第2話 鬼が出るか、蛇が出るか

 

 階段を降った先は石畳の通路が真っすぐ続いており、壁は煉瓦になっている。西洋風のドアが左右両側に一定間隔で並び、ブラケットランプが扉の位置を教えるように明かりを灯している。


 左側の六番目の扉のドアノブに埋め込まれている羅針盤が、左右に激しく針を振っている。他の扉の羅針盤の針はピタリと止まったまま、微動だにしていない。


 ここまで辿り着いた青年が扉をノックすると、返事の代わりに扉が勝手にゆっくりと開き始めた。


 「……失礼します」

 

 小さく会釈をした青年が、扉の意思に従って足を踏み入れると、洋館のような廊下が現れる。存在感を放つシャンデリアに、赤い絨毯張りの廊下。その先にもう一つ、ステンドグラスがはめ込んである丸い窓の付いた扉がある。青年が扉をノックすると、


 「どうぞ」


 今度は勝手に扉が開かれず、凛とした女性の声で、返事が返ってきた。


 「失礼します」


 扉を自ら開き、先ほどよりも深く会釈をした青年が顔を上げると、ボブヘアーの少女と目が合う。ピンク色のオーバーサイズパーカーと、烏の濡れ羽のような黒髪が白い肌によく映える。


 天井が高く、地下深くにあるとは思えないほど開放感のある部屋。その中で、際立って目を引く大きな長方形のテーブルの真ん中に、向かい合うようにソファーチェアが二脚だけ置かれていた。テーブルを覆う赤いテーブルクロスには、ルーン文字がびっしりと描かれている。少女は青年から見て奥側にある椅子に腰かけており、その背後の木壁には閉じられた扉がある。


 「おにーさんは、そこの椅子ね!」

 

 立ったまま女性や部屋の情報を目で拾っていた青年は、突如聞こえた少しハスキーな声に驚き、弾かれたように顔を左へ振る。その先には青い色の瞳で、金髪のツインテールを揺らす女性が居た。ゴシック調のブラックレースのブラウスとボルドーのロングスカートは、この部屋によく馴染んでいる。長方形のテーブルの左側に置かれたライティングデスクに座り、にこやかに青年と黒髪の少女を見ていた。

 髪の色も洋服の系統もまるで違う黒髪の少女と金髪の女性は、アンバランスさを醸し出す。


 青年は長方形のテーブルに向かい、足を進める。濃紫色の瞳が近づくにつれ、青年の緊張感が増す。


 「あの……よろしくお願いします」


 そう言いながらソファーチェアに腰かけた青年は、肩から掛けていたショルダーバッグを膝に乗せ、軽く抱きかかえる。


 「緊張されてます?」


 「いえっ、あの、お二人とも随分とお若い方だったので、意外だったというか……」


 「ふふっ。それは、よく言われます」


 「そ、そうなんですか」


 神経が張り詰め通しだった青年は、あどけない少女の笑顔を見て、ほっと肩の力を抜いた。




 










 「一応、確認をさせていただきますが、お名前は『パイモン』さんでお間違いないですか?」


 「あっ! それは、ハンドルネームで……」


 「お名前は使わないので、差し支えなければハンドルネームのままで構いませんよ?」


 「……じゃあ、それで」


 「分かりました。では、私も簡単に自己紹介をさせていただきますね。私は百鬼なきりと申します。ご存知かと思いますが、ここの左右に六個ある扉には、それぞれに番人がいます。私は、六の番人の一人です」


 黒髪の少女、百鬼夕映なきりゆえは、苗字のみを名乗る。


 「そして、こちらにいるのが……」


 夕映ゆえが視線を送れば、


 「私は、助手のルナでーす! 基本的にここに座ってるだけなので、私のことはお気になさらず!」


 金髪の女性は、明るく自分の名前を名乗った。ルナは両肘を付き、手のひらに顎を乗せ、場違いな能天気さを含んだ笑みを浮かべている。


 「では、始めて行きましょうか」


 夕映ゆえの口から放たれた始まりを告げる言葉に、


 「はいっ!!」


 声量を上げて勢いよく反応し、鋭さを増す、青年もといパイモンの瞳。


 「随分と、大きな声が出るんですね」


 「すみません! 元々、声は大きいほうなんで気をつけてたんですけど、やっと大事な人を救えると思ったら嬉しくって、つい!」


 今度は瞳をランランと輝かせるパイモン。そんなコロコロ変わり始めたパイモンの表情を、夕映ゆえは冷静に見つめていた。パイモンは、ジッと見られていることを気にも留めていない。


 「大丈夫ですよ。ご自分の感情を乗せた声量で話してください。そのほうが分かりやすいですから」


 夕映ゆえが感情を出し始めたパイモンに理解を示すと、パイモンは勢いよく頭を下げた。


 「ありがとうございます!」


 「いえ。ではまず、送っていただいたメールの内容は、こちらでも確認しておりますが、もう少し詳しく教えてください」


 「はいっ!! えっと、メールにも書いたと思うんですが、僕は母を助けたいんです!」


 パイモンは、自分のバッグを強く握った。


 「そうですね。あなたのお祖母様、お母様にとっては義母の嫁いびりが、度を越えている、という内容でしたね?」

 

 「そうなんです! 僕も姉弟たちも、そのことを聞かされるまで、全然知らなくて……母は長い間ずっと、一人で我慢していたんですっ!」


 「それは、大変でしたね。あなたもお辛いと思いますが、お話していただけますか? 大体で結構ですので」


 「もちろんですっ!!」


 怒りを露わにしていたかと思えば、急にイキイキとした表情になるパイモン。夕映ゆえの視界に入ったルナの表情は、薄っすら引きつっている。






 「えっと、母は父とは再婚で、父と結婚するときに連れ子が二人居たんです! だから父の両親からは、かなり反対されていたみたいで……何とか結婚は許してもらえたけど、それからずっと嫁いびりが続いているらしくって、母は今も耐えているんです!」


 「あの……少しいいですか? 失礼とは存じますが、あなたのお父様は、今のお父様ですか?」


 「はい! 姉二人が、母の連れ子なんです!」


 「お父様のご両親が反対していたと仰っていましたが、お祖父様は関わってないんですか?」


 「祖父は、母から祖母の嫁いびりの話を聞かされる前に亡くなっていて、詳しくは分からないんです! 母からはあまり話したことがないと聞いていますので、仲良くはなかったみたいですけど!」


 夕映ゆえは「ああ、」という小さな一言を、口元に当てた手で包み隠す。


 「そうでしたか。急に不躾な質問をして、すみませんでした。どうぞ、続けてください」


 眉を下げ、口元に笑みを浮かべた夕映ゆえは、自身の前に置かれていたお皿を手前に引いた。お皿には色とりどりのマシュマロが乗せられている。


 「結婚の条件が、父の両親との同居だったみたいで――――――」


 パイモンが話を再開させると、夕映ゆえはマシュマロに埋もれるように添えられた金色の串で、マシュマロを刺して口へ運ぶ。


 「掃除、洗濯、食事の準備など、すべての家事を押し付けられて、祖母は何もしないくせに文句ばかり言っていたみたいです! さらに祖母は、自分が他所で良い顔するための手伝いまで、母にさせていたんです! それなのに、出来の悪い嫁と言われ、いくら頑張っても認めてもらえなくて、毎日一人で泣いていたそうです! 毎日監視されているような生活で、自由なんてなかったって!」


 パイモンの表情が怒りに染まっていく様を見ながら、夕映ゆえはまた金色の串でマシュマロを刺す。


 「僕を妊娠しているときも同じようにこき使われて、僕が生まれてからもそれは変わらなかったみたいで、母は父と結婚する前は、子供を育てるためにスナックで働いていたんですけど……僕の顔が全然、父に似ていないと言い出して、父親が違うんじゃないかとまで言われたそうです!」


 次第に早口になり、気が急いたような話し方になってきたパイモンの声に混じり、風を切るような音が聞こえる。パイモンは、その音にまったく気がついていない様子だが、夕映ゆえには音の正体が分かっており、目だけを動かし、音の出どころを確認する。

 その視線の先では、ルナがデスクに積まれたカードの山を一山ずつ手に取り、シャッフルしていた。一つの山を手に取ってカードをシャッフルを始めると、すぐに一枚カードが勢いよく山から飛び出す。ルナはそのカードを確認し、違うカードの山をシャッフルするが、また同じようにすぐにカードが飛び出す。

 ルナは、飛び出したカードたちを集め、その表面の絵柄を怪訝な顔で眺めている。


 「祖母は顔が広くて、知り合いがたくさんいて、母の悪口を言いふらしていたんです! 思えば小さい頃、祖母と一緒に買い物に行った時も、毎回のように知らない人と話し込んでいました! 僕は気が付けなかったけど、そのときにも母の悪口を言っていたんだと思うと、本当に軽蔑するし、許せないです! そのせいで母は、買い物に行った先でも学校でも、どこに行ってもヒソヒソと陰口を言われたり、嫌味を言われたりして、肩身の狭い思いをしたそうです!」


 パイモンは怒りを露わにした表情のまま、瞳を潤ませる。


 「それと、母とその連れ子の姉たちだけ、食べ物やお金でも差別もされていたみたいで……お菓子やお土産も母たちの分だけなかったり、何かの出前などを頼むときも一番安いメニューにされていたり、姉たちのお年玉も僕らより少なかったって言ってて!! そんな、あからさまな嫌がらせに気づけなかった自分にも、腹が立って仕方ないです!!」


 声を荒げ、零れ落ちた涙をぬぐうパイモンを真顔で見つめていた夕映ゆえは、


 「大丈夫ですか? ここまでのお話で、状況は把握できましたが……」


 そう言いながら、顔に笑みを張り付ける。しかし、


 「大丈夫です!」


 パイモンには、まだ話したいことがあるようで、乱雑に涙をぬぐった。


 「母は父にも相談していたそうですけど、祖母は父の前でも嫁いびりを隠しているので、あまり強くは言ってくれなかったみたいで……父の妹である叔母も祖母の肩を持っているそうで、母の味方は誰もいなかったんです。でも今は、僕たち姉弟が事情を知って、母を守るためにみんなで協力して、それでつい先日、やっと祖母を追い出すことが出来たんです!」


 「よかったですね。同じ家に住んでいなければ、お母様の心労も多少は軽減されるでしょうし。とは言え、それでも今までされたことは、なかったことになりませんもんね?」


 「はいっ! それに、未だに母が家に一人のときを見計らって押しかけて、嫌がらせをしに来るそうなんです! 叔母の家でお世話になっているらしいので、叔母に相談してみたんですけど、祖母は行っていないとウソをつかれました! 父と叔母が騙されている限り、母はいつまでも安心して暮らせない! 母には味方がいなかったのに、祖母には味方がいるのも許せないです! だから何かもっといい方法はないかと、いろいろ調べていたとき、ここの存在を知って藁にも縋る思いで依頼したんですっ!!」


 「そうですか」


 「僕らは離婚も進めましたけど、母は父のことを愛しているから添い遂げたいという思いが強いんです! そんな母を思うと、あの場所から無理に引き離すことも出来なくって!」


 やり場のない感情を言葉にぶつけたパイモンは、バッグを開き、


 「これ、僕のパスケースと、祖母が写っている写真です! 今よりちょっと若い頃の写真なんですけど!」


 パスケースと写真をテーブルに叩きつけるように置く。夕映ゆえは、それらを手に取ることなく、一瞥した後、


 「パイモンさん。ここの扉が開いている期間中に、もう一度、こちらへお越しいただくことは出来ますか?」


 パイモンに、そう尋ねた。すると、気勢をそがれたように、パイモンの表情から色が抜け落ちる。


 「えっ、あ……はいっ!」


 「でしたら、お母様の私物もご用意していただけますか? お話を聞かせていただく限り、あなたとお祖母様ではなく、元々はお母様とお祖母様の問題ですので、そちらのほうが確実かと」


 「あっ! そうか! 言われてみれば、そうですよね! 分かりましたっ! 明日、母の私物を持って来ます!」 


 夕映ゆえの要求をあっさりと承諾したパイモンは、素早く立ち上がり、一礼したあと、落ち着かない様子で部屋を後にした。パイモンがバッグから取り出したパスケースと写真は、テーブルに残されたままだ。












 「まぁ、よくある嫁姑問題ってやつか。なんかちょっと情緒不安定な感じの人だったけど、それだけ母親思いなんだろうねぇ」


 扉が閉まるのと同時に、ルナが口を開く。


 「ここに来る人たちなんて、大体みんな、どこか不安定よ」


 「あー、それもそうか。っていうか、夕映ゆえちゃんならさぁ、この二つでも出来たんじゃないの? わざわざ二回に分けなくても」


 ルナは、パイモンがテーブルに残していったパスケースと写真を指差した。


 「そうね。出来ないことはないけど……」


 スッと立ち上がった夕映ゆえは、テーブルの反対側へ回り込み、先ほどパイモンが残していったものを手に取る。


 「人の人生に関わってくることだから、確実にやらないと、後々めんどうなことになりかねないでしょ?」


 「まぁ、取返しつかないからねぇ」



 夕映ゆえは、パスケースと写真を持って元の場所へ戻り、パスケースだけテーブルに置き、手に持った写真に視線を落とす。


 「ほんと、救いようがないわ」

 

 夕映ゆえの手から離れ、ひらひらと揺らめきながらテーブルに着地した写真。無機質な表情でその様子を眺めていた夕映ゆえは、お皿に残された最後のマシュマロを刺した。

 


 


 


 


 


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