episode40「Secret Library,My Memory」

 再び賢者の石と関係のありそうな文献をかき集めたニシルと青蘭は、二人共何冊もの本を抱えて元の席に戻っていた。


「……あれ? チリーは?」


 しかし席に残って本を読んでいた(読ませていた)ハズのチリーは、何故かもうそこにはいなかった。


「逃げた……!?」


 顔をしかめて周囲を見回すニシル。それとは対象的に、青蘭は落ち着いた様子で席について本を開き始めた。


「少し休ませてやれば良いんじゃないか? 息抜きでもしなければルベルにはキツいだろう」

「甘くない?」

「お前もあまり根を詰めるな。少し休んだ方が良い。別に焦る必要はないだろう」


 青蘭にそう言われ、ニシルは少し納得して嘆息する。

 アルケスタに来て以降、ほぼ図書館に缶詰で調べ物をしているのだ。ニシルは勿論、青蘭だって疲れているのだろう。


「……だね。チリーが戻ってきたら、今日は一旦終わりにしようか」


 それまでは、もう少しだけ調べておこう。そう思って、ニシルは席につくと静かに本を開いた。




***



 アルケスタ大図書館は、チリーからすれば本の大迷宮と言ったところだろう。

 本棚は整然と並べられているが、とにかくその量が多い。そこら中に漂う古紙の匂いは、チリーにとってはあまり心地の良いものではない。


「本の匂い、良いでしょ?」


 先導を歩くティアナは、振り返ってそんなことを言う。


「いや臭ェだろ」

「えー、そうかなぁ? 私は古い紙の匂い好きだよ」


 そもそも本が好きではないチリーからすれば、同意の難しい話題だ。

 すぐに、チリーは話題を切り替える。


「それはそうと、ほんとに知ってンだろうな? 賢者の石の手がかりが書かれた本」

「多分」


 キョトンとした表情で即答するティアナに、チリーは頭を抱えてしまう。


 この大図書館の司書で、賢者の石に関わる文献の在り処を知っている、というから案内を頼んだのだが、この様子だと少し怪しいかも知れない。

 しかしそれでも、チリーとしてはあのまま本を読んでいるよりはこちらの方が退屈せずにすむ。そう考えて、ひとまずこの少女についていくことにしていた。


「あ、そういえば君の名前は? 聞いてなかったよね?」

「ルベルだ。ルベル・Cチリー・ガーネット」

「よろしくね、チリー」

「ルベルだっつってンだろ」

「チリーの方がかわいいじゃーん」


 楽しそうに言うティアナを見て、チリーは諦める。どうしてこう、どいつもこいつもよくわからない理由でミドルネームを拾うのだろうか。


 順当にルベルと呼んでくれる青蘭が、今は妙に恋しい。


「それで、どこまで行くんだよ」


 席を離れ、チリーはティアナに案内されながら本の迷宮をどんどん奥まで進んでいた。


 アルケスタ大図書館の蔵書は、歴史に関わる資料だけではない。無数の物語や、ここに寄稿された個人の日記等も収められている。奥の方の棚は賢者の石と関連性が薄そうなので、まだ調べていない。見慣れないタイトルの本がいくつも並んでいた。


 しばらく歩いて行くと、最奥の壁際にある本棚の前でティアナが足を止める。


「その棚か?」

「えーっとねぇ……」


 言いつつ、ティアナはそわそわした様子でしきりに周囲を見回し始めた。


「誰もいない?」


 問われ、チリーもとりあえず辺りを見回したが、今のところ人の気配はない。


「見張っててくれると嬉しいな」

「……なんか悪さすんのか……?」

「…………ちょっと悪さ……かも」


 チリーからわずかに視線をそらしてつぶやくティアナだったが、別にチリーは咎めるつもりはない。それで賢者の石の手がかりが手に入るなら多少は構わないと思っている。


 当然、人の生死に関わらなければの話だが。


「わかった。見といてやる。なにするかわかんねえけど、それで賢者の石の手がかりが見つかるんだろ?」

「多分」


 またこれである。


 これ以上追求するのも面倒になったので、チリーは気を取り直して見張りへ意識を向ける。

 この辺りの本棚は私的な日記や資料が多く、それ程人が立ち寄る場所ではない。そのためか、ほとんど誰も通りがからなかった。


「おい、まだか?」


 しばらくして振り返ると、そこには本棚に入っていた本をせっせと取り出して床に積んでいくティアナの姿があった。


「……何してんだお前」

「あともうちょっとだから待ってて!」


 本を取り出し終わると、今度は仕切り板を取り外した。

 本と仕切り板を全て取り出すと、そこにあったのはただの壁だった。しかしティアナはすぐに壁の方へ歩いて行く。


「ほら、きてきて」


 手招きするティアナに、チリーは半信半疑のまま近づいていく。

 そしてティアナが壁に手をかざすと、突如壁がうっすらと光を放った。


「!?」


 そして静かに、壁がスライドしていく。小さな地響きのような音が聞こえてきて、チリーは慌てて辺りを見回した。

 流石に近くでこんな音がすれば誰かが気づくかも知れない。


「じゃーん! 開きました! 秘密の通路だよ!」


 そこにあったのは、地下へ続く階段だった。


「お前……今何したんだよ……!?」

「……わかんない……」

「えぇ……?」


 しらばっくれている、という風には見えなかった。

 このティアナという女、本当に自分で何をしたのかよく理解していなさそうだった。


「なんか、手をかざすと開く仕組みになってるっぽいんだよね」

「ンなてきとーな……」


 階段の向こうからは、冷えた空気が流れ込んでいる。

 まるで得体の知れない深淵がばっくりと口を開けているかのようで、チリーは少し身震いした。


「それじゃ、行こっか! 多分、この下に色々あると思うから!」

「いやあると思うって……お前この下には行ったことないのか?」

「ないよ? 怖いし。だからついてきて、護衛してくれると嬉しいな」


 ティアナの独特なペースに振り回されている。そう自覚しながらも、それほど悪い気はしなかった。


「しょーがねえな……」


 アルケスタ大図書館の隠し通路。その下に何かが隠されているというのなら、賢者の石の手がかりということもあり得るかも知れない。

 多少不安に思いながらも、チリーはティアナと共に地下への階段を降りて行った。




***



 地下への通路は、一本道の石の階段だった。


 中の空気は冷え込んでおり、首元にまとわりつく空気が厭に冷たい。


 明かりがないせいで道は薄暗く、目が慣れるまでは足を踏み外してしまいそうな程だった。


 チリーを先頭に、二人は地下へ降りていく。


 そんな中、不意にティアナがチリーの手を握った。


「……なんだよ?」


 妙に柔らかい手を、チリーは振り払おうとはしなかった。


 この通路の空気のせいなのか、手は冷たい。思わず握りしめてしまいそうになったが、気恥ずかしてチリーは手から力を抜いた。


 すると、バランスを取るかのようにティアナがチリーの手を強く握る。


「だ、だって怖いんだもーん!!」

「そんなにか……?」


 暗闇が怖いという感覚は、チリーにはあまりなかった。


 闇は野宿で慣れていたし、野盗狩りをしていた頃に至っては身を隠せる分有利だと思っていたくらいだ。目さえ慣れれば転倒することもない。


「周りがよく見えないって、すごく怖いじゃない? なんだか一人ぼっちって感じがして……」


 再び、ティアナがチリーの手を強く握る。


「こうして手を繋いでないと不安で……」

「だからって今会ったばっかの奴の手ェ握るか?」

「だって今君しかいないじゃん!」


 そう言われ、少し落胆するような気持ちがあったことにチリーは気づく。

 感情の正体には見当がつかなかったものの、何か別の理由を求めていたような気がしてしまった。


 今まで一度も感じたことのなかった感覚を誤魔化すようにかぶりを振り、チリーはティアナに目を向ける。


 こうして見ると、素朴な格好の少女だ。


 白いブラウスに黒のロングスカート、飾り気はなかったし、長い黒髪もそのまま流しているだけだ。


(なんというか……頼りないな)


 放っておけばコロッと死んでしまいそうに見えてくる。


 この場所でだって、こうして手を繋いでいなければ転倒して頭を打ってそのまま死にかねない。あまりにも華奢で、貧弱だ。


 女性という存在に、チリーは馴染みがない。

 孤児院にいた頃シスターの世話にはなっていたし、孤児院にも女の子はいたがほとんど触れ合う機会を持とうとしなかった。


 大して興味はなかったし、遊んだって面白そうとは思えなかった。

 旅を始めて、町で女性を見かけて、着飾った動きにくそうな姿に顔をしかめたことさえある。


 そんなチリーにとって、すぐそばで女が自分の手を握っている、というシチュエーションは彼からすれば異次元のシチュエーションだ。こんな状況、考えたこともなかった。


「あ、もしかしてドキドキしてる?」

「はぁ!?」


 妙ににやついた顔でそんなことをのたまうティアナに、チリーは思わず声を荒げる。


「私もだよ。こんな風に男の子の手、握ったことなかったから……多分」

「また多分かよ……口癖か?」


 何故か言葉を濁らせるティアナに、チリーは半ば照れ隠しに問う。すると、ティアナは首を振って否定した。


 揺れる前髪の隙間から覗いた瞳が、妙に寂しそうで。

 チリーは少し戸惑った。


「あのね……こんなこと言うと、変な子だと思われるかも知れないんだけど」

「気にすんな。もうめちゃくちゃ変な奴だからなお前」

「あ、ひどい! ちゃんと聞いてよ!」


 頬をふくらませるティアナに、チリーはようやく意趣返しが出来たような気がして笑う。


 出会ってからここまでずっとペースを乱されがちだったが、ようやく向こうのペースを乱せたようだ。


「……私、小さい時の記憶がないの」

「え……?」


 不意に、ティアナの声のトーンが重くなる。


 思いも寄らない告白に、チリーはつい困惑の声を上げた。


「いつ頃からかわからないんだけど……気がついたら、アルケスタにいて……今はなんとかお願いしてここで働かせてもらってる感じなんだよね。カロルって名字も、預かってくれてるおじさんの名字借りてるだけだし」

「……どのくらい思い出せないんだ……?」

「うーん……それが全然。何年か前に突然この年齢で生まれたんじゃないかってくらい」

「なんじゃそら……」


 ティアナには、生まれてからこの年齢になるまでの記憶が一切ないのだという。

 どこで生まれてどこからきて、いつからアルケスタにいるのかてんでわからない、というのがティアナの現状らしい。


「だからね、色んなことに”多分”ってつきがちなの。口癖と言えば口癖かな……多分」

「まあ……別に記憶喪失だから変な奴ってことはねえんじゃねえか?」

「……そう?」


 どこか不安げに問い返すティアナに、チリーは小さく頷く。


「別に俺は気にしねえし、過去なんてない方が楽なこともあンだろ」


 貴族の子供だった過去なんてものは、チリーにとってはあってもなくても変わらない。家族が皆殺しになった過去なんて、いっそなかった方がマシだった。


 物心つかない内に喪った過去が、今はチリーに力を求めさせている。力があれば奪われない、喪わないですむ、と。


 そう考えると、縛られているような気がして気に食わなかった。


「思い出せる時に思い出しゃいいんだよ。気にしたってしょーがねえよ」

「そっか……そうかも」

「”多分”な」


 そう言ってニカッと笑うチリーに、ティアナはすぐに微笑み返した。


「うん、”多分”、そうだね!」


 特に光源もないのに、周りが少し明るくなったような気がして、ティアナは自分の恐怖心が薄れていくのを感じた。




***



 階段を降りきると、一枚の鉄扉があった。

 狭いスペースの最奥の壁に鉄扉。物々しい雰囲気に、思わずチリーとティアナは息を呑んだ。


「……怖くない? 帰る?」

「引き返したら何しに来たかわからんだろーが!」


 ここでまごついていても仕方がない。チリーは躊躇なく扉を開けた。

 鍵はかかっておらず、扉は簡単に開く。すると、中から薄ぼんやりとした緑色の光が差し込んでくる。


 突然の光に、チリーもティアナも驚いて目を閉じてしまう。


 そしてもう一度目を開き、扉の奥へ進むと……そこは小さな書庫になっていた。


「これは……」


 小さな部屋の中に、本棚が円を描くように設置されている。中央には小さなテーブルがあり、その上には薄っすらと緑色の光を放つ不思議なランタンが置かれていた。


 アルケスタ大図書館。その隠し通路の先は……秘密の地下書庫だった。

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