第一章 見習いは化け物に頭を食われる⑦

 逃げるが勝ちという言葉があるらしいが、それはどこの世界の話なのだろう。

 少なくとも一度〈女王の靴レギーナ・スカルペ〉に踏み込んだが最後、逃げたら負けだ。


「このまま逃げ切るっていうのはダメなんですか?」

「場所が森とかで完全に撒くことができれば話は別だけど、このだだっ広い砂漠で撒くことなんて実質不可能。あいつらほんっとしつこいっすからね。モンスターを連れて街に入ろうとする者は容赦なくモンスターごと射殺されるし……て、入職試験にも出ないくらいの常識じゃないっすかねぇ」


 前にも背中にも荷物を抱えて隣を走るかわいい見習い。そんな彼の一見素朴な質問を、アキラは一蹴した。


 ――足腰は立派だけど、やっぱり馬鹿?


 そう判断しかけていると、ゼータが追撃をかけてくる。


「面接の時に聞いてたんだが……こいつは自称機械人形オートマトンだから、人間の常識に疎いようだ」

「はぁ⁉ 機械人形オートマトン⁉」


 アキラは声を荒げてから、スンと眉根を寄せる。


「……なんでそんな痛いコを面接で通してるんすか」

「まさか本当だと思わんだろうが」


 機械人形オートマトンとは、今じゃ寓話の中の産物である。

 この世界、ノクタは女神が創った箱庭だといわれている。

 しかし、かつて箱庭の中で飼われているに過ぎない人間は女神の許可なく、自らの手で『命』を作ろうとした。その作ろうとした生命体が機械人形オートマトン


 女神はそれを見逃さず、罰として世界ノクタに呪いをもたらした。

 その呪いとして生まれたのがモンスター。別称〈世界の呪いノクタージュ〉。人間は今、その時の過ちを償うため、モンスターの驚異に怯えて生活をしなくてはならない。償いが終わった時〈世界の呪いノクタージュ〉から解放されるという赦しを信じて。


 ――なんて、あの胡散臭い教会集団は言っているらしいっすけど。


 この世に神様なんていないと思っているアキラは、そんな寓話を信じない。

 それでも実際に前世紀、減りつつある労働人口を補填するため機械人形オートマトンが作られていた歴史もあるらしい。しかし開発途中、無駄に歴史の長い教会からの弾圧で中断してしまった、と。これらは入職試験の際に勉強したこと。


 しかしそんな雑学を、モンスターに追われている最中に使いたくなかった。

 全速力で走りながら頭を抱えるという器用な技をこなすアキラに、やっぱり隣に走るゼータも器用に肩をすくめてみせる。


「ちなみにこいつ、筆記試験は満点だ」

「……テストはできるってタイプ?」


 反対側のフェイに尋ねれば、彼は「はい!」と元気よく応えた。


「過去問は全部記憶インプットしたんで!」

「いるっすよね~。気合と根性で暗記して、理論と常識を無視してくるやつ」

「お前も人のこと言えんだろ」

「おお~、崖」


 ちょうどその時、三人は揃って足を止める。

 目の前には、断崖絶壁の砂の滝。ギリギリまで近づき見下ろしてみれば、高さはざっと五十メートルほどだろう。ザァーッと砂が落ちる音は、後ろから迫るワームの音すらかき消してしまうほど。


 ――さて、ここらが潮時っすかね~。


 ここから飛び降りてもワンチャン生き延びることができる。

 だけど、それはモンスターに追われていないことが前提だ。


 ――こんな仕事を始めた以上、いつでも死ぬ覚悟はできてるっすよ……。


 そう口角を上げたアキラだが……考えることは上司も同じだったらしい。


「お前らは荷物を抱えて滝に飛び込め。俺がここで引き止める」

「やだな~、そういうのは下っ端がするもんっしょ」


 右手にライフル。左手にマシンガン。そんな無茶な格好をしようとするゼータの肩を思いっきり掴むも――ゼータはやっぱり眉尻ひとつ動かさない。


「ここは上司に格好つかせろ。……“家族”が泣くぞ?」

「副長が死んだら局員全員……いんや、全世界が泣きますね。年増はさっさと下がってください」

「年……⁉ そ、そんなこと言うなら、活躍の場こそ年長者に譲るべき――」


 ――あら、年齢気にしてたんすか?


 なんて、敵前で揉めつつ笑うところではないのだが。


 ――これじゃあますます死なせられないな~、面倒だけど。


 なんて、アキラが無理やりゼータを滝に突き落とそうとした時だった。

 一番の下っ端がアキラに箱を押し付けてくる。


「荷物、持っててもらっていいですか――おれ、囮になってくるんで」

『は?』


 二人は同時に疑問符をあげた。

 いや、そりゃあ死ぬのも覚悟しろなんて言ったアキラである。でも本当に任務初日の素人を見殺しにするつもりなんてさらさらない。


『面倒みろ』と言われた時点で、その覚悟はできていた。

 自分に何かあっても、この副長なら自分の“家族”をそのまま路頭に迷わせないだろう。そんな確信があるから。だから安心して、アキラは自分は命を賭けられるのだ。


 なんて本音を吐露する暇もなく、フェイは背中のリュックを下ろした。その顔は笑ってもなく――心底それが当然だと、真顔で理由を述べる。


「だって、おれが狙われているんですから。おれが走り回ってくるんで、その間に二人が仕留めてください。それが一番、仕事の成功率が高いはずです」

「だけど、見習いくんを死なせるわけには――」

「足には自信があるんですよ。それにおれ、死なない・・・・んで!」


 アキラの引き止めようとする手を、すり抜けて。

 赤毛の少年が、ひとりでデスワームに突っ込んでいく。何回かは攻撃を避けて見せるものの……モンスターにも知恵がある。地面に潜らせていた尻尾でフェイの着地地点を払っては、彼が体勢を崩した直後。



 二人の目の前で、フェイの頭部が食べられた。



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