解呪士ニーサの裏表

司弐紘

第1話 ニーサの手際(一)

 名だたる銀行家ロメス家。ここダルシアの街のロメス家は分家とは言え、街の中心部に石造りの巨大な屋敷を建てていた。


 その屋敷の一階。窓はない。人目をはばかるように設計された一室に、この屋敷の住人がほとんど顔を揃えていた。


 そして、中央にいるのは客人ゲストである解呪士。

 「ニーサ」と名乗る女性だった。


 若草色の髪につつじ色アゼリアの瞳。臙脂色のローブ姿のように見えるが、細かく同色で刺繍された精緻なこしらえからはドレスのようにも見える。


 それなのに足下はブーツであるらしく、ニーサが動くたびに、カッ、カッ、と心地良い音が響いた。


 それに合わせて、細い銀鎖でまとめられた髪が跳ねた。ニーサは身体を動かすことに慣れている。そう感じさせるのに十分な機敏さだ。


 顔立ちは僅かながら幼さをうかがわせる部分もあるせいだろう。どうかすると少年にも見える時もある。しかし胸元に飾られた四つの宝玉があしらわれた薔薇のコサージュは、アンバランスに女性であることを感じさせた。


「すいません。お願いしていたランタンをこちらに」


 一杯に笑みを浮かべて、ニーサは屋敷の住人たちへと振り返る。確かに整ってはいるが、どこか作りものめいた笑顔。

 思わず息を呑む一同。


 恰幅の良い男性を中心にして構える、胸甲で身を固めた二人の男性は警護を受け持っているのだろう。ニーサに対してもどこか警戒しているように見えた。


 その周囲、壁際に並んでいる、各種きらびやかなアクセサリーで身を飾る女性たちは、ロメロ家の係累たちなのだろうか。あるいは社交界で親しくしている婦人たちであるのか。


 ただ部屋の隅で手を取り合ってニーサを見つめている二人の女性だけは若い。幼さの残るニーサと変わらない年齢であるのかも知れない。


 もちろん、ニーサが呼びかけた相手は彼らではない。この屋敷の雑事を実質的に運営している執事、あるいは女中たちに向かってである。


 主人たちとの立場の違いが一目でわかるように、身につけている衣服は上等ではあったが、圧倒的に色数は少ない。

 女中に至ってはヘッドドレスを身につけているので、壁際の女性たちとの違いは明らかだ。


 二人の女中が執事らしき年配の男性から目配せされ、手筈通り四つのランタンをニーサの元に運んできた。


「そうです。そことそこ。光は中央に集まる感じでお願いします」


 と、言いながらニーサ自身もランタンの位置を自ら調整する。


 このランタンは一般的な菜種油で明かりを灯す者では無く、支術によって灯された明かりを使っている。


 支術とは“責任者アエーズ”のみが使うことを許された技能。いや、そもそもアエーズが持つ“調整力フルト”が無ければ支術は使えないのであるが。


 支術で灯される明かりは安定している。窓のないこの部屋が明るいのも、支術によって灯される明かりが強く、そして安定しているからだ。


 ニーサはコサージュから宝玉を取り外すと、置かれた四つのランタンの前にそれぞれ置いてゆく。宝玉の色は黄赤青緑。光を受けて、宝玉は床に複雑な紋様を描き出し、それらが重なって大理石の床に円形の陣が完成した。


 そして、その陣の中央に位置するのは白い犬。それほど大きくはなく、中型犬ほどだろう。しかし、垂れ下がった耳の形はどう見ても翼のように見える。


 普通の犬ではない。


 つまりこの犬が「呪い」を受けたなのであろう。

 この犬を呪いから解き放ち、人間に戻す――それがニーサが請け負ったの仕事なのだ。


 ニーサは懐から、やはり黄赤青緑の糸で刺繍され、陣を形作っている白い薄手の生地を取り出した。ハンカチにも見えるが、それよりももっと薄手だ。


 ニーサは両手の指を使って器用に生地を広げると、陣の中央の空白を透かして犬の姿を確認する。


 すると、その生地の中央に金髪で榛色の瞳の若者の姿が映し出された。


「ライアン様……!」


 壁際の女性、もう一人の若い女性と手を取り合っていた女性――黒い髪に紅い瞳の女性から声が上がった。まるで悲鳴のように。


 それに驚いたのだろうか。その声に動じることも無かったニーサの肩に、紅い小鳥が飛び乗った。ニーサが連れてきた小鳥であるのであるじに助けを求めた……様にも思えたが、それにしては紅い小鳥も慌てている様にも見えない。


 ニーサの視線に合わせて、映し出された若者の姿を確認しているようにも見えるからだ。しかも、そのとさかの色は空色。

 普通の小鳥ではない――そう直感的に感じさせてしまう雰囲気があった。


 この小鳥もまた、呪いを受けた人間なのでは? と考えてしまうのは無理からぬところだろう。


 で、あるなら解呪士を名乗るニーサは何故そんな状況を許しているのか?

 もしかして詐欺師ではないのか?


 そういった疑いが、警護のための私兵がこの部屋に手配された理由でもある。


 だが、ニーサはそんな疑いの眼差しをきれいに無視して作業を進め、実際に解呪まであと一歩、というところまで来ている。……ように見えた。


「はい。調整はこれで間違いないようです。完成しました。準備は整いました」


 ニーサはやはり笑顔のままで、明るく告げた。

 同時に、広げていた生地を小さく畳む。


 実のところ、今日までニーサは屋敷に泊まり込んで、ひたすら生地に刺繍を施していたのだ。

 何をしているのか、傍目にはよくわからない作業であることは間違いないところだが、確かに解呪のための準備であったらしい。


 しかし、透かして姿が確認出来るだけでは――


「これより、実際の解呪に移ります。とは言っても、後は簡単――」


 そう言いながら、ニーサは畳んだ生地を空中に浮かべるように大きく広げる。

 丁度、生地が犬の全身に覆い被さるようにだ。


 これが解呪方法か、と住人たちが納得し掛かった瞬間、生地が一瞬で燃え上がる。


 いきなり空中に炎が出現したのだ。

 不思議な現象ではあるが、知らぬ現象では無い。


 ニーサが今使った技能は――支術?

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