか?」
「見える。見えるとも。お主は確かに私の息子、ライアンで間違いない。姿はもちろん久しぶりに聞いた、その声も変わらず私の息子の声だ」
親子がそれぞれ、ライアンが元に戻ったことを確認し合う。
そのやりとりからも、ライアンが『呪い』からは完全に解放されたと見て間違いないだろう。
「ライアン様……」
「メラニー……君にも心配を掛けた。ずっと僕に寄り添っていてくれたね。それはわかっていたよ。改めて君に感謝を伝えなくては」
メラニーと呼ばれたのは、幾度かライアンの名を呼んだ若い女性だ。
しっかり結われた黒い髪と、揺れる赤い瞳。ハッと息を呑むような美貌の持ち主で、ライアンとのやりとりから、恋人かそれに近しい間柄であることがうかがえた。
「おお。そうだな。メラニー嬢には改めて感謝を。しかし、その前に解呪士ニーサ殿に感謝を伝えなくては。本当によくぞやってくれました。ロメロ家の名にかけて、約束の、いやそれ以上の謝礼をお渡ししますぞ」
セルールが気前の良いところを見せた。
単純に、息子が「呪い」から解き放たれた喜びに興奮しているだけかもしれない。
そんなセルールに向けて、ニーサはローブの端を持ち上げながら、優美に頭を下げた。解呪の依頼主はセルールなのだ。
この仕草は手続きにも似ている。
だが、そんな丁寧な仕草で伏せられたニーサの表情――
ニーサの肩に、再び紅い鳥がとまる。そしてそれが合図だったかのように、伏せられたままのニーサの顔から笑顔が消えた。
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