episode38「Red and Azure」
チリーと青蘭は、目の前で咆哮するトロルベアと対峙する。
どちらも、予想だにしなかった状況に圧倒されてる状態だ。観客席では貴族達が逃げ惑っており、阿鼻叫喚と言った様子である。
「……おい」
低く、チリーが声をかけると青蘭がチラリとだけ目を向ける。
「やべえだろこれは」
「……ああ」
「あの獣性、お前が制してくれよ」
「…………」
冗談半分にチリーが言うと、青蘭は一度黙り込む。
しかしやがて、トロルベアを見据えて青蘭が口を開いた。
「……わかった。なら協力が必要だ。俺一人では難しい」
意外な申し出に、チリーは一瞬目を丸くする。
これは実に合理的な判断だ。
チリーと青蘭は対戦相手だが、別に敵同士ではない。
目の前に共通の脅威が存在するなら、協力して立ち向かうのが自然と言える。
「あいよ。で、どうすりゃ良い?」
「あの熊の気を引いてくれ。隙を見つけて、俺が仕留める」
「囮かよ」
「不満か?」
「わりとな。だが良いぜ……案外俺が倒しちまうかもな」
身構えながらチリーがそう言うと、青蘭が小さく笑う。
「出来るならその方が良い……頼んだぞ」
今出会ったばかりの二人だが、拳を交えたことで僅かに絆が生まれている。
互いの実力をある程度知っているということは、それがそのまま信頼関係になり得る。この男ならここまではやれる、この男がこう言うなら出来るハズだ、と。
力を追求する者にとって、力は口だけの信頼関係よりも妙に信じられた。
すぐさまチリーは、トロルベア目掛けて駆け出す。
その巨大な体躯から繰り出される一撃は、チリーの身体を簡単に叩き潰すだろう。一度も受けるわけにはいかない。
口では倒しちまうかもな、とまで言ったものの、接近すればそれが困難なことはすぐにわかる。
荒れ狂う暴力を体現したかのような両腕が、チリーを狙って振り回された。
(確かにこりゃあ……一人じゃどうにもなんねェな!)
隙を見つけようにも、一対一では膂力に差があり過ぎて難しい。無傷では到底すまない。
だが二対一なら多少は話が変わってくる。青蘭の作戦通り、チリーがここで気を引き続ければ、どこかに隙が見つかるハズだ。
それにしてもトロルベアと呼ばれるこの熊、正に魔獣と言って差し支えない程の凶悪さだ。
魔獣の森で他の動物と縄張り争うをしたことでついたであろう顔の傷は、怒り狂うトロルベアの形相を更に恐ろしいものへと装飾している。
野生の生存競争を生き抜いた森のヌシはプライドが高い。そんなトロルベアが人間に捕らえられ、檻に閉じ込められていたとなればその怒りは尋常ならざるものだろう。
目の前の人間を殲滅し尽くすまで、トロルベアは止まらないかも知れない。
「ケッ……損な役回りだな、こいつは!」
回避し続けるのにも限界がある。
いくらチリーが人よりも体力があるとは言え、どうあがいても熊の方が強くてタフだ。チリーが疲労する方が当然早い。
「おい! まだかッ!?」
息切れし始めたチリーに、熊の凶爪が迫る。
万事休すか、とチリーが覚悟をキメた瞬間、風のように駆けた青蘭が、矢と見紛うほどのスピードでトロルベアの顔面に飛び蹴りを放った。
「ガッ……!?」
青蘭が的確に狙ったのは、熊の急所……鼻である。
嗅覚に優れた熊にとって、鼻は最も感度の高い感覚器官だ。そこを的確に狙われれば、如何に熊であろうとも平気ではいられない。
だが、それでもトロルベアは倒れない。
ゆらりと身体を揺らしたものの、トロルベアは四つ足でしっかりと立っている。
しかしそれは青蘭にとって織り込み済みだった。
そのまま二発、三発と熊の鼻を集中して攻撃し続ける。連撃を喰らえば、そのダメージは計り知れない。
「グオオオオオオオオオオオオオッ!」
ダメージを受けながら怒り狂ったトロルベアが、青蘭への反撃を試みる。
「オラァァァァッ!」
しかし今度は横槍に入ってきたチリーの拳が、トロルベアの鼻に渾身の一撃を叩き込んだ。
その一撃を最後に、トロルベアはその場に沈む。
「ふぅ……」
そのまま、静寂が訪れる。
どうやらトロルベアは今の一撃で完全に意識を失ったようだった。
「っしゃあ! やったな!」
ガッツポーズをして見せた後、チリーが右手を上げる。
青蘭は少しの間不思議そうに見ていたが、やがて理解してチリーの右手を勢いよく左手で叩く。
所謂、ハイタッチである。
「協力、感謝する」
「俺のセリフだ」
その瞬間、コロッセオ内に大きな歓声が湧き上がった。
逃げ遅れた者や、チリー達の大立ち回りを見て目が離せなくなった者が、チリー達に喝采を送っているのだ。
「な、な、な……なんとッ! このエクストラマッチを制したのは二人の少年だァーーーーッ! 魔獣トロルベアを見事に撃破し、本大会の歴史上異例の……ダブル優勝だァーーーーッ!」
審判の言葉に、再びコロッセオ中に歓声が湧き上がる。
「……? なんかよくわかんねえけど、俺達の勝ちらしいな」
そもそも、そのエクストラマッチ自体が寝耳に水なのだがひとまず優勝、という部分だけはチリーにも理解出来る。
「……そのようだな。決着はまだついていないが」
不満げにそう言い、闘志を見せる青蘭だったが、流石にその顔色には疲労がうかがえる。
チリーとの戦闘の直後、トロルベアとの戦いで疲弊しているのだろう。トロルベアの弱点を狙った外せない連撃は、それだけでもかなりの集中と緊張を必要とする。
チリーの目的は元々賞金だけだ。
優勝扱いで賞金さえ手に入るのなら、目的は既に達成されている。
それでも、決着がついていない現状に納得出来ていない自分にも気づいていた。
このまま青蘭と決着をつけずに終わるのが、どうにも口惜しく感じられる。
だが、ここで無理に決着をつけようとしても納得のいく戦いにはならないだろう。
「決着は預けておく。お前とは、またいずれ出会うような気がする」
そう言って、青蘭は少し楽しげに笑って見せる。
思いも寄らない青蘭の表情に少し驚いたものの、チリーもつられてニッと笑って見せた。
「……ああ!」
チリーが右手を差し出すと、青蘭はその手を握り返した。
ライバル同士の熱い握手で幕を閉じたこのトーナメントは、コラドニアシティでは長らく語り続けられることになる。
***
トーナメントに優勝したことで得られる賞金は、チリーと青蘭で半分ずつという形になった。
予定した金額の半分にはなったものの、これでチリーとニシルの旅は年単位で保証されることになる。しばらくは、無理に野盗狩りをしたり依頼を受けて路銀を稼いだりする必要もないだろう。
「よーーーし、乾杯!!!」
「おう、乾杯!」
エールの入ったジョッキを高く掲げた後、チリーとニシルは小気味よい音を立てながら乾杯する。
場所はコラドニアシティで最も大きな酒場であるノーベリー酒場だ。広々とした店内には、沢山の人々が集まって酒や食事を楽しんでいる。
当然中にはチリー同様トーナメントに出場していた者もちらほらいたが、流石にトロルベアを倒したチリーにはもうつっかかってこようとはしなかった。
「いやあ、おめでとう! 本当によくやってくれた! これで僕も気持ちよくエールが飲めるよ!」
「感謝しろよなー。俺の功績なんだからよォ」
「そりゃするとも! これで旅が続けられるね!」
皮肉の一つも言わず、屈託のない笑みを浮かべるニシルに、チリーは完全に毒気を抜かれてしまう。
「よし、食うぞ! 肉をじゃんじゃん持ってきてもらおうぜ!」
「うん!」
賞金を受け取った二人には相当な余裕がある。食べたい料理を食べたいだけ食べられるというのは、二人にとって未知の体験だった。
ミートパイやシチュー、季節の野菜やフルーツで彩られたサラダや大きなステーキ、ワインも何種類も頼んでとにかく二人は豪遊した。
「はぁ~~~食った食った!」
アルコールで顔を真っ赤にした二人は、胃袋がパンパンになるまで料理を詰め込んで満足げに微笑んでいる。流石に胃は苦しかったが、それもまた初めての体験だ。
「それで、次はどこに行く?」
「あー……どうすっかな」
ニシルの問いに、チリーは適当に答えつつ皿の上に残ったりんごをつまむ。
あまり頭が回っておらず、考えがまとまらない。
「……そーゆーの、お前が考えてくれ。俺はもう疲れた」
「……今日は許すけど明日からはそのスタンスやめてほしいな……」
呆れつつも、今日くらいは許してやるか、ニシルは嘆息する。
実際のところ、行き先や方針を決めるのはいつもニシルだ。チリーに任せると適当にふらふらと動くので、なんの進展もないまま時間だけが過ぎてしまう。
「ルクリアにはねーんじゃねえか?」
「うーん、なんとなくそんな気はするけど、どちらにしても確証がないからねぇ」
賢者の石については、今のところ手がかりらしいものは見つかっていない。
賢者の石を探しているというよりは、まず手がかりを見つけなければならない状態だ。
「何か情報のあれば良いんだけど……聞いて回ってみる?」
「ダメ元でやってみても良いんじゃねえか? まあ俺はやめとくけど」
「なんでさ」
「客の何割かは俺と口利いてくんなさそーだから」
「あー……」
酒場にいる人達の中には、荒くれ者も多い。当然、彼らは今日のトーナメントの参加者が大多数だ。大抵の者はチリーか青蘭にノックアウトされた経験を持つ者か、その仲間である。
そんな会話をしていると、不意に店の中で怒号が飛ぶ。
「テメエ! もう一度言ってみやがれ!」
驚いてニシルが声のした方向へ目をやると、細身の男が数人の大男に囲まれていた。
「喧嘩かな?」
「ほっとけほっとけ」
めんどくさそうに答えつつも、チリーはニシルと同じ方向に目を向ける。すると、囲まれている細身の男が見覚えのある風貌をしていたので目が離せなくなってしまった。
「何度でも言う。この国の戦士は程度が低い。武を磨くべきだ」
そこにいた細身の男は、チリーと決勝戦で戦い、共にトロルベアを制した男――――青蘭だった。
「やってんねぇ……」
誰が相手でも変わらない青蘭の態度に、チリーは半ば関心する。
どうも鉄のような硬い性格のようで、態度を頑として変えない。
「まぐれで勝ったからって良い気になってんじゃねえぞ!」
今にも殴りかからんばかりの勢いの大男達だったが、誰一人として青蘭に向かってはいかなかった。
青蘭の方は闘志をむき出しにしたまま相手の出方を伺っており、剣呑な空気が彼らを中心に広がっている。
周りの客の迷惑そうな顔を見て、チリーは溜め息をついて立ち上がる。
「チリー?」
「ちょっと行ってくるわ」
「仲裁? 珍しいね」
茶化すようにニシルが言うと、チリーは小さくかぶりを振る。
「ちげーよ。ちょっとダチに声かけてくるだけだ」
そう言って、チリーはやや早足で青蘭の元へ向かった。
***
先に事の顛末を言うと、結局大男達は店の隅っこに倒れ伏すことになった。
チリーがあの性格で仲裁など出来るハズもなく、最終的には二人して大男達をボコボコに叩きのめす形になってしまったのである。
そして結局、ニシルを含めた三人共がやんわりと店を出るようにお願いされたのだった。
「そもそもなー! お前がもっといい感じに会話してればなー!」
「いい感じとはなんだ? 俺は事実を述べただけだ。この国の戦士は弱い。お前もそう感じているハズだ」
「そーゆーとこが喧嘩の原因だろーが!」
こうは言っているが、結局チリーも大男達に煽られてやれ雑魚だのカスだの煽り返していたため、人のことを言える立場ではないのだが。
「……巻き添えで追い出される僕の身にもなれよな……」
ニシルはチリーの連れ、というだけで店を出る羽目になったのだ。文句の一つくらい聞いてほしいものだったが、当の二人は二人だけで言い合ってしまってニシルにはあまり取り合ってくれなかった。
このまま二人に言い合いをさせていても埒が明かない。とりあえず話題を変えるため、ニシルは青蘭から色々聞き出すことにした。
「そういえば青蘭、だっけ? 初めまして、僕はニシル・デクスター」
ニシルが自己紹介すると、流石に青蘭もチリーと言い合うのをやめてニシルへ意識を向ける。
「チリーから聞いたけど、東国から来てるんだって?」
「ああ。見聞を広めるために海を渡った。異国は興味深いが、今のところ俺と互角に戦える相手には出会えていない」
そう言ってから、青蘭はチリーをチラリと見やる。
「この男を除いてな」
どこか嬉しそうに語る青蘭につられて、チリーもわずかに微笑む。
チリーにとっても、青蘭は初めて互角以上の戦いが出来た相手だ。あのまま続けていれば、チリーが勝てたという保証はどこにもない。
「お前達は? この町の人間か?」
「いや、僕達は旅の途中だよ。大会の目的も賞金だったんだ」
「なるほどな。俺も旅を続けるために資金が必要だった。腕試しはあまり期待していなかったが、思わぬ収穫があって良かった」
どうも青蘭という男、ニシルが思っていたよりもチリーにご執心らしい。よほどチリーとの戦いが面白かったと見える。
チリーの方も満更でもなさそうで、ニシルからすれば少しだけ疎外感があるくらいだ。
「差し支えなければ旅の目的を教えてほしい」
「……僕達は、賢者の石を探してるよ」
ニシルがそう口にすると、青蘭は少し驚いたような表情を見せる。
「……実在するのか?」
「僕は信じてる」
一切迷わず、ニシルは即答して見せた。
「だから、何か少しでも知っていることがあれば教えてほしいんだ。何か知らない?」
駄目で元々、と言った感じの質問だが、少し期待する気持ちもある。ニシルとチリーの暮らしているルクリア国と、海を隔てた向こうにある東国では文化が違う。ニシル達の知っている伝承とは別の話が聞けるのではないかと期待してしまう。
しかし青蘭は、静かにかぶりを振る。
「すまない。賢者の石については俺も知らない」
「そっか……」
「だが、アルケスタなら何かわかるかも知れん」
「……アルケスタ?」
問い返すニシルに、青蘭は頷く。
さっきまで適当に聞き流していたチリーも、聞き慣れない単語に反応して真剣に耳を傾けていた。
「ここに来る途中で聞いたことがある。知識の町、アルケスタシティだ」
そのまま、青蘭はアルケスタシティについて話し始める。
アルケスタシティは、ルクリア国の西側にある都市の一つだ。
この大陸で最も巨大な図書館を有する都市で、大陸全土の知識がその図書館に集まるとされている。
「確かに……そこなら手がかりが見つかるかも。ここからどれくらい?」
「そこまではわからんな。少しこの町で調べた方が良いだろう」
「そうだね。ありがとう! チリー、次の目的地が決まったよ!」
少しはしゃいだ様子のニシルに、チリーは大きく頷いて見せる。
「だな。ありがとよ」
「……一つ条件がある」
「ンだよ後出しかァ? しょうがねえな、なんだよ?」
妙に真剣な表情で切り出す青蘭に、軽い口調でチリーは問い返す。
すると、青蘭はチリー達を真っ直ぐに見つめてこう言った。
「俺も同行させてくれ」
思いも寄らない青蘭の言葉に、チリーもニシルも硬直する。そしてやがてお互いに顔を見合わせてから、もう一度青蘭へ向き直った。
「え? なんで?」
ついそんな聞き方をしてしまったのはチリーだ。あまりに間の抜けた声だったため、隣でニシルが吹き出しそうになる。
「元々俺の旅には見聞を広める以上の目的はない。どうせ同じ旅なら……ルベル、お前と毎日手合わせしたい」
「お、おう……?」
青蘭は目も言葉もまっすぐで、チリーは面食らう。
「俺と高め合ってくれ、ルベル」
妙に仰々しい口ぶりだったが、とにかくチリーが気に入った、ということだろう。同じレベルで手合わせ出来る相手というのは、武の求道者にとってこの上ない存在だ。
「うーん、良いんじゃない? 良いと思う。そうしようよ」
ポン、と手を叩きながら、ニシルがうんうんと頷く。
「よし、決まりだ。よろしく頼む」
「こちらこそ」
「いや待て待て待て待て」
勝手に話を進めるニシルと青蘭の間に割って入り、チリーは慌てて抗議の声を上げた。
「勝手にお前らで決めてンじゃねえ!」
「え? 嫌なの?」
「嫌……っつーか……?」
ニシルの問いに答えあぐねていると、そばで青蘭が嘆息する。
「……そうか。嫌だったか、すまない」
思ったより態度に出るタイプなのか、少しだけしゅんとした様子に見えてチリーは頭を抱えた。
「……まあ、俺もお前くらい頼もしいのがいてくれた方が安心するしな。一緒に来いよ、青蘭」
元々断る理由も特にない。
いきなり勝手に決められて勢いで割って入ってしまったが、青蘭がチリーを気に入ったように、チリーもまた青蘭には好感を持っている。
チリーが手を差し出すと、青蘭は再びその手を握った。
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