不運の試練・六『C☆UL7』

    不運の試練・六『C☆UL7』

 

         

          ◯

 私は友達の少ないタイプの女の子だった。教室の隅で机にじっと座って絵を描いているような、そんな感じの子。

 

 大人しくて、反発しない。主張しない。何も目指さない。それが正しいんだ。流れに身を任せてプカプカ浮かんで生きていく。

 

 小学生高学年の頃、同じクラスのセイちゃんが男子の中で一番モテていた。だから私もセイちゃんが好きになった。みんな好きだから、私も好きなのかな? と思ったんだ。

 

「あの、バレンタインのチョコ。難波くん、良かったら……」

 

「いらん」

 

小学生のセイちゃんはぴしゃりと言い放った。私はぎくりとした。まさか受け取ってもらえないとは。私は一応、聞いてみた。

 

「どうして」

 

そしたらセイちゃんは言った。

 

「織野お前、おれのこと本当は好きじゃないだろ。好きじゃないのにバレンタインチョコなんか作るな。

 チョコが作りたきゃパティシエにでもなれ、それなら俺が食ってやる」

 

「え、パティシエになったら食べてくれるの? 私なんかの作ったやつ」

 

「まあな、本当にパティシエになりたいんならそれも受け取ってやるよ。食べて感想を言ってやるから」

 

 私はセイちゃんにチョコを奪われた。そして、その場で包装紙を破くとセイちゃんはチョコを口に入れた。私がお母さんと作ったチョコだ。

 セイちゃんはもぐもぐやってから言うのだった。

 

「うまいよ、うん。うまい」

 

 セイちゃんのその時の笑顔、私は多分一生忘れない。私の作ったお菓子で誰かを笑顔にしたんだ。何もやりたい事もやる気も湧かなかった。なのに、その瞬間に心に光が灯った気がしたんだよ。

 私はセイちゃんが大好きになった。

 

 ────。


 その後の学生時代、セイちゃんはまさに超人だった。あらゆる事に挑戦しては極めていって、私なんか多分気にされてなかったと思う。だってその後も毎年チョコをあげたのに、いつもその場で食べて「うまい」としか言わないんだもん。

 

 高校はセイちゃんと離れてしまった。けれど、私は製菓系の専門学校に通い密かにパティシエを目指していた。

 

 私は別にセイちゃんの恋人になりたいとかは思ってなかった。憧れてただけで、彼にとって特別になろうとは思ってない。

 

 でも、それは自分に対する嘘だった。成人式後の同窓会で何年かぶりにセイちゃんに再会した時。私はもうどうしようもないくらい我慢できなくなって、その帰りに告白した。

 


「ずっと、好きだったの。難波くん。あのバレンタインの時……。チョコ、ほら…多分覚えてないと思うけど──」


「俺が味見したやつだろ」

 

「え?」

 

「パティシエになりたいって言うから俺は味見したんだ。美味かった。覚えてるよ、中学でも俺にチョコくれて俺は味見した。三年間」

 

 違うよ、あれは本命のチョコで──……。いやもう良いか。私は笑ってしまった。


「ううん、そうそう。味見してくれたよね。今度はさ、ちゃんと好きの気持ちとしてチョコをあげたいの。難波くん、好きです。私とお付き合いしてください」

 

 ──私はセイちゃんとお付き合いする事になった。

 

 

         ◯

 気がつくと、青三はソファに座らされていた。見渡せば同じようにソファに座ったり、床に座っている者もいた。窓口があり、ATMがあり、ここは銀行のようだ。

 

「青三さん、青三さん」

 

魔城が小声で話しかけてきた。

 

「これはいきなり『不運』だな」

 

 青三も答える。

 銀行内は張り詰めた緊張感に包まれていた。黒づくめで覆面の男たちが、座るお客たちを見張り、うろうろ歩いている。窓口では職員と覆面の男が何やら交渉しているようだ。

 

 これは「銀行強盗」らしい。

 なるほど、たしかにこれは不運だ。偶然銀行強盗に出くわして命の危険にさらされる。これほどの「不運」もあまりないだろう。

 

「青三さん、ほら、早く解決してくださいよ。本当は『元特殊部隊の傭兵』とかなんでしょ? さ、早く強盗をやっつけてください」

 

「馬鹿か。現実がそんな都合よくいくか」

 

 青三がとても冷たく言い放ったので魔城は目を見開き、口をぱくぱくさせて何か文句を言っていた。

 

 ──どうしようか考えていると、青三も目を見開いた。視線は釘付けになる。そこだけを見ていた。


 なんと、あんなに会いたかった恋人の未来がいたのだ。しかも、銀行の中心で拳銃を突き付けられて堂々と「人質代表」になっている。

 青三の見せたことのない動揺っぷりに流石の魔城も心配になった。

 

「どうしたんですか?」

 

「魔城、俺が死んでからどれくらい経った?」

 

「そうですね、大体五、六年ってとこでしょうか」

 

「どうりで……大人っぽくなりやがって」

 

 未来は化粧もその服装も雰囲気も全て以前よりも大人の女性らしく洗練されていた。青三は嬉しくなった。ああ、立派にやっているんだなあと親心すら感じた。

 

 ──だとしたら彼女の幸せを脅かすこの「不運」だけは何としても防がねばならない。


「不運の試練」は誰かの死を伴う不運を回避するものだ。つまり、ここで失敗したら誰かが死ぬ。それも状況的に未来の可能性が極めて高い。

 

「青三さん、どうするんですか?」

 

 青三はヒントを探した。毎回服装が変わるのはヒントだ。

 だが、今回の服はチェックシャツの下に普通のデニムだ。大きなロイド型眼鏡をかけていてまるで休日のサラリーマンだ。魔城の方も何の変哲もないセーター姿で完全な休日スタイルに見える。

 何かヒントは…「一般人」にこの状況は打開出来ないぞ。

 

 その時、青三はふと、シャツのボタンを外してみた。そしてなるほどと思った。今回は

 ────。




 武装した警官たちが銀行を取り囲んで待機していた。だが、人質は全部で四十四名。内一人の若い女性は犯人と思わしき覆面の男の一人に掴まれ、これ見よがしに「人質がいるアピール」をされていた。

 

「交渉はどうなってる」

 

 現場指揮をとる警官が聞くと、部下が申し訳なさそうに答えた。

 

「逃走用の飛行機を用意しろ、と。あと二時間で用意出来なければ人質を一人ずつ殺すと言っています」

 

「無茶な事を言いやがる。

 飛行機だって? 国外逃亡でもするつもりか。全く、銀行強盗って奴らは何で逃走も計画に入れねえんだ」

 

 交渉は上手くいかず、強盗団と警察たちはお互いに手を出さず緊張状態になっていた。

 

 ──。


 ああ、何て「不運」なんだろう。やっと夢を叶えて自分のお店を開けるところまで来たのに。ここまでなのか。

 

「でも、死んじゃったらセイちゃんに会えるよね」

 

未来はもはや半分諦めて遠い目をしていた。ずっと立たされているので足も痺れてきた。

 セイちゃんだったらどうするかな、未来はそんな事を考えていた。

 

 人質全四十四名、内一人は恋人。犯人の強盗団は全部で五人。一人は拳銃を持っていて後は包丁やらナイフやらを待って武装している。

 人質全員を無傷で生還させ、かつ自分も生き残り、強盗団を制圧する。そんな事は現実にはほぼ不可能だ。

 ──だが、この難波青三という男に限っては不可能ではなかった。





 その時、未来の視界に風に揺れるマントが見えた。

 次の瞬間には、自分を掴んでいた強盗は「ぐえ」と悲鳴をあげて倒された。何が起こったのか分からない未来は勢いで一緒に倒されそうになる。

 だが、未来の身体は優しく抱きとめられた。

 見上げるとそこには、サングラスで目元を隠し、口元にはマスク。頭にはバンダナを巻いたマントの男がいた。服はスーパーマンの様な水色の全身タイツだった。

 この腕の感触、優しくて強い雰囲気。安心する。未来は呟いた。

 

「セイちゃん?」

 

「……怪我はないか」

 

 

 突然現れ、仲間を一人倒し、あっという間に人質を奪ったこの男は何者なのか。包丁を持った強盗の一人が叫んだ。

 

「誰だ、お前は」

 

すると、男は人質の女をその腕に抱いたまま向き直った。

 

「俺は──そうだな、俺は…キャプテンだ」


「キャプテン?」

 

「ああ、キャプテン・アンラッキー7だ」

 

 ──。


 何が「キャプテン・アンラッキー7」よ。魔城はひやひやしながらソファの影に隠れて様子を伺っていた。青三が突然着ているシャツを素早く脱ぎ出したから何事かと思えば、中に「ヒーロースーツ」っぽいのを着ていたなんて!

 

「…」

 

魔城も自分の服をめくってみたが、下着があるだけだった。何だかとても虚しくなった。

 

 

「ここでしゃがんでいればいい。すぐに終わる」

 

 青三、いやキャプテンは、未来を優しくその場に座らせると再び強盗団に向き直った。

 ピストルを持つ強盗は未来を捕らえていた奴だったのでそいつは今倒した。ピストルは……地面に転がったピストルを拾うと、キャプテンは外に向かって放り投げた。窓ガラスが激しい音を立てて破れる。

 ──それが戦いのゴングだったかの様に、刃物を構えた強盗団は一斉にキャプテンに襲いかかった。



 一人目の振り下ろした包丁を上体を逸らすだけで躱し、無防備な顔面に拳を一瞬で三発打ち込んだ。その間に後ろから迫っていた二人目はすでに気配で察知している。

 キャプテンは振り向き様、裏拳で二人目にも打撃を食らわせた。そして腕を引っ張って引き寄せると、その勢いを利用してまた拳で何発も追撃した。二人倒した。これで、残り二人。

 

「なんであんな強いの、青三さん」

 

魔城は青三、いやキャプテン・アンラッキー7の大立ち回りを見て呆然とした。というよりこの場の誰もがそうだっただろう。

 

 実は、青三は幼い頃、暮らしていた孤児院に慰問に来ていた武闘家から格闘技を習い、「ジークンドー」の達人になっていた。師範の資格も持っていて、生前は「ブルース・リーの再来」や生まれ変わりとまことしやかに囁かれていた。

 こんな刃物を持っただけの素人などまるで問題にならかった。

 

 水の様に型にはまらないその動きはもはや、強盗団にはまるで捉えられず静かに流れたかと思えば、激しく撃ち、あっという間に制圧してしまった。

 


 ────。


 しん、と鎮まりかえった銀行内。強盗団は全滅して床に倒れ伏している。だが、未来の動悸は希望と不安とで激しくなっていた。

 あれはセイちゃんだ。でも何で生きてるの? もう何年も前に死んだはずなのに。

 

 そう思っている間にも、キャプテンは再び未来の元へ。そしてしゃがみ込む未来に視線を合わせて自らもしゃがむと、その両手で優しく肩を抱いた。

 

「君ならきっと大丈夫。夢を叶えろ、前に進め。味見ならいつでもしてやる。お供えしてくれ」

 

「え、やっぱり──」

 

 未来には伝えたい事がたくさんあった。もし、本当に青三なら、感謝もお別れも、また会えた喜びも全部伝えたかった。

 ──しかし、次の瞬きの瞬間にはキャプテン・アンラッキー7は跡形もなく消え去っていた。今の今まで、自分の肩を抱いていたのに。その温もりも感触もまだ残っている。

 だが、まるで最初から全て夢だったかの様にいなくなった。

 

 未来は笑ってしまった。これが彼らしいのかも。心配してピンチに化けて出るなんて。


「セイちゃん……ありがとう」

 

 

 

 

          ◯

 閻魔大王は酒を飲み、職場でくつろいでいた。今日は死者がまだ地獄に来ていないので暇だ。まったく喜ばしい事である。

 そういえば、今『死亡遊戯アンラッキー7』に挑戦中のナントカっていう男がいたはずだ。

 

「一つ目で失敗か、良くて二つ目かのう。やれやれ余興にもならん」

 

 すると、部下が駆け寄ってきた。報告に来た様だ。

 

「ご報告します。現在『死亡遊戯』に参加中の難波青三という男ですが──」


「おう、何個目で死んだのだ? 早く地獄に寄越さぬか」

 

「いえ、全て突破しています」

 

 部下の報告に閻魔大王は酒を吐き出した。馬鹿な、あれを最後に突破したのは人類史だと「イエス・キリスト」だぞ。

 まさか、救世主が現れたとでもいうのか。人間界に変革をもたらす男が。

 

「なんだと、今いくつ目だ」

 

「六個目の試練を突破したところです。次は最後の試練になります。今、試練内容を審議中との事でして。一応、閻魔様にご報告まで」

 

 面白くなってきたではないか。閻魔大王は大笑いした。部下は突然の笑い声に怯えたようにびくっと震えた。

 

「なるほど、ではどうするか。最後の試練はわしも出るか…?」

 

 最高の退屈しのぎになろう。

 だが、そんな閻魔大王の希望は通らなかった。突然、地面から地響きの様に声がした。

 

「それには及ばぬ。セイゾウは妾が試そうぞ」

 

閻魔大王は声を聞いてため息をついた。

 

「イザナミか。横槍はよせ、これはわしの遊戯だ」

 

 すると、その声は調子を崩さずに答えた。

 

「そう言うな、閻魔大王よ。妾に考えがある。『武』に秀で、強い肉体によって試練を突破したならば、『精神』はどうかの? 天国に相応しい気高い精神ならば良し、違うならば地獄に堕とす。妾に任せてもらおう」

 

 イザナミは静かで不気味な笑い声を響かせた。

 彼女が出てくるなら次の試練は突破できないだろう。彼女は人間の弱さを突く試練をするはずだ。閻魔大王も関わりたくない女だ。大王は折れた。

 

「分かった、分かった。そう興奮するな。お前に次の試練を任せようぞ」

 

 閻魔大王がそう言うと、イザナミの笑い声だけ響いて、そして消え去った。


さて、最後まで見届けてやるか。閻魔大王は椅子から立ち上がった。




───不運の試練・七に続く

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