2.優駿玉女の祭典

峻烈のタイムトライアル

 聖歴2016年9月第2週。千迅達は茨城県下妻市に来ていた。


「わあぁっ! つくばサーキットだぁっ!」


「って千迅、あなたねぇ……。ここに来るのは何も初めてって訳じゃないでしょう? ちょっとはしゃぎ過ぎじゃない?」


「ええぇっ!? そうかなぁ? でも、紅音ちゃんもテンション上がらない?」


「そ……そりゃあ……」


 彼女達の会話を聞いても分かる通り、2人が来ているのは国内でも有数のサーキットで知られる「つくばサーキット」であった。そして……。


「こら。一ノ瀬、速水。じゃれ合ってないで、移動するぞ」


「あ、美里先輩!」「じゃ……じゃれ合ってなんか!」


 といった具合に、ここへ来ているのは何も千迅と紅音の2人だけと言う訳ではなかった。今日は翔紅学園第一自動二輪倶楽部全員でこの場所へと訪れていたのだった。

 無論、観光や行楽で来た訳ではない。このサーキットでは今日と明日の2日間で、日本GP第7戦が行われるのだ。


 日本グランプリは国内のサーキットを転戦し、その結果によりポイントを獲得して年間の順位を決める日本最高峰の競技だ。参加資格は国内A級ライセンスを持っている事ではあるが、その他に17歳以上であることが挙げられる。基本的には千迅達1年生は参加不可と言えるだろうか。

 因みに、国内ライセンスの取得は各校自動二輪倶楽部に所属して幾度かのレースを経験すれば、その結果により取得が可能である。

 それに、今回のインターハイや新人戦が行われるのはこの「つくばサーキット」なのだ。下見も兼ねての応援となれば、別段おかしな話でも無いだろう。

 そして今回、この日本GP250第7戦に参加するのは……。


「……あっ! あそこっ! 本田部長じゃない!?」


「ほんとだっ! 本田部長ぉっ! 頑張って下さいぃっ!」


 第一自動二輪部部長、本田千晶だった。

 ピットでライダースーツに身を包み、マシンに跨ったままでクルーと打ち合わせをしていた千晶が、部員の声に反応して軽く手を振った。ただ、未だフリー走行でこの後のタイムトライアルに備える千晶は、他の事に割く時間など今のところ無かったのだった。


 彼女は昨年から時期が合えば日本GPに参戦しており、優秀な成績を残していた。ただし、全戦参加した事は1度も無い。

 昨年は日本GPよりもインターハイに重きを置き、今年は部長として多忙だったため共に不参加が多く、今年も今回が2戦目である。


「ほらっ! 部長が走るわよっ!」


 先ほどはピットで話をし微調整を行っていた千晶だが、タイムトライアル時間となりセッティングも出たのだろう。ガレージから飛び出すとそのままピットロードからコース上へと繰り出した。

 その様子、そして緊張感はさながらスクランブル発進をする戦闘機だ。

 タイムアタックの時間や周回数はコースによって設定されている。因みにこの「つくばサーキット」では30分、20周の走行内で叩き出されたベストタイムによってスターティンググリッドが決められる。

 これまでのフリー走行で計測されたタイムは暫定的なもので、結果としては何の意味もない。真に意味のあるタイムはこれから……わずか数周で決せられる。

 30分20周以内なら何度でもトライ出来るだろうが、人間の高められた集中力はそういつまでも持続しない。

 コンセントレーションは高めれば高める程に気力や体力を削り、タイムアタックで用いられる集中力はレースのそれとはまた毛色が違うのだ。

 30分間20周を全てで、その極限とも言えるコンセントレーションを維持し続ける人間など存在しないだろう。


 コースに飛び出した千晶は、そのまま数周を回り他車との間隔を確認した後にタイムアタックへと入った。


「……ん? この周でタイムを出すつもりみたいね、千晶は」


 最終コーナーを立ち上がるスピードやエンジン音、何よりも彼女から発せられる気迫から美里はその判断をして独り言ちた。誰も何も応じないが、彼女の発言に異議を唱える者は無く全員が息を呑んで1台のマシンを見つめる。

 美里の言葉を裏付ける様に、千晶の駆るNFR250Ⅱはこれまでとは明らかに違う速度でスタンド前ホームストレートを通過するとそのまま第一コーナーへと突入した。

 殆どUターンするように右回り第一コーナーからの複合コーナーを立ち上がり緩やかなS字コーナーへ。ここでの減速は殆ど無いが、次に現れる左回りの第一ヘアピンに備えてそこまで加速は行わない。


「……んっ!」


 第一ヘアピンをクリアすれば立ち上がってすぐに右90°のダンロップコーナー、その後にはシケインであるアジアコーナーが顔を出す。

 そして右回り第二ヘアピンをクリアすれば、いよいよこのコースで最長のバックストレ―トが現れる。


「……ここ!」


 一気にアクセルを開ければタイヤが滑ってスピードロスとなり最高速度に影響する。しかし遅すぎれば、やはりタイムに影響してしまうだろう。

 千晶はこれまでのフリー走行で見つけ出していた、でアクセルを開いた。

 競走馬に鞭を入れるかのように、千晶の指示に応じてマシンは咆哮を上げて加速して行く。このコースで唯一6速までギアを入れるストレートだが、テクニカルなこのサーキットではバックストレートもそれほど長くは無い。

 すぐに減速して大きな右回りとなる100R最終コーナーに備えなければならない。大きなこのコーナーでは加速は難しく、さりとてホームストレートに備えて速度を上手くコントロールしなければならない。

 まるで機械の如く正確に愛馬のスピードとアクセルワークを上手く制御し、千晶は最終コーナーから飛び出した。

 そして最後は全てをNFR250Ⅱに任せ、千晶はゴールラインを通過した。


「千晶先輩、速いっ!」


「これは……凄いタイムが出そうね」


 千迅と紅音も、何度かこのコースへは来た事があった。毎年行われている日本GPは勿論、その他のバイクレースを何度も見た経験があるのだ。

 そんな彼女達から見ても、この千晶の周回は明らかに他のライダーより飛び抜けて速いと感じられたのだ。


「……タイムが出るわよ」


 緊迫感のある声で、同級生の篠山貴峰しのやまたかねが呟いた。スタンド前に設置されている大型のディスプレイには、普段は周回するライダーの様子などが映し出されているのだが、タイムアタックとなってからは各ライダーのベストタイムが表示されるようになっている。


「うわあっ!」「こ……これって!?」


 そこに映し出されたタイムは、他の誰よりも明らかに速いものであり。


「ちょ……。57秒23って……コースレコードじゃないの、これ?」


 同じく千迅達の同級生である井上早苗いのうえさなえが、喜びと驚愕で声を震わせながら呟いた。それどころか、スタンドだけでなくつくばサーキット全体が歓声とどよめきに包まれたのだった。しかし、それも仕方のない事だろう。

 この日本GPには学生だけでなく、当然プロのレーサーも参加している。並みいる強敵を押さえてTOPを取る事も至難であるのに、このコースで歴代最速であるコースレコードを叩き出す……しかもそれが同じ学校の同級生や先輩にあたる人物ともなれば、驚きと共に感極まっても仕方が無いだろう。同じようにレーサーとしてモーターサイクルを駆っている者ならば猶更だろうか。


「千晶はこれでピットに戻るでしょうね。セッティングも出ているし、これ以上のタイムは必要ないでしょうから。でも……喜ぶのはまだ早いでしょうけどね」


 色めき出す翔紅学園第一自動二輪部の面々に向けてかどうか、美里は冷静な声で呟いた。誰に向けた者でも無かったのだろうが、その声で一同の声がピタリと止んで静けさを取り戻す。


「で……でも、コ……コースレコード……ですよ? ポ……最前列最内側ポールポジションは確定……なのでは?」


 普段は口数が少なく引っ込み思案な嫌いのある米田裕子よねだゆうこが、それでも興奮冷めやらぬのかオズオズと美里へ問い掛けた。彼女はスプリンターではなくF.L.T……ファステストラップトライアルのライダーで、同じくモーターサイクルに携わる者としては千晶の偉業が十二分に理解出来ていたのだが。


「でも……まだ時間があるわ。……見なさい」


 裕子の声に応じて、美里はそう言うとスッとコースの方を指さした。そこには、千晶のタイムを見て俄然慌ただしくなった他チームのピットの様子が伺えた。


「千晶の仕掛けが早過ぎるわ。本当にポールを狙っているなら、残り時間5分を切ってからトライすべきだったわね。まだ15分以上も残ってるんだから、他のライダーも再アタックを開始するでしょうね。……特に」


 美里はそこまでしか口にしなかったが、その視線の先を追えば何を言いたいのか千迅達には十分理解出来た。

 そして全員が見つめるその先には、独特の雰囲気を纏った存在感のあるライダーが発進準備を整えつつあったのだった。

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