episode39「The Destiny Encounter」

「…………俺一旦部屋戻って良いか?」


 テーブルの上に大量に並べられた本を前に、チリーは心底うんざりした顔でそんなことを言い始める。


「何言ってんの。チリーにもちゃんと読み方教えたでしょ。ちゃんと協力してよ。僕らの半分以下でもいいから」


 隣に座って本を読んでいるニシルは、チリーの方へ顔も向けずにあしらうように言う。その態度が気に入らなかったのか、チリーは顔をしかめて反論しようとする。しかしそこに割り込むようにして、反対隣の青蘭が口を開いた。


「ルベル。真面目にやってくれ」

「真面目にやってっけどよォ……。俺は読むのも調べるのも好きじゃねーんだよッ!」


 思わず語気を荒げるチリーだったが、すぐにハッとなって周囲を見回し始める。

 反対側の席や、通りがかった者達がうっすらとチリーを睨みつけているように感じる。

 本日何度目ともわからない気まずい空気に、チリーはわざとらしく咳払いすると諦めて本を手に取った。




 場所はルクリア国西部アルケスタシティ。

 ありとあらゆる知識が集まる知の都、その中央に位置するアルケスタ大図書館。


 チリー一行は、賢者の石の手がかりを求めてアルケスタ大図書館を訪れていた。




***



 コラドニアシティのコロッセオで大金を手に入れたチリー達の旅は、これまでとは打って変わって非常に快適なものだった。


 馬に乗れる者が一人もいなかったため、乗り合いの馬車で移動し、野宿は極力避けて中継地点の町や村で宿をとって過ごしていた。

 その間、チリーと青蘭による実戦型訓練は幾度となく繰り返され、どちらが何度勝ったかなど、少なくともニシルは覚えていない程だ。


 青蘭の提案通り、チリー達はコラドニアシティを出ると真っ直ぐにアルケスタシティへ向かった。

 そして辿り着いたのが、このアルケスタ大図書館である。


 アルケスタ大図書館は、ルクリア国で二番目に大きな建造物とされている。一番目は当然、王都コラドニアシティにあるルクリア城だ。言い換えれば、城に匹敵する程の大きさを持つ図書館なのだ。大図書館の名は伊達ではない。


 ここには、大陸中のありとあらゆる書物が集められていると言われている。


 遥か昔、魔法使いの時代に作られたものだとされているが、その真偽は定かではない。


「本当に助かったよ。僕達はこんな場所、知りもしなかったからね」


 席を一旦離れ、ニシルと青蘭は本を棚に戻していた。

 チリーは席についたまま本とにらめっこを続けているところだろう。


「気にするな。旅に同行させてもらえて、こちらも助かっている」


 静かにそう言って、青蘭は本を棚に戻していく。


 アルケスタ大図書館の中は、所狭しと言わんばかりに棚が設置され、そこら中に本が敷き詰められている。

 きちんと装丁された本だけでなく、羊皮紙に書き連ねられたレポートのようなものまで保管されており、その蔵書量は万を越える。


 だが当然、その中から目的の情報を見つけ出すのは非常に困難だ。


 ニシルからすればまさに”猫の手も借りたい”、といった状態で、嫌がるチリーを駆り出して効率の悪い調べ物をさせているくらいだ。


「しかし……似たような話ばかりだな。在り処に関してはほとんど語られていない」

「そうだね……。これは何泊かする必要があるなぁ……。無駄骨じゃないと良いけど」

「なるべくはやく片付けよう。ここではルベルと手合わせが出来ん」


 アルケスタ大図書館では、中にこもりきって自身の研究に没頭する者も少なくない。

 そのためか、建物の敷地内に宿屋が併設されているのだ。

 研究者はそこで寝泊まりし、朝になれば図書館に入って籠もり切り、夜になれば宿屋に戻って食事と睡眠を取る、という生活を続けている。それは当然、宿泊費、食費、入館料等の資金が尽きるまでの間だが。


 ここの宿泊費は馬鹿にならない。ニシルとしても、あまり長居しようとは思えなかった。


「……お前達は、賢者の石がどうしても必要なのか?」


 ふと、青蘭が重々しい調子で問う。


「ルベルは武を学べばいくらでも強くなれる。賢者の石で力を得る必要はないハズだ。金にもいずれ不自由しなくなるだろう」


 チリーが賢者の石を求める理由は、力だ。そしてニシルは、裕福な生活を手に入れることを望んでいる。

 そのどちらも、賢者の石がなくても叶えられるハズだ。少なくとも、青蘭にはそう思えた。


「……それは、どうだろうね」


 ニシルは、意味深にそう言って、一息ついてみせる。


「確かにチリーは賢者の石がなくても強くなるかも知れないし、僕だって裕福な生活は手に入るかも知れない。だけど……それだけだ」

「それだけ?」


 問い返す青蘭に、ニシルは大きく頷いた。


「チリーがどのくらい僕と同じ気持ちでいるのかはわからないけど……僕がほしいのは、”賢者の石”という絶対的な何かなんだ。孤児院で育った、何者でもない僕達が、伝説を手に入れる。僕はそこにこそ、意味があると思ってる」


 普通の方法でただ強くなる、ただ裕福になる。人はそれで十分幸せになれる。そんなことはニシルにだってわかっている。


 裕福になりたいという気持ちは建前でもなんでもない、本心だ。だがそれと同じくらい、伝説を追い求めるという過程と、それを手に入れるという結果もニシルは欲していた。


 他の誰も見つけられなかった伝説を手に入れて、”何者かに成る”。そうすることで、ニシルはデクスター家も、世界も、何もかも見返してやれると思っている。


「それにさ……僕はこの旅、かなり楽しんでるんだよね。最悪、一生旅の途中でも良いかも」


 少しはにかんでそんなことを言うニシルに、青蘭は少しだけ驚いたような表情を見せる。

 だがすぐに、口元に小さく笑みを浮かべた。


「ああ……こういう旅も、悪くはない」




***



「あぁ~~こういう作業、最悪だぜ」


 ニシルと青蘭が本を棚に戻しに行っている頃、席に残されたチリーはなんとか賢者の石の手がかりを探そうとして本とにらめっこを続けていた。


 テーブルの上に置かれているのは、予めニシルや青蘭が目星をつけておいた本だ。どれも大陸の歴史や原初の魔法使いウィザーズ・オリジン魔法遺産オーパーツに関わる文献である。しかしそれらの情報が詳細に書かれている本はほとんどない。大抵は世間的に知られている噂話や、筆者の見解が書かれているだけなのだ。賢者の石の具体的な在り処などが書かれているものは見つかっていない。


 チリーは一応文字の読み方を最低限叩き込まれているが、あくまで最低限だ。複雑な言い回しはわからないし、何よりこの手の作業に対する集中力が皆無と言っても良いレベルだ。


 どれだけ本を睨んでも大したことはわからない。今手にしている本が賢者の石とどの程度関係あるのかさえ、チリーにはあまりわかっていなかった。


「……ほんとにあるのか……? 賢者の石は」


 ポツリと呟いて、チリーは考え込む。


 効率こそニシル達の半分以下だが、チリーも文献を一切読んでいないわけではない。数冊確認してはいるが、そのどれもが賢者の石を伝説としてしか扱っていなかったのを理解している。


 賢者の石を見つけ出し、最強の力を手に入れる。

 それで、どうするのか。


 改めて自問すると、その先の答えは出てこなかった。


 誰にも負けない力を手に入れれば、何も奪われることはない。ほしいものをほしいだけ手に入れて、自分と自分の仲間で楽園を作り出せる。

 ぼんやりとそんなことを考えて、チリーは溜め息をついた。


「……もう、結構楽しいけどな」


 賢者の石を見つけ出すのが目的だったが、その過程の旅をチリーは十分に楽しんでいる。

 案外、こうしていつまでも旅をしているだけでも楽しいのかも知れなかった。


 そのまましばらくぼんやりした後、チリーは気を取り直して本に意識を戻す。

 サボっているところを見つかれば、またニシルや青蘭に小言を言われかねない。


 そう思って読み始めたチリーだったが、不意にその耳元に柔らかな声が届く。


「ねえ、何がそんなに楽しいの?」


 それは、少女の声だった。


 突然聞こえたその声に、チリーは肩をびくつかせ、本を取り落とす。


 いつの間にか隣にいた少女は、その本をしっかりと右手でキャッチして、チリーに向かって屈託のない笑みを浮かべた。


 穏やかそうでいて、どこか凛とした顔立ちの少女だった。

 やや釣り気味の目つきだが、その表情は柔らかく、おっとりとした印象がある。

 長い、絹糸のような黒髪だ。偶然なのか、チリー同様長い前髪が右目を覆っている。


 暖かい、わずかに差し込む日差しのような笑顔だった。


「え……」

 チリーは思わず、そのまま停止して少女を見つめていた。


 彼女の深いあお色の瞳に、まるで吸い込まれてしまいそうな気分だった。


 少女はきょとんと首をかしげて、チリーを見つめていた。


「……あ。ごめんね、急に話しかけて! 驚いた?」

「あ、ああ……。誰だよ、お前は」


 まだ少し戸惑ったまま、チリーは少女へ問う。


 心臓が高鳴ってうるさく感じる。


 この鼓動が、本当に驚いただけで起こったものなのか、チリーは少し疑わしく思ってしまう。なんだか、顔の辺りがじんわりと熱い。


「私は……ティアナ。ティアナ・カロル。アルケスタ大図書館で、司書の仕事をやってるの」


 ティアナ・カロル。

 その名前を胸の内で繰り返して、チリーは深呼吸のような溜め息をついた。


「ったく脅かすなよな。で、司書が何の用だよ?」


 取り繕うようなぶっきらぼうさだったが、ティアナは笑みを崩さない。


「だって、本を見ている時はしかめっ面なのに、楽しいなんて言うから、何が楽しいのかな、って」

「ああ、そーいう……」


 どうやらチリーが本と睨み合っていたのを見られた挙げ句、独り言まではっきり聞かれていたらしい。


 なんだか少し気恥ずかしくなって、チリーはバツが悪そうに後頭部をかく。


「それに……”賢者の石”って、聞こえたから」


 ティアナがそう口にした瞬間、チリーは目の色を変える。


 その反応を楽しむように、ティアナはやや蠱惑的な笑みを浮かべた。


「私、もしかしたらあなたの探してるもの、見つけてあげられるかも……多分」


 それが、ルベル・Cチリー・ガーネットと、ティアナ・カロルの出会いだった。

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