光のようなパス

 サッカーボールの軌道が、一筋の光のように見える。あいつのパスが、俺は嫌いだった。


 出会いは四月だ。中学2年生になったのを見計らったかのように、龍二りゅうじはサッカー部に入りたい、と入部届けを顧問に提出した。龍二は転校生ではない。1年生の頃は俺と同じクラスで、これといって目立たない帰宅部だった。


 そんな奴が、2年生に上がった途端サッカー部に入りたいだと?話を聞くと、小学生のころはクラブチームに所属していて、腕には覚えがあるらしいが。だったら1年生の頃から入部しろよと思う。なんで、今さら。


 サッカーを舐めているような感じがして、俺は気に入らなかった。その気持ちは、同じ練習をすることで更に大きなものとなる。


 レベルが違った。龍二のしているそれは、俺たちと同じサッカーをしているとは思えないほど、卓越したものだった。シュート、ドリブル、ブロック、パス。キーパー以外ならどのポジシャンでも一線級の活躍が見込めるほどだ。先輩方はその時点で「来年のキャプテンはあいつだ」などと褒め称える。後輩達は「ここって名門だったか?」などとほざき始める。


 それまで俺が積み上げてきたものに並ぶどころか、一気に追い抜かれる感覚。俺の小学生の頃からの努力を嘲笑い、奪っていく。


 ふざけるな。来年のキャプテンは俺が候補だったし、ポジションもフォワードならどんなやつにも負けない自信があった。なのに。こんなぽっと出のやつに、敵わない。それを知ってしまう。


しげる。パス」


 龍二に名前を呼ばれると、あいつは俺のほう目掛けてボールをパスする。地面を滑るような軌道から、見えてしまった。一筋の光が。それから逸れることなく、ボールは終着点である俺の足元にピッタリとおさまる。


 ああ、そうか。これが天才というやつなんだな。1年のブランクなんかものともしない。絶対的な差に、その時の俺は打ちひしがれた。




 俺の中学は、お世辞にもサッカーが強いとは言えない。歴代の先輩方の最高戦績は、地区大会準決勝進出。つまりベスト4が最高だったのだ。無論、ベスト4に入るのも簡単なことではない。だが、やはりサッカーをやっている身として、何よりサッカーが好きな自分としては、そこで満足したくなかった。


「今年は地区大会優勝を目指しましょう」


 ミーティングの折。俺はこの大会で引退となる先輩方に向かって、大きな声で目標を提示した。


「そうだな。今年のメンバーなら夢じゃない」

「頼りにしてるぞ。龍二」


 先輩方の目に、俺はいなかった。




 大会が始まる。いわゆる中体連と言うやつだ。去年は見学やグラウンド整備でしか入れなかったフィールドに、足跡を残す。セミの声も聞き慣れてしまったのか、全く気にならない。灼熱の太陽が、俺の肌を刺激する。


 俺はスタメンだった。驚くようなことでもない。クロスからのシュートであれば、先輩にも引けを取らないという自負がある。それを見込まれての選出だ。


 龍二は3バックの中央がメインポジション。フィールド全体の流れを読み、攻めにも守りにも入れるような、いわゆるリベロと呼ばれる役割。現代のサッカーでは珍しいが、それをこなせるだけの力量がこいつにはある。悔しいが認める他ない。今は同じチームメイトなのだから。




 神様がいるならば、そいつは贔屓の激しいクソ野郎だと思う。その試合は、龍二によって支配されていた。パスカットに始まり、鮮やかなハットトリック。1人でボールを運び、俺にクロスを上げる。歯を噛み締めながら、俺はそのボールの期待に応えた。


 結果は3-0。点数全てが、龍二のアシストによるものだった。相手の学校が弱い訳ではない。ただ、ボールを奪われ、龍二までパスが回ってしまうと、もうどうすることもできない。シュートを2回も入れた俺は当然のようにヒーロー扱いされるが、違う。この点数は全部龍二のものだ。あいつはまったく目立たない。そして、不服そうな様子もない。その顔を、どうしようもなく殴りたくなってしまった。


 2回戦。2-1。


 準決勝。3-1。


 悲願の決勝戦進出。先輩方はみんなして「ここまで来られたのは、茂と龍二のコンビのおかげだ」と言ってきた。ここまでの試合はほとんど、俺が点数を決めていた。準決勝ではかなりの数にマークされることになり、もう1人のフォワードの先輩に対する守備が手薄になるほど。そこを突いた、龍二の抜け目のなさ。ここまで来ると、流石だなと素直に認めざるを得ない。


「お前のパス、待ってるからな」


 試合前。俺は龍二の肩に手をやり、そう言い放つ。


「茂になら安心してパスを出せる」


 その時の龍二の顔は、暗かった。




 龍二は、わずか4度の試合で伝説となった。突如として現れ、我が校にとって初めての全国大会進出まで導いた。他校の生徒は口を揃えて「二度と戦いたくない」と言う。それが現実になってしまうなんて。




 龍二はサッカー部をやめた。地区大会の決勝戦。俺たちのチームは勝利した。3-2というギリギリの戦いだった。その日は打ち上げで部員全員で祝勝会を開くこととなった、その時だ。


「おれ、今日でサッカー部やめます。なので、祝勝会には参加できません」


 それはもう、決められていたことのように龍二は告げる。全員が必至に引き留めようとする中、俺はただ黙っていた。口角が不自然にプルプルと震えるのを堪えながら。


「俺がいなくても大丈夫です。このチームには茂がいますから」




 俺はあいつを、万華鏡のようなやつだと思う。現実離れした輝きを持ち、見るものの目を奪っていく。何重にも増えたかと思えば、ある1点でピタリと止まる。造られた幻だ。気づけば俺は、あいつの背中を追っていた。あんなにも気に入らず、嫌っていたのに。


 そんなあいつが、「茂がいるから大丈夫」と俺を信頼していたことが何より不思議だった。


 今でも俺はあいつの幻影を追っているのかもしれない。部室にいなくても、隣にはいつもいるような気がして。この華麗なクロスも龍二が俺に向けて届けているような気がして。


 ゴール。


「龍二、見てるか!!全国大会で1点取ってやったぞ!!お前なんかいなくたって大丈夫だ!」


 サッカーコートの中。俺は天を見上げて高らかに吠えた。

 あの一筋の光を、忘れまいとして。

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