遥かなるチェッカーの先へ LAP2

綾部 響

1.プロローグ

強き日華の下で

 聖歴2016年。

 陽炎立ち上るサーキットコース上を、複数のレーシングバイクが爆音を轟かせて疾走していた。

 時期は9月。夏休みを終えて新学期が始まったとは言え、まだまだ季節は夏と言って差し支えがなく気温は十分に高い。

 しかもそれが遮るもののないアスファルト上ともなれば、体感気温は40℃を遥かに超える。更に、ご丁寧に高温化したエンジンを抱える様に走行しているのだから、その暑さたるや筆舌に尽くしがたいものがあった。

 それでもピッチリと密着し外気を通さないライダースーツを身に纏い、小さくもバイザー部が広く確りと視野が確保されたヘルメットを被った少女たちは、そんな暑さをものともしない熱気を放ちコース上を疾駆している。


「さ……流石は美里先輩っ! は……速いっ!」


 ホンダ資立翔紅学園埼玉校……俗に翔紅第一と呼ばれるこの学園の1年生である速水紅音はやみあかねは、前を行く3年生の菊池美里きくちみさとを追走しながらその事を痛感していた。

 自身の所属する第一自動二輪倶楽部で2年も先輩なのだ、経験値から考えても紅音より速いのは当然と言って良いだろう。

 それでも紅音は、同等のドッグファイトを繰り広げられると考えていた。それは単純に、最近計測されたラップタイムから結論付けたものだったのだが。


「レースとそうでない時でスピードが変わる人もいるけど、ここまでなんて……」


 所謂美里は、実戦に強いタイプとでも言おうか。レースに際しては、そして競争相手が存在する場においては計測タイム以上のパフォーマンスを見せる性格を持っていた。

 その事を事前に知っていた紅音ではあったが、いざ相対してみるとその強さを実感せざるを得なかったのだった。

 ……そして。


「でも……実践に強いって人を見るのは、これが初めてって訳じゃあないけどね」


 紅音はそう独り言ちて口の端を釣り上げ、僅かに後方を確認する。その視線の先には、青いヘルメットの少女がすぐ後ろを追走してきていた。

 轟音を響かせるNFR250 Ⅱを駆っているのだ。例え隣を並走されていようとライダーの発する言葉など聞こえる筈がない。

 しかし紅音には、後方の一ノ瀬千迅いちのせちはやがどんな顔でどの様な台詞を口走っているのか手に取るように分かっていた。


「くうぅっ! 美里先輩、はっやいなぁっ!」


 満面の笑みを浮かべ……いや、むしろ狂気とも言える笑顔を湛えた千迅が、叫ぶように口にする。その感情は表情だけではなく、身体全体から嬉々とした雰囲気を周囲に放っていた。


「……もう。千迅ったら我慢出来ないんだから。もう仕掛けるつもりなのね」


 それを感じ取った紅音は、猛進してくる千迅を無理にブロックせず素直に前へと行かせた。今の千迅は、言うなれば手の付けられない状態だ。紅音でさえ食い止めるには苦労させられる上に消耗が激しく、更にはと知っていたからだった。


「へっへへ! 紅音ちゃん、お先にぃっ!」


 わざと譲られたと知っているのかいないのか、それでもそんな事を思案した様子もなく千迅はアッサリと紅音を躱して前へと出る。そして息つく暇もなく、更に前を行く美里に狙いを定めた。


「一ノ瀬っ! 来たわねっ!」


 無論、その様子は先頭を走っていた美里も分かっていた。そして彼女もまた待ち侘びたような、喜んでいる様に口走っていたのだった。




 今回のこのマッチングを要望したのは、誰あろう美里だった。

 第一自動二輪部では、半年に一度レギュラーの入れ替え戦が行われる。レースと言っても基本的には上位者が下位の者の様子を伺い、その中でタイムやライディングに秀でた者がレギュラー入りするのだ。

 その際、それまでレギュラーだったものは当然降格させられるのだが、そこに遺恨や蟠りなどはほとんど発生しない。それは誰よりも自身がその実力を良く把握しており、そのままタイムとして如実に反映されるからだ。

 殆どタイムが違わない者同士の場合は、更に上位の者が手合わせしてそのマシンコントロールやレース強さなどを判断される。外側からの観察と実際に競った者の声を併せて判断されるのだから、これもまた異議を唱えようがない事でもあった。

 千迅たち1年生も入部より半年を経て、この入れ替え戦に参加する事を許されていた。……と言うよりもこれは、半ば強制な訳だが。

 そして千迅と紅音の相手を、美里が自ら名乗り出て今に至ると言うものであった。




 千迅に後方へと付かれて、美里もまた喜びを露わにしていた。そしてそのまま、彼女はこれまでよりもペースアップを試みる。


「さぁっ、一ノ瀬っ! 速水っ! あんた達の今の力を見せてみなさいっ!」


 千迅を前に行かせたとは言え、紅音もこのレースを諦めた訳ではない。美里には、千迅の後方より虎視眈々とチャンスを伺っている紅音の気配が鋭敏に感じられていたのだ。

 そしてそんな美里の聞こえない言葉に呼応するように、千迅と紅音もまた速度を上げた美里を追走しだしたのだった。


「……もう、美里ったら。これが下級生の腕前を見るレースだって分かっているのかしら?」


 美しく整った眉根を寄せて、頬に手を当てて困ったような声を出したのは、コントロールタワー最上階よりコース全体を見ている本田千晶ほんだちあきであった。

 彼女がレースに参加していないのは、この第一自動二輪倶楽部の部長だからだ。特に3年生でもある彼女は、上級生として部員の安全に配慮しなければならない立場にある。

 現にこの統制室には他にも3年生が数人、眼下で行われているレースを真摯な目で見つめているし、他の上級生はメインスタンドを始めとしてコース各所に散って様子を伺っている。


「でも……。美里もあの娘達の潜在能力に気付いてるって事かしらね?」


 そしてコース上を走っている上級生たちはレギュラークラスであり、明らかに他のリザーブメンバーや下級生たちとは実力……ラップタイムに差のある者達ばかりである。故に殆どのレギュラーライダーたちは本気で走ることはせず、それぞれが担当するライダーの走りを観察する事に注力していた。

 そんな中で、美里だけは千迅と紅音に本気のレースをけしかけており、千迅たちもそれに応じている。

 一見すればそれは、現在での限界を残らず引きずり出して実力を測ろうとしているようにも見え、だからこそ千晶はその様に判断したのだが。

 ……残念ながら、美里の思惑は全く別の所にあったのだった。


 4周目に差し掛かる千迅たちが最終コーナーを抜けホームストレートに差し掛かる。然程長くない直線であっても、NFR250 Ⅱのポテンシャルをもってすれば200Km/h前後にまで達する事の出来る距離だ。


「……っ!」


 先を行く美里は、走り慣れたこのコースの自身がベストとするタイミングでタンクに伏せていた上体を起こし減速に入る。沈殿する湿気を多く含んだ大気が、まるで壁のように美里へと襲い掛かっていた。

 ストレートエンドに潜むのは、他のコースでは珍しい緩やかな右コーナーの後に大きな左スプーンカーブを持つ第一コーナーだ。一気に減速できればマシンコントロールも比較的容易なのだが、きつくないコーナーではスピードのコントロールが難しい。

 減速し過ぎれば全体のスピードに影響するし、早過ぎれば当然コーナー出口で減速を余儀なくされるからだ。


「くぅっ!」


 熱い陽射しの中では、風を受けても一向に涼しくはならない。まるで熱したフライパンの上を走行している様なもので、身体が受ける熱気は相当なものだ。

 それでも高速で走っていれば幾分はマシと言うものなのだが、これが低速コーナーの連続する区間ともなれば、受ける風さえも障害物と化す。


「あっははっ!」


 紅音でさえ思わず苦悶を洩らしてしまうところだが、そんな中でも千迅は楽しげな声を上げていた。どうにも千迅には、気候に依るハンディは殆ど無いらしい。

 そして3人はその後に続くS字コーナーを抜け第一ヘアピンをクリアし、バックストレートへと続く第二ヘアピンに差し掛かっていたのだった。

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