シグナルグリーン!
そして、数時間後。千晶を始めとした決勝参加者は全て、熱の籠るサーキット場のスターティンググリッドについていた。
「くそ……。あちぃなぁ……」
季節は9月といえどもまだまだ熱気は夏と同等だ。それがコース上ともなれば猶更だろう。
スタート前だと言うのに既に汗だくなレーシングスーツの中に不快感を覚え、
因みにグリッド順は「
「
本田千晶を始めとして上位陣に現役の高校生が名を連ねるのは大健闘と言えるだろう。1周2,070mを29周で争われるこのコースはテクニカルかつ比較的短く、マシン性能や体力、集中力の差が大きく出にくいと言う事もあるのかも知れない。
『それでは、今回の出場選手のコメントを聞いてみましょう!』
メインスタンド前大型モニターでは、スタート前の10分間を利用して選手のインタビューが流れ出していた。
『……昨日のタイムは、あくまでもタイムトライアルでのものだ。レースでは、また一味違う展開が考えられる。誰がどんな作戦で来るかも分からないのだから、気を抜く事なくレースに臨むのみ。そして、私が勝つ』
画面上に現れたのは昨日コースレコードでポールポジションを獲得したHRTのエース、勲矢那美だった。画面の中の彼女はヘルメットを被っておらず、紫がかった美しく長い髪を靡かせて、凛々しい顔立ちに燃え滾る様な赤紫色の瞳をカメラへ向けていた。
気性を思わせる面持ちに反し、白を基調としたライダースーツは彼女の艶めかしいボディラインを浮き彫りとしている。手足がモデルのように長い彼女からは、とてもゼッケン1を付けるライダーには思えないかも知れない。
だが、ストイックと言うには余りにも
そして今回のコメントが誰に向けられたものであるのかは、はっきりと明言されていなくとも万人が知る処であった。
『多くの実力者が揃っておりますので、気を引き締めてレースに臨みます』
続いて紹介されたのは2番グリッド、本田千晶であった。彼女は気負った様子を見せずに、普段通りの雰囲気で質問に答えていた。
陽光の加減で蒼にも見える真っ直ぐに伸ばされた黒髪も美しく、画面に映り込む吸い込まれそうな蒼い瞳が見ている者を虜にせんとするほどに美麗としか言いようがない。
そしてその途端に、会場中から歓声とも嘆息ともつかない声が沸き起こる。千晶の整った、それでいて優美な風情にスタンド中が息を呑んだのだ。
千晶の纏うスーツは淡い赤を基調としているのだが、彼女の麗しい美髪を非常に際立たせている。目を釘付けにして離さない存在は、初めて見る者にしてみればとても彼女を高校生とは思わせないだろう。
学園でのアイドルは、レース界でもスターの素質が十分ある一幕だった。
『……マシンのセッティングが出ました。……万全ではありませんが、十分にトップを狙えると思います』
その次に映し出されたのはSRCのトップライダーであり3番グリッドを獲得した岸本美紗だった。
深緑に映る短く切り揃えられた髪は彼女をボーイッシュに見せる。熱を感じさせない冷めた眼差しには黄色く輝いているようにも見える瞳が湛えられ、その表情も相まって冷静沈着で理知的にも伺えた。
やや濃い目の鮮やかな緑を基としたレーシングスーツを着こなす姿は少年を思わせ、那美や千晶と比べれば華奢に見えなくもない。
しかしスポーティーな風貌に知性を感じられる風情が相まって、どこか神秘的でありそれだけに不気味な雰囲気さえ醸し出していた。
実際、彼女は今期より日本GPに参戦しているのだが、それまでの経歴は殆ど知られておらず、しかし第6戦までのランキングは4位と実力は折り紙付きなのだ。それが、今年のスズキマシンの躍進に一役買っているのは事実だった。
そしてだからこそ、彼女は今年一番の注目株であり人気も急上昇中なのである。
その後も次々と参加ライダーたちが画面に移り込みコメントを発し、その度にスタンドからは歓声や声援が起こっていた。そして時間は進み。
『さぁ、間もなくシグナルが点灯しレースが始まります!』
「……いよいよ始まるわね」
美里が呟いた通り、時刻は13時になろうとしていた。大きな問題が無ければ、00分丁度にレースがスタートするはずである。
千迅達はスタンドの観戦席に着き、コース内に流れているFM放送をラジオで受信してその実況を聞いていた。目の前でレースが展開されるのだが、ここから確りと見えるのは最終コーナーからホームストレート、第一コーナーくらいまでだ。
コンパクトに纏められたイメージのあるこのコースでは、全体を見渡す事が不可能ではない。しかし詳細を知るとなると流石に難しいだろう。
そして各所に設置されたカメラがその様子をスタンド前メインモニターに流してはいるが、それもコース全域を事細かに映し出している訳ではない。
だから各サーキットでは、狭域ながらFM放送を使って実況放送を行っていた。
「……なによ、千迅? 随分と楽しそうだけど?」
例え観戦者だとしても、レース直前と言うのは緊張もするし興奮もする。それが同校の先輩が出場するレースともなれば猶更だろうか。
そんな翔紅学園第一自動二輪部一同が固唾を飲んで見守る中で、先ほどから隣で何やらワクワクとした気分を隠そうともしない千迅へ向けて、紅音は怪訝そうに問い掛けた。
「えっ!? ……んっふふふ。それはぁ……秘密だよ」
「……何よ、それ」
そして返ってきたのは、どうにもイラっとさせる千迅のニンマリとした笑みに答えだった。それを聞いた紅音は嘆息気味に呟くと、それ以上千迅への興味を無くしたのかコースへと視線を戻したのだった。
千迅と紅音は、特に険悪な関係で仲が悪い訳では無い。さりとて、特段に仲良しと言う訳でもなかった。
今もこうして隣り合い座ってはいるが、実際は紅音が座った場所へ千迅が付いて来て同席していただけである。もっとも、高等部へと進学してからは随分と親密に……仲良くなっていると言えなくも無いのだが。
そんな2人を始めとしたスタンド中の観客が目を向ける中で、いよいよその時がやってきた。
『さぁ、シグナルが……今、赤に点灯し……!』
ラジオのスピーカーから流れる解説者の声量が上がり、俄然緊張感が一気に高まる!
それと呼応するように、スタートに着いている全マシンがエンジンの回転数を上げ、雄たけびを上げる様にマフラーから咆哮を発しだす!
そしてカウントダウンの後!
『今、シグナルが……グリーンになりました!』
と同時に、停止していたマシンが一斉に発進した! 凶悪なパワーと加速力を持つマシンの群れが、1台残らず第一コーナーを目指して走り出したのだ!
その様子は遠目に見れば、まるで巨大な大蛇がうねりながら突き進むに等しい。
「始まった!」
「本田部長のスタートは!?」
「大丈夫! 抜群のスタートが切れてたよ!」
「千晶は頭を押さえるのに成功したみたいね」
スタート直後は、特に集団に呑まれて身動きが取れなくなったり、後続車が接触などで転倒しそれに巻き込まれるというトラブルも発生しやすい。
順位も重要だが、まずは無事に走り出せるかどうかが問題であり、少なくとも千晶はスタートで問題は無いと誰の目にも見えたのだった。
「……あれ? ……でも」
そんな中で、紅音がまずその違和感に気付いた。そしてそれは、レースを行っている者達の方がより顕著に知る処であった。
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