2対1

 現在千迅達が走っているコースは、以前に走行した翔紅学園埼玉校第一サーキットではなく、第二サーキットである。この学園には他の11の同校とは違い、2つのサーキットが設置されていた。

 それは単にホンダ技術工業が初めて出資し設立する高校と言う事で、同社があらゆる試験的な設備を導入した結果でもあった。

 世界には名だたるサーキットが無数に存在している以上、練習やテストもそれに合わせて様々なシチュエーションを考慮すべきと言うコンセプトなのだが、流石に高校生レベルの練習用には過ぎた代物であった。

 故に他の11校にサーキットは1つしかなく、この第一高校埼玉校も持て余しているのが実際だった。

 ただ現部長である本田千晶は当時の設計コンセプトに賛成であり、彼女の代からは2つのサーキットを併用していたのだが。


 美里、千迅、紅音の順で、3台は第二ヘアピンを立ち上がる。そして眼前に続く第一バックストレートを駆けあがっていた。


「……へぇ。慣れていないこのコースで、よくもまぁ食らい付いて来るものね」


 緩い上り勾配を持つこの第一バックストレートは、その先に続く第二ストレートへの序章だ。第二ヘアピンの脱出を僅かでもミスってしまえば、この後に続く第二バックストレートにまで影響を及ぼす。

 美里でもこのコースを攻略するのに1年近くを要していた事を考えれば、僅か数か月で……数度の走行で美里について来れる千迅と紅音は、彼女が呟いた通りセンスがあると言って良いだろう。


「でも……ここは難しいでしょ?」


 第一バックストレートと第二バックストレートは、その途中で200Rのコーナーにて繋がっている。そして第一ストレートの勾配もここで終わり、第二ストレートは下りとなっているのだ。

 第二ヘアピン同様に、この200R……ヤジロベェカーブをどれだけスピードを殺さずに攻略出来るかでタイムに大きく影響すると言って良いだろう。


「は……はっや!」「この速度でこのコーナーを回れるなんて!」


 先にヤジロベェカーブへと進入した美里の後を千迅と紅音も続く。だがその余りに速いスピードに、千迅と紅音は思わずそんな事を叫んでしまっていた。

 特に美里が速いと言う訳ではない。あえて言うならば、美里の旋回速度もラップタイムも、他のレギュラーライダーと比べればやや速いと言った程度だろう。

 しかしまだまだコースにも、そしてマシンにも不慣れな千迅達にしてみれば、高速コーナーを回る美里のスピードは自分達には未体験の領域だった。

 前の者がクリア出来たからと言って、同じスピードやタイミングで自分も攻略出来るかと言えば決してそんな事は無い。各個人ではそれぞれにライディングスタイルがあるのだからブレーキ、バンク、速度、アクセルワークなどのタイミングやテンポが違っていて当然である。

 本来ならば、前を行く美里に追随するなど無謀と言って良いかも知れない。だが、この時の千迅はそんな当たり前の考えなど何処かに置き忘れており。


「んんっ!」


 美里と同じ速度で、同じタイミングで200Rを攻略に掛かったのだ。


「千迅っ!? 正気なのっ!?」


 そしてそんな事を口にしながらも、紅音もまたその千迅に続いた。

 普段の紅音ならば決してそんな事はしないであろうが、これが正式なレースではなく学内での入れ替え戦であると言う事と、上位の者のコース取りや進入速度を真似る事で今後に活かせると言う事実、そして何よりも美里に……千迅に負けるのが許せないと言う想いが彼女から的確な判断を奪っていたのだった。


「……へぇ。やるじゃん」


 それでも、2人とも確りと美里に付いて行ける所は非凡なものがあるのだろう。美里もそれを認めて、感嘆の台詞を呟いていた。

 速度が上がれば、それに比例して恐怖心が付きまとう。高速コーナーともなればそれは猶更だろうか。

 特にこのヤジロベェカーブは2つのバックストレートを繋ぎ、下りへの起点となるコーナーでもある。時速200Kmを超えた速度でここを攻略するのには、度胸よりも自分に確信が持てないと不可能だろう。

 それを千迅と紅音は、然程経験が無い状態でやって見せたのだ。これには、美里も思わず賞賛するのも当然だと言えるだろう。


 ―――そして、それこそが今回美里をして千迅たちに勝負を挑んだ理由でもあったのだが。


 勝負と言うとやや語弊があるかも知れない。美里の立場で言えば、これは〝見極め〟になるだろう。

 それでも美里としては、どうしてもこの2人と共に本気の勝負をしてみたかったのだった。

 そしてそれは本人も気付いていない……いや、認めたくないであろう〝嫉妬〟に依るものであったのは間違いなかった。

 自分が憧れ崇敬までしている本田千晶。彼女が事ある毎に注目している千迅と紅音には、自分の得られなかったものがある。

 千晶が明言した訳ではなくとも、美里はつぶさにそう感じていたのだった。

 千晶には語れない。そして美里自身も気付いておらず、万一それを知ってしまっても否定してしまうであろうそんな感情が、今美里を駆り立てて千迅と紅音を前へ行かせない断固たる決意になっていたのだった。




 200Rを超え下りとなり、マシンは最高速度となる250Km/hをゆうに超えたスピードを発揮する。下り傾斜と言う事を考えれば、ライダーの体感速度は300Km/hを超えているだろうか。


「く……くくぅっ!」


 そこからの、ほぼ90°に左曲がりをするディセルレーションカ―ブが迫りくる。体を起こすと共に一気に減速し、速度を200Km/h近くは落とさなければならない。

 如何にコースを熟知している美里と言えども、毎回身体に圧し掛かるGに慣れる訳ではない。理解はしていても、毎度立ちはだかる大気の壁には辟易させられていた。

 コーナーを立ち上がりシケインへ突入。そのまま最終コーナーを抜けてホームストレートへ。

 この第二サーキットは、バランスの取れた第一サーキットと異なりタフな精神力を要求するコースだと言えた。


 更にそのまま4周を経過し、残り2周となった9周目。3人の位置取りに異変が生じる。


「……ここで来たか、一ノ瀬っ!」


 ホームストレートを立ち上がり第一コーナーへ。ここで千迅が一気に美里へと並びかけたのだ!

 第一コーナーからスプーンカーブと、減速がまだ少なく抜くポイントとしては適切ではない。千迅の得意とする「ツッコミ」で相手の頭を取るのなら、第二ヘアピンへの進入時か、もしくは第二バックストレートの終わりが適切だろうか。無論、何かしらの考えがあっての戦略であるならば異論も起こらないのであろうが。


「……あの子、何にも考えてないんだから」


 紅音が千迅の様子を伺い呟いたように、千迅には何かしらの打算があっての行動ではなかったのだった。


「あっはははっ!」


 抜けると思ったから抜く、行けると思ったから行く。千迅の発想は常にその程度であり、今回も殆ど閃きとノリだけの戦略であった……のだが。


「そう簡単にっ!」


 美里がそれを許さなかったのだった。半ば強引に第一コーナーでイン側にタイヤを潜り込ませようとした千迅に対して、美里は続くスプーンカーブの左コーナーでイン側を取りそのまま車体一つ抜け出し立ち上がった。


「くぅ……ダメかぁ! ……って、うわっと!」


 見事なマシンコントロールで立ち上がった美里に対して、千迅はかなり無理なツッコミを敢行したのか、立ち上がりで僅かに後輪を滑らせて遅れてしまった。転倒には至らなかったが、このロスで車体3つ分は後退する事となったのだった。


「まだまだ甘いわね。マシンに振り回されてるわよ。……っと、今度は速水か!」


 一難去って……と言う訳では無いだろうが、それまで気配さえ希薄だった紅音が、千迅と入れ替わるように美里へアタックを開始したのだった。紅音もまた、ここが勝負どころだと踏んだのだろう。


「千迅とのバトルで、先輩にも僅かに隙が出来た。……行ける!」


 紅音は以前のヤナハ資立第一宗麟高校との練習試合で、千迅を先にけしかけて後から攻めると言う戦法を物にしていた。特にそうと意識していた訳ではないのだろうが、千迅と走る際には自然とそう立ち回る事を覚えたのかも知れない。

 これが卑怯や姑息かと言えば、決してそんな事は無い。対戦相手の消耗を強いるのは十分に作戦として有効だし、何よりも千迅のバトルに介入しては自分まで巻き添えになる可能性がある事を考えれば当然の行動だろう。


「誰に……隙が出来たってぇ?」


 ヘルメットに装備されているヘッドセットの音声は、今は互いに聞こえる事は無い。繋がっているのはコントロールタワーの管制室にだけだ。

 それでもまるで紅音の声が聞こえていたかのように、美里はそう吠えると紅音の攻撃を見事にブロックして見せたのだった。


「くぅっ! さ……流石っ!」


 同年代では操縦巧者である紅音でも、美里を簡単に抜くには至らなかった。美里は2人を抑え込んだまま、第二ヘアピンを立ち上がりバックストレートへと突入したのだった。

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